《じっくり解説》ニューイングランド神学とは?

ニューイングランド神学とは?

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ニューイングランド神学…

[英語]New England Theology.ジョナサン・エドワーズ(1703—58年)に起源を持つ神学的伝統に付けられた名である.エドワーズがアメリカ植民地に起った大覚醒を弁証するために展開した思想が土台であったが,体系化する前に彼が急死したこともあって断片的な主張しか残っていない.後継者たちはそれぞれにその主張の特定の部分を継承し発展させたので,人間の意志の自由といった問題に著しく関心を示した点で似通っている程度である.<復> 母体であったニューイングランド組合派教会がウェストミンスター信仰告白とサヴォイ宣言を採用していることから知られるように,エドワーズもその後継者たちもカルヴァン主義であることを自負していた.実際にはエドワーズ自身はロックやニュートンらの哲学思想の影響を受けており,伝統的なカルヴァン主義の用語を使いながらその時代の状況を背景にして哲学的手法で述べているために内容はかなり異なったものとなっている.<復> エドワーズはおもに,神の絶対主権と恩寵,予定と自由意志,原罪と真徳の関係を力説した.<復> 神の絶対主権と恩寵という組合せで論じられるのは,伝統的カルヴァン主義では選びにおける神の絶対主権のことである.エドワーズはこれを否定せずむしろ肯定しているのではあるが,神の絶対主権という言葉で念頭に置いているのは罪人に対して怒る神である.全能の神は怒りながらも自制して人類を滅びないように保っているが,いつでもその支えを取り去られるという意味での絶対主権なのである.この神の前では人は失われた無価値な存在であり,救いについてのどのような要求もできないと主張する.<復> この主張には当時の教会の霊的状態が低下していたという背景がある.教会員籍があることに安住していた人々に絶対主権的な神の怒りを語って警告したわけである.神に選ばれていることが重要であって,選ばれている者にとって神は怒りの神,滅びへの鍵を握る支配者ではなく恩寵の神である.それ以上に選ばれている者は神に救いを要求できるとまでエドワーズは言う.それは,神は契約によって御自身を拘束しており,選ばれた者を救わなければならない絶対的な負債を負っているためであると説明する.信仰による義はこの考えで理解されている.従って,選び,有効召命,再生,義認の順序で説明する伝統的カルヴァン主義とは異なっている.また怒りの神と恩寵の神,人間の無価値性と信仰による義の両者が強調されすぎるために調和されないままで終っている.<復> 予定論との関係で常に問題となるのは人の自由意志であり,エドワーズも力を注いだところである.堕落後の人類は罪の奴隷であって神の御心にかなう善を行う傾向も能力も持たず,善を意志する自由はないと考えるのが伝統的カルヴァン主義である.ところがエドワーズは堕落した罪人がなお神を愛する良心を持ち,意志の自由を保っていると言う.その理由として神の意志と因果関係で結ばれている諸動機に人間の意志が支配されていることと,神の意志が神の性質の表現であるから創造が神の意志を表現しているように人間の意志も神性の現れであることを理由に挙げる.だから人は神に向かう自由意志,理性能力を持っているのである.堕落はそれを行う力,道徳的能力を失わせたと考える.神は,選ばれた者にはこの道徳的能力を回復されると主張する.<復> 全人類がアダムにあって禁断の木の実に手を出したという罪の直接転嫁をエドワーズは否定しない.ただ原罪は神を目指す道徳的能力の欠如もしくはその傾向を欠いていることと理解している.それでも十分に神の怒りの対象であることを強調する.<復> エドワーズによると,徳とは知的存在一般への愛のことであるが,神こそが最高の存在であるから真の徳は神への無上の愛である,という.ただこれは理性と認識によっては得られず感情と本性によらなければならないと主張する.これは大覚醒の感情的側面を擁護するためであるが,理性と感情の峻別は伝統的カルヴァン主義のものではない.<復> このようにエドワーズの思想はカルヴァン主義の用語を使いながらもアルミニウス主義,ローマ・カトリック的概念と思えるものも入っており,汎神論とも言える表現をしているところもある.修正カルヴァン主義と呼ばれるゆえんである.<復> エドワーズの思想の体系化は後継者たちの手にゆだねられた.ジョウゼフ・ベラミ(1719—90年)とサミュエル・ホプキンズ(1721—1803年)である.この両者をニューディヴィニティと呼ぶ.ベラミは贖いにおける神の主権を強調し,自力救済に強く反対した.ホプキンズは「私利を図らぬ博愛」を鍵としてエドワーズの真徳についての議論を倫理学の体系にのせようとし,これに基づいて奴隷制に強く反対したことで知られる.<復> しかし,この両者はエドワーズの思想を修正した.ベラミはキリストの死が罪の代価であるとする伝統的な贖罪観を退け,善悪についての神の考えを示すためにキリストの犠牲が必要であったとする「政治説」([英語]Governmental Atonement,「統治的贖罪説」とも訳す)を採用した.ホプキンズは,罪深い行為がアダムの罪責の直接転嫁によるのではなく罪深い本性の生み出すものと主張.また結果として原罪を否定し現行罪のみを語るようになる.善行についても新生された心から自然に出るものではなく,クリスチャンの義務として語っている.<復> ベラミとホプキンズの修正はわずかなものであるが,19世紀のニューイングランド神学者はエドワーズの教えを乗り越えている.エドワーズの孫に当るティモシ・ドワイト(1752—1817年)は,救いにおける人間の能力をさらに認め,キリスト教信仰の合理性を強調した.エドワーズの次男ジョナサン・エドワーズ(1745—1801年)はベラミの弟子であり,政治説に基づく贖罪観を発展させ,クリスチャン生活にとっての神の律法をより強く主張した.<復> ドワイトが最も影響を与えた人物はナサニエル・W・テイラー(1786—1858年)である.テイラーは,人の罪深い行いが罪深さの理由であって,神の予定でもなければアダムからの罪の性質の遺伝でもないと主張した.また人は恩寵がなくても選択の自由と意志の自由を持っていると考えた.エドワーズの教えとは全く対照的であるので,彼の思想はニューイングランド神学とは区別してニューヘブン神学と呼ばれる.<復> E・アマサ・パーク(1818—1900年)はテイラーに対抗して神の主権を強調した.彼はエドワーズの線に戻そうと努力したが,人間の本性的能力や罪の性質についての考えはかなりの隔たりがある.<復> ニューイングランド神学は,18世紀において自由主義神学の侵入を遅らせる働きをしたが,その内に持っていたものによって倫理主義,合理主義をアメリカの神学に持ち込むことになった.テイラーとパークは厳格なカルヴァン主義に立つ当時のプリンストン神学校の神学者に激しく非難された.20世紀になってH・リチャード・ニーバーが再評価したが後継者の思想ではなくエドワーズの思想にのみ注目している.→エドワーズ,ジョナサン;エドワーズ,ジョナサン(子);カルヴァン主義.<復>〔参考文献〕W・ウォーカー『近・現代のキリスト教』(キリスト教史4)ヨルダン社,1986.(高内義宣)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社