《じっくり解説》家庭生活とは?

家庭生活とは?

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家庭生活…

1.家庭生活の土台.<復> 価値観が大きく変動し,世代間のギャップが大きくなっているこの時代に,家庭生活も揺らいでいる.しかし,結婚や家庭が,神による永遠の定めと目的によって成り立っていることを知る時,どのような時代にも変ることのない家庭の土台,基盤があることがわかる.聖書こそその神のみこころを示す唯一の,不変の基準である.<復> 結婚は,人間の都合や,社会の都合で生れた制度ではない.神が定められたことである.夫婦は,互いに相手を神が「連れて来られた」(創世2:22)と信じて受け入れる時,堅い基盤を持つことになる.お互いの愛が土台ではなく,神のみこころが土台となる時,家庭は揺がない土台を据えたことになる.<復> 2.家庭生活の目的.<復> 「人が,ひとりでいるのは良くない.わたしは彼のために,彼にふさわしい助け手を造ろう」(創世2:18).最初の家庭は,こうして神によって立てられた.「ふさわしい助け手」—何のための助け手か?「神である主は,人を取り,エデンの園に置き,そこを耕させ,またそこを守らせた」(同2:15).「生めよ.ふえよ.地を満たせ.地を従えよ.海の魚,空の鳥,地をはうすべての生き物を支配せよ」(同1:28).神が造られたすべてのものは,非常に良かった(同1:31).にもかかわらず,なおそこを耕し,そこを守り,そこを支配する働きが,人間に託されたのである.まさに神の働きの一端に,人間を招き入れて下さったのである.ここに人間の労働の光栄がある.光栄ある人間の働きのための「ふさわしい助け手」として,女が,家庭が与えられたのである.家庭は,単なる人間の休憩の場ではない.神の働きの最前線基地としての意味がここにある.家庭を通して,神の栄光を現し,神の働きを支え,神の民をこの世界に満たしていくのである.<復> 3.主に仕える家庭.<復> 「私と私の家とは,主に仕える」(ヨシュア24:15).家庭生活を通して主に仕えていくことこそ,家庭の祝福であり,幸いの鍵となる.具体的に,以下のことによって仕えることになる.<復> (1) 信仰によって.信仰がなくては神に喜ばれることができない(ヘブル11:6).家族を挙げて,神への信仰に導かれるように,忍耐をもって祈り,努力する.<復> (2) 礼拝をもって.教会における公同礼拝で,家族で行う家庭礼拝で,個人で行う聖書の学びと祈りの時(デボーション)に.朝に夕に神への礼拝をささげる家庭である.<復> (3) 教会を通して.キリストのからだなる教会を構成するのは,一人一人のキリスト者であり,家庭である.特に,教会にとってキリスト者家庭の存在は大きい.家族そろって礼拝,教会活動,教会奉仕に参加する.教会生活が家庭生活の完全な一部となって,教会を愛し,支え,仕えていく家庭は幸いである.ただし,神が立てられた三つの異なった権威—教会,国家,家庭—は,それぞれ異なった目的と領域を持つ.そこには上下の差はなく,お互いに他を侵してはならない.教会活動があまりに忙しく,家庭生活が全く成り立たなくなるなら問題である.<復> 4.互いに仕える家庭.<復> 夫婦関係,親子関係のあり方を示すエペソ5,6章で,その基本的な姿勢として次のことをまず教えている.「キリストを恐れ尊んで,互いに従いなさい」(5:21).家庭生活にあって,それぞれは主の前に全く平等である.家庭の秩序のために,役割の違いはあっても,価値は同じである.夫婦間,親子間,嫁姑の間にあっても,「キリストを恐れ尊んで,互いに従う」ことが基本的な接し方になる.お互いへのキリストの愛と尊びを知る時,私たちがお互いを軽んじることはできない.夫は妻を尊敬し,愛し,守り,喜びを与える.妻は夫を尊敬し,その立場と責任を重んじ,愛し,従順をもって仕えていく.親は子供たちを,尊敬をもって一人の人格として認め,主の教育と訓戒によって育てる.子供は両親を,神が与えて下さったかけがえのない存在として,感謝と尊敬をもって愛し,従う.こうした互いの尊敬と従順が,家庭生活を豊かにし,祝福をもたらすものとなる.<復> 5.キリストのかたちに変えられていく場.<復> キリスト者の家庭には,罪人が住んでいる.決して完成された聖人ではない.そこには様々な問題が起る.家庭では,すべてが明けっ広げになる.本音と本音がぶつかり合う.だからこそ,様々な感情的なぶつかり合いや,意見の対立が起る.夫婦間でも,親子間でも.しかし,こうした正直な人間関係の中でこそ,お互いは他人を思いやることを学び,自分を知り,赦しを経験し,愛し合い受け入れ合うことを学ぶ.キリストに似た品性の多くは,こうして家庭で身につけられていく.家庭生活におけるあり方が,教会や社会でのあり方の裏付けとなる.長老,執事の資格についてのテモテへの手紙第1,テトスへの手紙にあるリストの多くが,家庭生活におけるあり方であることが,それを示している.<復> 6.家庭生活における人間関係の原則.<復> エペソ4:25以下に,具体的に人間関係を保ち,育てる原則が挙げられている.それはまず,家庭生活でこそ適用すべき内容である.<復> (1)「あなたがたは偽りを捨て,おのおの隣人に対して真実を語りなさい.私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです」(4:25).正直,率直,真実であること,互いのコミュニケーション(意志の疎通)を大切にすることである.それを欠いたり,不真実が入り込んだりする時,家庭の一体感は損なわれる.<復> (2)「怒っても,罪を犯してはなりません.日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません.悪魔に機会を与えないようにしなさい」(4:26,27).「怒り」が,そのまま罪であるわけではない.時に,怒らなければならない場合がある.しかし,怒りという,非常に不安定になりやすく,本性がむき出しになりがちな状況を,長く続けることは危険である.それが憎しみ,恨み,復讐心につながりやすい.早くコントロールしないと,自分でもどうすることもできない事態に陥ってしまう.「悪魔に機会を与える」ことになる.その日のうちに主の前で解決し,互いの間で解決すべきである.キリストにあっての和解を求めるべきである.<復> (3)「悪いことばを,いっさい口から出してはいけません.ただ,必要なとき,人の徳を養うのに役立つことばを話し,聞く人に恵みを与えなさい」(4:29).人間はことばの生き物である.ことばで喜び,ことばで傷つき,ことばで生かされ,ことばで殺される.どのようなことばを語っているかは,家庭生活に限らず,教会生活,社会生活においても重大である.特に,遠慮がなくなり,わがままになりがちな家庭生活においては「悪いことば」を語ってしまいやすい.「悪いことば」—それは「無慈悲,憤り,怒り,叫び,そしり…悪意」(4:31)から発せられることばである.相手をこき下ろすことばである.逆に人を高め,喜ばせ,恵み,温かく包むことばを語る者と変えられなければならない.それは,神の私への愛のことばと,優しい取り扱いの恵みの中で可能である.「お互いに親切にし,心の優しい人となり,神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように,互いに赦し合いなさい」(4:32).→家族,クリスチャン・ホーム,子供の養育.(横山幹雄)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社