奉仕とは?
奉仕…
与えられた賜物に応じ,神に,教会に,世界に仕えること.<復> 1.奉仕の模範.<復> イエス・キリストの奉仕こそ,すべての奉仕の模範である.キリストは,「人の子が来たのも,仕えられるためではなく,かえって仕えるためであり,また,多くの人のための,贖いの代価として,自分のいのちを与えるためなのです」と言われた(マルコ10:45,マタイ20:28).つまり,主の生涯はしもべとしての奉仕であり,その死は,贖いという最高の奉仕にほかならなかった.別の箇所で,キリストは,御自身を「給仕する者」になぞらえておられる(ルカ22:27).<復> 2.旧約時代における奉仕.<復> (1) 預言者の奉仕.彼らは,神からみことばを告げられ,それを民全体に,あるいは一個人に伝える任務を果した.モーセ,サムエル,イザヤ,エレミヤを初め,多くの預言者が立てられた.<復> (2) 祭司の奉仕.彼らは,いけにえを伴う礼拝をつかさどり,民に代って,神にとりなしの祈りをささげる任務に当った.メルキゼデク,アロン,エズラなどが有名である.<復> (3) レビ人の奉仕.彼らは,祭司を助け,聖所の任務,つかさ,さばきびとの務め,門衛,聖歌隊,律法の教師などの任務に当った.<復> (4) 王の奉仕.彼らは,民を治め,国を指導し,戦いを指揮する任務を果した.サウル,ダビデ,ソロモン,ヒゼキヤ,ヨシヤなどが著名である.<復> (5) 民の奉仕.彼らは,上記の指導者たちに導かれて,礼拝し,財をささげ,あわれみのわざを行った.<復> (6)「主のしもべ」の奉仕.上記のすべてを包括する完全な奉仕の任に当る「主のしもべ」のことが,主としてイザヤ書に預言されている.その方こそキリストである.<復> 3.新約時代における奉仕.<復> 神に対しては,礼拝,祈り,賛美がささげられ,人に対しては,宣教,いやし,教導,慈善などの奉仕が行われた.<復> (1) 使徒の奉仕.彼らは,イエス・キリストの復活の証人として,真理の土台を据え,福音を伝え,信者となった人々を建て上げ,その群れを守り,文字通りいのちをささげてその務めを全うした.<復> (2) 預言者の奉仕.彼らは,神のことばを正しく伝え,使徒の働きを補佐し,教会を誤謬から守った.<復> (3) 伝道者の奉仕.彼らは,主として,まだ福音の伝えられていない分野に出向き,宣教の任務を果す者たちである.<復> (4) 牧師・教師の奉仕.彼らは,概して,一教会の牧会,教導の責任者として立てられ,キリストの民を整え,建て上げる務めを授かった人々である.<復> (5) 監督,長老の奉仕.彼らは,上記の奉仕者と重なる場合もあるが,キリストの民の指導者として,その群れを監督し,教え,勧め,励まし,治める役割を担う人々である.<復> (6) 執事の奉仕.最初に執事として立てられた人々は,ステパノ,ピリポなどの7人であった(使徒6:1‐6).彼らの任務は,実際的な面で,監督,長老を補佐し,教会生活が円滑に進展するよう配慮することである.<復> (7) 分け与える者の奉仕.主は「受けるよりも与えるほうが幸いである」と言われた(使徒20:35).特に金持は,「惜しまずに施し,喜んで分け与えるように」と命ぜられている(Ⅰテモテ6:17,18).「持つ」ことは,もし分け与える熱意がそれに伴うならば,大きな祝福となり得る(参照Ⅱコリント8:12).バルナバは,この奉仕をした者の模範と言えよう(使徒4:36,37).<復> (8) 奇蹟を行う者の奉仕.その行為者があがめられるためでなく,神御自身があがめられ,人々に益が及ぶためになされる時にのみ,彼らの奉仕は,神によみせられるものとなる.その奇蹟の源泉は,キプロスの魔術師エルマのように悪霊から出るものでなく,使徒たちのように聖霊御自身から出るものでなければならない(使徒13:4‐12).<復> (9) いやしの賜物を持つ者の奉仕.神は,その子らが霊と魂とからだにおいて健全であるようにと願っておられる(Ⅲヨハネ2節,Ⅰテサロニケ5:23).彼らは,信仰と祈りとによって,人々の病気をいやし,さらに,その魂を神にしっかりと結び付ける責務を与えられた人々である.無償でこれが行われる(参照マタイ10:8).<復> (10) 助ける者の奉仕.この人々については,すでに執事の奉仕その他の項でも触れたが,主の民の中には,他の人々の顕著な奉仕を黙々と補佐する目立たない聖徒たちがいる.これも重要な務めである.<復> (11) 治める者の奉仕.この人々についても,例えば監督,長老の奉仕の項で触れたが,主の民の中には,リーダーシップの賜物をいただいた人々がいる.彼らの務めも大切である.<復> (12) 異言を語る者の奉仕.彼らは,異言を通して,どちらかと言えば,人々にではなく,神に仕えるのである(参照Ⅰコリント14:2).<復> これらすべての奉仕については,ローマ12:3‐21,Ⅰコリント12:4‐31,エペソ4:1‐16等の箇所に,詳しく述べられている.この新約聖書の勧めに従って,キリストの民全体は,それぞれに与えられた賜物に応じて,三位一体の神に,キリストのからだなる教会に,そして神が限りなく愛しておられるこの世界に仕えていくのである.<復> 4.聖書における奉仕の例.<復> (1)アブラハムは,3人の旅人をねんごろにもてなしたが,それは主の使いたちであった(創世18章,ヘブル13:2).(2)ヨセフは,主が彼とともにおられたので,ポティファルの家でも,牢獄の中でも,パロの宮殿でも,忠実に仕え,管理した(創世39‐50章).(3)モーセは,しもべとして,忠実に,神の家全体に仕えた(出エジプト記—申命記,ヘブル3:5).(4)遊女ラハブは,2人の斥候をかくまい,神の民を助けた(ヨシュア2:1‐21).(5)ルツは,しゅうとめナオミに心から仕え,美しい足跡を残した(ルツ記).(6)バルジライたちは,逃亡中のダビデとその一行を,親身になってもてなした(Ⅱサムエル17:27‐29).(7)ツァレファテのやもめは,エリヤのために,自らの乏しい食物を,惜しまずに差し出した(Ⅰ列王17:8‐16).(8)ネヘミヤは,城壁修復の奉仕のため,監督としての手当を受けずに労した(ネヘミヤ記,特に5:14).(9)エステルは,ユダヤ人のいのちを救うため,決死の覚悟で王のもとに行った(エステル記,特に4:16).(10)ベタニヤのマリヤは,高価なナルドの香油のつぼを割って,すべてをキリストに注ぎ,その葬りの備えをした(マタイ26:6‐13,マルコ14:3‐9,ヨハネ12:1‐8).(11)アリマタヤのヨセフと,ニコデモは,イエス・キリストのからだを十字架から降ろし,ユダヤ人の埋葬の習慣に従って,丁重に葬った(マタイ27:57‐61,マルコ15:42‐47,ルカ23:50‐56,ヨハネ19:38‐42).(12)慰めの子と呼ばれたバルナバは,地所を売り,その代金をささげた(使徒4:36,37).(13)プリスキラとアクラは,前途有望の伝道者アポロを家に招き,個人的に導いた(使徒18:24‐28).<復> ここに幾つかの例を挙げたが,ある意味で,全聖書は,救い主イエス・キリストの奉仕,族長,預言者,祭司,王,民の奉仕,使徒,伝道者,教師,宣教者,その他の聖徒たちの奉仕を記した書であると言うことができる.そのように,聖書中には,あらゆる種類の奉仕が満ちている.→召命,献身,献金,ボランティア活動,職制.(岩井 清)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社