《じっくり解説》聖書の数意論とは?

聖書の数意論とは?

聖書の数意論…

1.数の表し方.<復> 旧約聖書においても,新約聖書においても,数は数字や記号によってではなく,文字でつづられて表されている.数を何らかの記号で表すことは,古くからあった.ヘブル語のアルファベットの文字のそれぞれで数を表す方法は,一般に,ギリシヤ文化の影響によるもので,少なくとも捕囚期後のことであると考えられている.<復> 2.数の解釈.<復> ヘレニズム時代には,このヘブル語のアルファベットで数を表す方法を用いて,聖書のことばを数に換算し,そこから神秘的な意味を見付け出そうとする解釈法が生れた.これはゲマトリアと呼ばれ,多くの古代の文書に対して用いられた.しかしこれは,数そのものに神秘的な意味があるというギリシヤ的な考え方に基づくものであり,健全な聖書解釈からの逸脱を意味している.<復> 聖書において,数は基本的に字義的に解釈されなければならない.確かに,ある数には象徴的な意味が与えられている場合がある.そのことは,聖書解釈の原則に照らしてみた時その数に象徴的な意味があることを聖書の本文が示している場合にだけ認められるべきである.<復> 3.おもな数の注意すべき概念と用例.<復> 「1」は統一性や特別であることを表すのに用いられる.神はただひとりの方である(申命6:4,マラキ2:10,Ⅰコリント8:6,エペソ4:6).この神によって造られた人類も一人の人から出たものとして,統一性を持っている(使徒17:26,ローマ5:12).同様に,人類の救いも一人の人の従順による(ローマ5:18,19,Ⅱコリント5:14).また,人々が主にあって一つとなることが主にある一致と交わりの特性である(エレミヤ32:39,ゼパニヤ3:9,ヨハネ10:16,11:52,17:11,使徒4:32,ローマ12:4,5,Ⅰコリント12:12,13,エペソ4:4‐6,5:31).この主の民の一致と交わりの基礎は父なる神と御子イエス・キリストの一体性にある(ヨハネ10:30,17:11).主の民が求めるべきものも一つである(詩篇27:4,ルカ10:42).<復> 「2」はしばしば,根本的な区別を表す.その中には,一致し得るものと一致し得ないものがある.例えば,天と地(詩篇115:16),光とやみ(創世1:4,5),男と女(創世1:27),従順と不従順,祝福とのろい(申命11:26‐28),2人の主人(マタイ6:24),滅びに至る門といのちに至る門(マタイ7:13,14),御霊と肉(ガラテヤ5:17),古いものと新しいもの(Ⅱコリント5:17),神と偶像(イザヤ40:18以下).<復> 「3」において注目すべきことは三位一体の神の存在とのかかわりである.父,子,聖霊の御名によるバプテスマ(マタイ28:19),父が御子の御名によって聖霊を遣わして下さること(ヨハネ14:26,15:26),祝祷(Ⅱコリント13:13).<復> 「4」はしばしばこの世界の広がりにかかわって用いられる.例えば,天の四方(隅)(エレミヤ49:36,ダニエル8:8,11:4,ゼカリヤ6:5,マタイ24:31,マルコ13:27),天の四方の風(エレミヤ49:36,ダニエル7:2,ゼカリヤ2:6),地の四方(隅),地の四方の風(エゼキエル12:14,37:9,黙示録7:1).<復> 「7」は完成,成就,完全にかかわることを表す数として用いられることが多い.神の創造のみわざは,創造の7日間をもって完了し,神は第7日目を祝福して聖別された(創世2:2,3).これに従って人間の生活も7を一つのまとまりとして区切られている.旧約の時代においては週の第7日目を安息日として聖別する(出エジプト20:8‐11).第7年目に地の安息を守る(レビ25:4).この安息年を七度数えて第50年目をヨベルの年として聖別する(レビ25:8以下).こうして,安息日,安息年,ヨベルの年と,主の安息にあずかることが,7をまとまりとして進展していく.旧約の例祭である種を入れないパンの祭と仮庵の祭の期間は7日間であった(レビ23:6,23:34‐41).祭司の任職の期間は7日間であった(レビ8:33‐35).また,きよめの規定にも7が用いられることが多い(レビ4:6,8:11,12:2,13章,14:16,38,15:19,16:14).ヨハネの黙示録の記述の展開において,七つの封印(6:1),七つのラッパ(8:2),七つの金の鉢(15:7)は,神の御計画の進展による歴史の流れを示している.「7」は三位一体の神の存在にかかわる3と,世界の広がりを示す4との組合せから成るので完全数であると説明されることが多い.しかし,7が完全数であるのは,神の創造と救済のみわざによる歴史の進展と完成にかかわる数であることによると考えたほうがよい.その根本にあるのは創造の日が7日間であったということである.<復> 「10」も完結を示すのに用いられることがある.主の戒めは「十のことば」(出エジプト34:28,申命4:13,10:4)に集約されて与えられた.10はしばしば一まとまり,一つの単位を示すのに用いられる(創世18:32,レビ26:26,ネヘミヤ11:1,アモス6:9,ゼカリヤ8:23,マタイ25:1,ルカ19:13).また多いこと,十分なことを示すのにも用いられる(創世31:7欄外注,民数14:22,ネヘミヤ4:12,イザヤ5:10,ダニエル1:12).<復> 10が一まとまり,完結を示すのに用いられるのは,それが十進法の基本単位であることによると考えられる.<復> 「12」はイスラエルの12部族とのかかわりから派生した意味で用いられることが多い(創世49:28,出エジプト24:4,ヨシュア4:2,3,エゼキエル47:13,黙示録12:1,21:12,14).それに応じてイエス・キリストの使徒は12人であった(マタイ10:2,19:28,黙示録21:14).その他,1年は12か月に区分されており,昼間は12時間に区分されていた(ヨハネ11:9).<復> 「40」はしばしば歴史の新しい展開があること,特に救いとさばきとのかかわりで用いられる.ノアの時代の洪水は40日間地上にあった(創世7:17).イスラエルが不信仰のため荒野をさまよったのは40年であった(民数14:33,34).犯罪人に対してはその罪に応じて40回までむち打ってよかった(申命25:3).エジプトへのさばきも40年間の荒廃として語られている(エゼキエル29:11,12).このさばきに対応する恵みも示されていることにも注意すべきである.これらの期間の後,主の恵みが再び示される(創世8:6,エゼキエル29:13).ニネベは40日間さばきへの猶予期間が与えられた(ヨナ3:4).モーセは40日40夜シナイの山で主とともにいた(出エジプト24:18,34:28).イエス・キリストは公生涯の初めに40日荒野におられてサタンの試みを受けられた(マルコ1:13).<復>〔参考文献〕Terry, M. S., Biblical Hermeneutics, pp.380‐6, Zondervan, 1979 ; Gunner, R. A. H., “Number,” The Illustrated Bible Dictionary, Vol.2, pp.1096—1100, Tyndale, 1980 ; White, W., “Number,” The Zondervan Pictorial Encyclopedia of the Bible, Vol.4, pp.452—61, Zondervan, 1979.(清水武夫)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社