《じっくり解説》断食とは?

断食とは?

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断食…

苦悩に直面して飲食を断つことは,聖書においても多くの例が見られる.<復> 1.私的な断食.<復> 子のなかったハンナはライバルのペニンナに激しく心乱されて食事をしなかった(Ⅰサムエル1:7).父サウルがダビデを殺そうとしていることを知ったヨナタンは「怒りに燃えて」祭の2日目の食事をとらなかった(同20:34).イスラエルのアハブ王は,ナボテのぶどう畑を手に入れようとして拒否された時,「不きげんになり,激しく怒り」,家に入って「寝台に横になり,顔をそむけて食事もしようとはしなかった」(Ⅰ列王21:4).これらの例は,個人的な激しい感情や気分と結び付いた断食である.<復> 2.宗教的な断食.<復> 王妃イゼベルはナボテの住む町の長老たちに断食を布告させ,不正な裁判によってナボテを処刑させたが,預言者エリヤによる主のさばきのことばを聞いたアハブ王は,「自分の外套を裂き,身に荒布をまとい,断食をし,荒布を着て伏し,また,打ちしおれて歩い」て,主の前に一時的ではあったが,へりくだった(Ⅰ列王21:27).しばしば断食は,荒布を身にまとい灰をかぶるといった所作を伴い,悔い改めや嘆きの感情が表現される.また,宗教的な断食は,単に悔い改めのあかしであるばかりでなく,神への真摯な祈願と結び付いている場合もある.<復> (1) 断食の時機.モーセの律法においては,贖いの日(第7月10日)に「身を戒める」ことが命じられているが(レビ16:29‐31,23:26‐32),それは預言書においては「断食の日」と呼ばれている(エレミヤ36:6).ユダヤ人の理解では,入浴したり,香油を塗ることや夫婦の営みすら戒められるべき事柄に含められる.捕囚帰還後の預言者ゼカリヤは,神殿再建の日が迫った時に寄せられた「長年してきた第5の月の断食を続けるべきか」との質問に対する答として,「第4の月,第5の月,第7の月,第10の月の断食」が「ユダの家にとっては,楽しみとなり,喜びとなり,うれしい例祭となる」ことを告げている.ここに言及されているのは,第7月を含めて,すべてエルサレム陥落,捕囚の苦難と結び付いて行われるようになった断食である(ゼカリヤ7:3,8:19).国家的な存亡の危機に直面して断食が布告された例は,ヨシャパテ王(Ⅱ歴代20:3),エホヤキム王(エレミヤ36:9),捕囚民の帰還道中の無事を祈願した場合(エズラ8:21),ユダヤ民族殺害命令が出されたエステルの時代(エステル4:3)などに見られる.前述したように,エルサレム滅亡のような国家的な悲劇を追憶し,それが神のさばきとして自分たちに臨んだことを自覚して,罪を嘆き,悔い改めを新たにするために行われる断食もある.<復> (2) 断食の期間.(a)日没までの1日間(士師20:26,Ⅰサムエル14:24,Ⅱサムエル1:12,3:35),(b)3日間(エステル4:16),(c)7日間(Ⅰサムエル31:13,Ⅰ歴代10:12,Ⅱサムエル12:16‐18),(d)40日間(モーセ=出エジプト34:28,申命9:9.イエス=マタイ4:2,ルカ4:2).愛する者の死を悼む服喪期間と関連があったり,危篤の病人のいやしを求める切なる祈願と結び付いている場合が多い.Ⅰ列王19:8に基づいて,エリヤも40日間の断食をしたと理解する者があるが,失意のうちにあって契約の神の御旨を求めていたエリヤに対して,神は力を与え,イスラエルの荒野の40年における主による信仰の試練を思い起させ,彼自身の主への信頼を促すために,40日間荒野を彷徨させたと理解するのが妥当であろう.公生涯の最初におけるイエスの断食は,モーセが旧約宗教の仲保者として契約のことばの啓示を受けるに際して断食したように,律法の成就者である新約の仲保者が神的メシヤとしての職務を始めるに際して「新しい人」(カルヴァン)となるためであった.ここでサタンの誘惑との関連について言及はできないが,恩恵的宗教としてのキリスト教に対する敵対者サタンの誘惑を退けて,神により頼むことを強調されたことは印象的である.<復> (3) 新約聖書における断食.バプテスマのヨハネは弟子たちに断食を命じたが(マルコ2:18,ルカ5:33),イエスは花婿である御自身とともにいる時に,その必要を否定された(マタイ9:14,15,マルコ2:18‐20,ルカ5:33‐35).さらにイエスは,パリサイ人たちの偽善に関係して,断食している時には「やつれた顔つき」をしてはいけないと命じ,頭に油を塗り顔を洗って断食していることを人に見られないようにし,隠れた所におられる神の御前に行うようにと教えている(マタイ6:16‐18).ユダヤ人は,パリサイ派の指導のもとに,月曜日と木曜日の週2回断食していた(ルカ18:12).しかし,初代教会と続く時代のキリスト教会は,週2回の断食の習慣を水曜日と金曜日に続けていたようである(「ディダケー」8:1).<復> 幼子イエスを連れた両親が宮詣での折に出会った,年老いた女預言者アンナは「宮を離れず,夜も昼も,断食と祈りをもって神に仕えていた」(ルカ2:37).また,主イエスも,弟子たちが悪霊を追い出せなかった時,「この種のものは,祈りと断食によらなければ出て行きません」と,断食と祈祷の結び付きを教えられた(マタイ17:21)(ただし,このテキストについては写本上の問題がある).アンテオケ教会は神の啓示に従って,バルナバとサウロ(パウロ)を宣教師として異邦人伝道に派遣するに際して,「断食と祈りをして」,任職式を行った(使徒13:3).悔い改めや罪の赦しや病のいやしを祈願する時ばかりでなく,神の宣教事業の画期的な進展に直面した時,パリサイ的な偽善とは全く異なった理由で,すなわち,祈りに専念するために断食が行われた.しかしながら,新約聖書においては,旧約的な儀式律法の廃棄や禁欲主義的な教えの拒否と関連して,断食を命じる聖句はない(参照コロサイ2:16,20‐23).<復> (4) 現代における断食の意義.福音の勧告に基づいた生活を目指したキリスト教的修業は,初代教会の信者の間においても,主イエス御自身や使徒たちの勧告に従う生活と受け止められた.それは特に「肉の欲,目の欲,暮らし向きの自慢」(Ⅰヨハネ2:16)との戦いとして典型的に把握され,貞潔・清貧・従順の修業が目指された.3世紀以降,独住の修道生活をする隠遁者たちが出現し,やがて共同的な修道院制度へと発展する.教会の歴史は彼らの極端や誤謬を証言するが,目標とされたキリスト教的な節制の修練は,多くのプロテスタント教会においても霊性の回復が叫ばれている現在,経済的物質的豊かさのただ中に生きるキリスト者にとって避けて通れない課題であろう.全く世俗的な生活を続ける中で,どれだけ献身とか自己奉献が口先で語られても,むなしい言葉として響いていないだろうか.もちろん,ここで修道生活と断食が必然的な関係にあったなどと言おうとしているのではない.比較的貧しい生活環境の中にあった信徒たちにさえ,使徒たちが命じた「衣食があれば,それで満足すべきです」(Ⅰテモテ6:8)との勧告に見られる節制が,今の時代,特に重んじられなければならない.(山崎順治)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社