《じっくり解説》偶像崇拝(礼拝)とは?

偶像崇拝(礼拝)とは?

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偶像崇拝(礼拝)…

[ギリシャ語]エイドーロラトゥリア(ガラテヤ5:20).肖像,模写を意味する[ギリシャ語]エイドーロンと礼拝[ギリシャ語]ラトゥレイアの合成語.[ヘブル語]テラーフィーム(Ⅰサムエル15:23).ヘブル語で偶像を直接指すことばはないが,それを示唆する[ヘブル語]アーウェン(空虚なもの.イザヤ66:3),[ヘブル語]アーツァーブ(悲しみの原因.Ⅰサムエル31:9)というような用語が使用されており,日本語聖書ではいずれも「偶像」と訳している.偶像崇拝(礼拝)とは,偶像あるいはそれによって現される神々を拝むことを指す.<復> 1.古代近東世界の偶像崇拝には,二つの形態があった.一つは像などによって偽りの神々を拝むこと,もう一つは真の神礼拝を像などの形で行うことである.前者の例は,古代イスラエルを囲む国々の中で見られた.メソポタミアの初期のセム族は,神々が宿るものとして,山,泉,木,岩などを拝んだ.エジプトの宗教も太陽とナイル川をいのちの源として崇敬し,また牛,猫,わになどを聖なる動物として拝んだ.カナン族の間では,神々は道徳的な性格を持たずに野蛮な形をとり,幼児犠牲,売春,蛇礼拝などを行った.後者は,出エジプト後,モーセの不在の間にアロンが金の鋳物の子牛を造り,それを伏し拝むよう民に言った例がある(出エジプト32章).<復> 2.旧約において,イスラエルの民は,十戒(十のことば)の第1戒と第2戒で,主以外のいかなる神々をも拝してはならず,またどんな形をも造ってはならない,と厳しく命じられていた(出エジプト20:3‐6).この命令が,奴隷として神々にひれ伏していた民が主なる神によって解放された出エジプトの出来事と密接に関連していることは意義深い.聖書の神は,権力否定,偶像否定の神である.主なる唯一の神と偶像とは,いのちと活動と支配とにおいてはっきりとした本質的な相違がある.すなわち,主はいのちの源であり,預言することができ,かつ歴史の主であり支配者であるのに対して,偶像にはいのちがなく,語ることもできず,力もない(イザヤ41‐44章).特に第2戒が偶像を造ることを禁止していることは,重要な意味を持っている.もしそうでなければ,創造主である神を被造物と見なし,神の超越性を損なうことになるからである.神は内在の神でもあるが,目に見える物質的なもので現される方でも,人の手で触れられるような方でもない.<復> 聖書には,天地万物の創造主である神が,御自分以外のものに礼拝をささげることをねたむ神であると記されている(出エジプト20:5,34:14,ヨシュア24:19).神は,御自分の民に絶対的忠誠と献身を求めておられるのである.しかし偶像崇拝の危険は絶えずあったため,律法や預言書には禁止命令が繰り返されていたのであり(申命7:25,26,イザヤ40:18‐23),そのため神は,イスラエルの民が異教の地に入った時,これらの偶像を破壊するようにと命じられたのである(民数33:52).にもかかわらず,士師記の時代を代表的な例として見ると,「彼らは…父祖の神,主を捨てて…彼らの回りにいる国々の民の神々に従い,それらを拝み,主を怒らせた」(2:12)とあるように,偶像崇拝は続けられていったのである.<復> このようなイスラエルの歴史において,偶像否定的な性格を最も深く示したのは,エリヤを初めとする預言者たちであった.彼らは近隣の諸国から導入された偶像や異教と徹底的な対決をした(Ⅰ列王18:18‐40).預言者イザヤは「わたしが神である.ほかにはいない」と,真の神の唯一性及び異教の神々の虚無性を語った(イザヤ44:6‐20).またダニエル3章には,ユダヤの三青年による偶像崇拝拒否の物語がある.ネブカデネザル王はドラの平野に立てた金の像を礼拝することを命令し,これを拒否する者たちを火の炉に投げ入れると脅迫した.しかし彼らは強烈なことばで抵抗したのである(3:16‐18).<復> 3.旧・新約の中間時代に,シリアの王アンティオコス4世・エピファネースが出した偶像崇拝強要の勅令に対して,信仰の自由を勝ち取るために殉教覚悟で徹底して戦ったマカベア兄弟たちにも,この抵抗の精神は受け継がれていく(Ⅰマカベア2章).このように見ていく時に,偶像が何よりも権力の象徴であることがわかる.これ以後,ユダヤ人たちは,二度と偶像崇拝の誘惑に陥ることはなかった.<復> 4.新約時代にも,偶像崇拝は,皇帝崇拝も含めてローマ帝国全体にわたって様々な形で行われており,初代教会はこれに激しく抵抗し,また殉教者も出していった(黙示録13:15).使徒パウロは,異邦人伝道において,異教世界の一大特色である偶像崇拝を論駁し,キリスト教信仰と決して相いれないものであることを宣言しており(Ⅰコリント12:2,ガラテヤ4:8),特に異教主義から回心したキリスト者たちに対し,偶像崇拝を行う者は神の国を継ぐことはできないと警告している(Ⅰコリント6:9,10).彼によると,偶像崇拝は,真の唯一の神を礼拝することをゆがめてしまった人間の愚かさのしるしの一つであり(ローマ1:22,23),そこから唯一神信仰へと進んでいくものではなく,むしろ背教の結果なのである.また異邦人の間で見られる性的な乱れも社会的な無秩序も,元をたどっていくと偶像崇拝につながっていくのである(ローマ1:18‐32,使徒19:26).旧約の預言者と同じく,使徒パウロもまた,世の偶像は無きに等しいもの,単なる被造物にすぎないと見ていた.とはいえ偶像を拝むことは,キリスト者をキリストから引き離し,その背後にあって働く悪霊どもの支配下に置くことになり,唯一の神に帰すべき栄光と服従とを悪霊に向けるはなはだしい罪であることを認めている(Ⅰコリント8:4,10:19,20).新約の偶像概念は,旧約よりも広がり,よしんば物質的な形ではなくても,人間のあくなき欲望が神崇拝に取って代るとして,拝金主義に象徴される貪欲及び性的な罪も,比喩的に偶像崇拝と見ている(マタイ6:24,エペソ5:5,コロサイ3:5).使徒ヨハネは,キリストにおける神の完全性を述べた後で,神にのみささげられる忠誠から逸脱したものはみな偶像崇拝であるとして,これを避けるように警告している(Ⅰヨハネ5:21).<復> 5.キリスト教は,ユダヤ教,イスラム教と並んで,偶像崇拝拒否の立場を強調している.その背景には言うまでもなく聖書的唯一神観の立場があるからである.偶像崇拝は,人間が天地万物の創造者である唯一の真の神を,あたかも被造物であるかのように格下げすることにある.偶像崇拝を大いなる罪として排除しなければならない最大の要因は,ここにあると言える.この点が明確でないところでは,偶像崇拝と言われても理解されにくい.キリスト教が偶像崇拝を罪として指摘するのなら,その前提である聖書的唯一神観を,あらゆる機会に徹底して宣べ伝えなければならない.特に祖先崇拝などの異教主義的習慣の強い日本の土壌では,そうすることが求められている.→背教,異教・異教徒,皇帝礼拝,祖先崇拝とキリスト者.<復>〔参考文献〕G・V・ラート『旧約聖書神学』1,2,日本基督教団出版局(1980,1982);Bromiley, G. W., International Standard Bible Encyclopedia, Eerdmans, 1979.(伊藤淑美)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社