《じっくり解説》信条,信条学とは?

信条,信条学とは?

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信条,信条学…

[ラテン語]Symbolum, Confessio,[英語]Creed, Confession ; Symbolics,[ドイツ語]Bekenntnis, Konfession ; Konfessionskunde.一般的に信条とは,キリスト教教理の主要点に関する簡明で形式化された公的文書である.また,信条学とは,組織神学(教義学)と歴史神学とにまたがる神学の一分野であり,歴史的諸教会の信条を比較・分析することによりキリスト教信仰の実体を深く理解することをその目的とする.<復> 1.信条.<復> 信条(Creed)ということばがラテン語の「私は信じる」(Credo)に由来するものであるように,信条の基本型は「信仰の告白」である.この意味において,キリスト教の信条は,ペテロの告白「あなたは,生ける神の御子キリスト」(マタイ16:16)に始まり,各時代の歴史的教会が三位一体の神に対してそれぞれの信仰を告白してきた伝統を意味する.<復> (1) 具体的には,まず,信条の初期的表現は聖書の中に見出される.旧約聖書においてイスラエルの信仰告白は申命記に見るように,「聞きなさい.イスラエル.主は私たちの神.主はただひとりである」(6:4)など多くの表現をとっているが,新約聖書においても先述のペテロの告白以外にも多くの信条的要素が散見される.また,イエスを主,キリストと告白する基本形式(1条項)から,「口でイエスを主と告白し…神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら,あなたは救われる」(ローマ10:9)に見られる2条項,さらに「行って,あらゆる国の人々を弟子としなさい.そして,父,子,聖霊の御名によってバプテスマを授け」(マタイ28:19)に見られる3条項へと信条としての形式的発展が見られる.また,ピリピ2:6‐11に見られる礼拝儀式における信仰告白と思われるものやⅠコリント15:3‐7に見られる教理要綱と思われるものなどもある.<復> (2) 古代教会においては多くの信条が生れたが,中でも公同信条(Ecumenical Creeds)と呼ばれる使徒信条,ニカイア信条,カルケドン信条,アタナシオス信条のような,三位一体論やキリスト二性一人格論を中心とした高度な信条が教会で権威あるものとして受容されるに至った.ハルナックが言うように,古代カトリック教会の形成が,使徒的文書(新約聖書),使徒的信仰規準(信条),使徒的教会職制(主教制度)という3規準により正統教会を異端から区別しつつ行われた過程であるならば,信条も正統性の尺度としてこれを受容する者を公同教会に結集し,受容しない者を排除するという機能を持った.ちなみに,使徒信条はグノーシス主義,仮現論の異端を退ける目的を有し,ニカイア信条はアリオス(アリウス)主義,カルケドン信条はネストリオス主義とキリスト単性論を異端としたものである.このように,信条が教会の正統性を保障する公的シンボルと見なされ,東方教会ではニカイア信条やカルケドン信条が礼拝の中で宣揚され,西方教会では使徒信条がその役割を果した.<復> (3) 東方正教会は総会議信条主義を採用し,第1回総会議であるニカイア会議(325年)から第7回総会議である第2ニカイア会議(787年)までの7総会議の決定を信条または教理体系として受け入れる.実質的にそれ以降の総会議を認めていないため,信条の発展の余地は大きくない.これに対して,西方のローマ・カトリック教会は継続的な教理の発展を認める立場から,信条に関しても使徒時代以降の教会の伝承の一環としての重要な位置を与え,継続的な発展性を認める.具体的には,カトリック教会が世界教会会議(総会議)と認める第4コンスタンティノポリス(869—870年)からトリエント(1545—63年),第1ヴァチカン(1869—70年)を経て第2ヴァチカン(1962—65年)に至る14の公会議(本辞典では七つの総会議と区別して公会議と呼ぶ)の公文書は信条として位置付けられる.また,それらの公文書を構成要素とする教会法や,カトリック教会の公的立場を表現するとされる教皇の教書や教勅もある意味では信条的要素を持っていると言われる.<復> (4) 16世紀の宗教改革において信条理解に基本的な変更が加えられた.これは,宗教改革の形式原理とも呼ばれる「ただ聖書のみ」の確信に基づき,信条を聖書の光に照らして見直したことである.すなわち,聖書と教会の信条とを区別して,聖書を「信条にとっての規範」(norma normans)とし,信条を「聖書という規範によって規範を与えられて,教会の規範となるもの」(norma normata)と見なした.総会議・公会議信条主義の立場が,聖書に基づくとは言え,信条を会議で決定したがゆえに権威あるものとするのに対し,聖書的であるがゆえに信条を権威あるものとする立場である.ちなみに,第7回総会議である第2ニカイアは画像崇敬を公認したものであるが,プロテスタント教会の多くはこのような立場から,その権威を認めていない.さらに,宗教改革はもう一つの重要な変更をもたらした.これは,信条の基本型である「信仰の告白」という要素を復興し,教会あるいは信仰者の主体的な信仰の表明として信条を位置付けたことである.それゆえ,信条という一般的呼称に代り,信仰の告白というより主体的表現が用いられるようになり,三位一体論,キリスト論といった信仰対象から救済を巡っての主体的かかわりに焦点が移ったと言える.このように信条を,聖書に基づき教会・信仰者が告白するものと理解すると,プロテスタント信条がバラエティーに富み,ダイナミックな要素を持ち,人格的な親しみを与えるという特長が明らかになる.16世紀ルター派教会のアウグスブルク信仰告白(1530年)や再洗礼派のシュライトハイム信仰告白(1527年)から20世紀の告白教会運動が生んだバルメン宣言(1934年)や福音派のローザンヌ誓約(1974年)まで実に多様な信条的表現を見ることができよう.<復> 2.信条学.<復> 本来,信条は教会が正統と公認した教理,すなわち教義を意味するものであるため,信条学は即教義学であり,信条についての研究は教義学の一環としての護教的,弁証的性格を持っていた.プロテスタンティズムに関して言えば,16—17世紀の正統主義の時代は「信仰告白的正統主義」(Confessional Orthodoxy)と呼ばれるように多くの信条を生み出した.それゆえ,信条の研究は教派の正統性を弁証する道具と見なされた.しかし,19世紀から20世紀にかけて,世界大の教会のリアリティーの認識,他教会の伝統への関心,教会の一致への願望の高まる中で,より歴史学的に信条を理解し,諸信条を比較研究し,キリスト教のリアリティーを把握する学問として,しばしば比較信条学とも呼ばれる信条学が誕生した.この学問の課題としては,教義学との関係,信条の主体である教会が置かれた「場」との告白的取り組み,そして福音宣教の使命とのかかわりであろう.最後に,信条学の内容分類の一例を示せば,(1)聖書に見る信条的要素,(2)古代公同信条,(3)東方・西方教会の信条伝統,(4)プロテスタント信条,(5)20世紀の信条,である.→教理と教義,信仰の告白,信仰規準,教義学.<復>〔参考文献〕『信條集』前篇,後篇,新教出版社(1955,1957);Schaff, P., The Creeds of Christendom, 3 Vols., 1877 ; Leith, J. H., Creeds of the Churches, 1963.(丸山忠孝)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社