《じっくり解説》天文学とキリスト教とは?

天文学とキリスト教とは?

天文学とキリスト教…

天文学とは天体,すなわち太陽,月,惑星,恒星,銀河系などの構成や運動・起源などを探求する近代科学の一分野である.天文学が成立するのは,16世紀の近代ヨーロッパにおけるコペルニクスの地動説の提唱以後である(→本辞典「科学とキリスト教」の項).<復> 聖書中には近代的な意味での天文学への言及はないが,それでも古代ヘブル人は天体の運行について相当の知識を持っていた.これらの知識はほとんどバビロニヤから入ってきた.そしてバビロニヤ天文学は占星術と不可分に結び付いていたのである.<復> もともと占星術は太陽,月,恒星,金星,土星などを崇拝するバビロニヤ宗教の一部となっていたのであるが,ヘブル人たちはこれらの占星術的要素のほうは厳しく退けた(申命4:19,Ⅱ列王23:4,エレミヤ10:2,アモス5:26).彼らは天体を創造主なる神の被造物と見,神の栄光あるみわざを現すものとして見ていた(詩篇8:3,19:1).神は天体をしるしのため,暦を定めるため,祭の時期を定めるため,夜間旅行の目じるしのためなどに創造されたのである.<復> 聖書がしるしとしての,または象徴としての天体に言及しているのは,多くは世界の初めと終り,さらには歴史的に直接に神が介入する時などである.例えば福音書は,イエスが十字架にかけられた時に太陽が暗くなった,と記している(マタイ27:45,マルコ15:33,ルカ23:44).主の日には太陽や月が暗くなる(イザヤ13:9,10).さらに,主がその民の傷をいやされる日には,再び,しかももっとも明るく輝くと記されている(イザヤ30:26).旧約聖書の詩篇では,太陽は永遠のものの象徴としても使われており(詩篇72:17),預言書ではメシヤが「義の太陽」(マラキ4:2)と呼ばれている.新約聖書ではこれを引き継いでイエスのことを「まことの光」と呼んでいる(ヨハネ1:9).惑星については聖書にほとんど出てこないが,キウン(アモス5:26)やロンパ(使徒7:43)は土星であろうと言われる.また明けの明星(Ⅱペテロ1:19,黙示録22:16)はイエス・キリストを指している.一般の星々も太陽や月と同様,光を与え,時を定めるために神によって創造されたものである.また,星の数が多いことは神の豊かさと限りなさの象徴と見られ(創世15:5),星の距離が遠いことは神のあわれみの深さにたとえられ(ヨブ11:7,8),星の輝きの明るさは聖なる御使いを思い起させた(黙示録1:20).星ということばは威厳を意味するのにも使われている(ダニエル12:3).<復> 星をグループに分けて星座として見ることは古代のどの民族も行っており,ヘブル人も例外ではなかった.ただそれがどれだけ聖書の中に言及されているかは問題のあるところである.それらしいことばがあっても,そのことばがどの星座を指しているのかについて,学者の間で一致が得られないからである.ヨブ9:9,38:31,32には星座を表すと思われることばが出て来て,それぞれ「牡牛座」「オリオン座」「すばる座」と訳されている.さらに「南の天の室」(ヨブ9:9)についても諸説がある.その一つに,紀元前にイスラエルの南の地平線上に見えたと思われる南十字星のそばのコールザックと呼ばれる大きな暗黒の部分を指す,という解釈がある.もしそうだとしても,地球の歳差運動によって地軸の方向が変化しているので,今日ではこの部分をパレスチナ地方から見ることはできない.また,「十二宮」(ヨブ38:32)と訳されていることばは,黄道帯(太陽と月とおもな惑星が,見かけ上,その中を運行する天球上の帯状区域)を12等分し,それぞれに星座を配したものを意味する.<復> 聖書の中には天体に関する奇蹟と思われる箇所が幾つかある.ヨシュアが太陽よ動くな,と命じてそのようになったこと(ヨシュア10:12,13),ヒゼキヤの病気の時,イザヤが祈るとアハズの日時計の影が10度あとに戻ったこと(Ⅱ列王20:8‐11),東方の博士たちをベツレヘムの幼子イエスのところに導いた星(マタイ2:1‐11),などがそういった箇所である.奇蹟の箇所は,昔からいろいろな説明が試みられている.いずれにしてもこれらの記述は,神の創造した天体を,神が御自身の力あるみわざを示すために特別に用いられることを示している.<復> 天文学と占星術の違いは,前者が天体の運行の法則を探ろうとするのに対し,後者は天体の運行が地上の人間や出来事に及ぼす影響や意味を見出そうとするところにある.前7—6世紀頃にはバビロニヤでは占星術が非常に盛んであり,当時の祭司階級にとって天体の位置や運行は神々の意思を知る上での重要な手段であった.ただそれらは国家的な禍福や国王の運命と関係付けられるだけであり,個々人の幸,不幸を判断するためのものではなかった.<復> 占星術は前4世紀頃にはヨーロッパにも入ってきており,そこでは個々人の運命判断に使われるようになっていった.ローマ皇帝アウグストゥスやティベリウスは占星術の愛好者であった.紀元2世紀にアレキサンドリアで活躍した,天動説の提唱者として有名なプトレマイオスは,一方で占星術についての本も書き,中世ヨーロッパの知的世界に大きな刺激を与えた.中世ヨーロッパではユダヤ教徒もキリスト教徒も盛んに占星術を行っており,それはコペルニクスの時代まで続くのである.<復> ヨーロッパにおいて,コペルニクスの地動説に基づいた近代的な天文学がケプラー,ガリレーオ,ニュートンらによって形成されるようになったのは,17世紀以降である.それは宗教改革によって聖書的キリスト教が回復されたこととも関係している.ガリレーオは『天文対話』(1632年)を著して近代的な天文学の発展する基礎をつくったが,一方で彼は,当時のローマ・カトリック教会から宗教裁判にかけられ異端の罪に問われることとなった(1633年).ガリレーオが支援した地動説に対して当時のローマ教会は,アリストテレースとプトレマイオスの天動説こそが聖書が教えている宇宙論であるとして,攻撃したのである.しかしもちろん聖書には「地動説が誤りで天動説が正しい」という記述はどこにもないのだから,ローマ教会の教説は,聖書よりもむしろスコラ学すなわちギリシヤの哲学者アリストテレースの教説から来ていたことは明らかである.もしローマ教会が「聖書のみ」を教義の基礎にしていたならば,ガリレーオの宗教裁判は起らなかったかもしれない.ただ,コペルニクスと同時代に生きていた宗教改革者M・ルターもコペルニクスを「天文学全体を転覆させようとするばか者」と呼んでいるので,当時の宗教と科学との関係はそれほど単純ではなかった.ガリレーオ裁判は,聖書解釈においてその時代の世界観を全く排除するということがいかに困難であるかを,典型的に示している事件である.<復> ガリレーオはローマ教会に反論するためにアウグスティーヌスを引用しつつ,「聖霊の御意思は天界にどのように行くかを教えることであって,天界がどのように運行しているかを教えることではない」と述べた.彼は,聖書は天文学について教える書物ではなく,人間の魂の救いについて教えている書物であると述べたのである.このガリレーオの,天文学とキリスト教との関係についての意見は,現代の科学とキリスト教との関係を考えていく上でも重要な示唆を与えている.→科学とキリスト教,創造の教理.<復>〔参考文献〕稲垣久和『現代社会をどう生きるか』いのちのことば社,1986;R・ホーイカース他『OU科学史』1—3巻,創元社,1983;R・ホーイカース『宗教と近代科学の勃興』すぐ書房,1989.(稲垣久和)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社