《じっくり解説》宗教(神)学とは?

宗教(神)学とは?

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宗教(神)学…

1.宗教経験と宗教学.<復> 私たちが福音をあかしし,宣教する時,どのように行うだろうか.(1)聖書を共に読む,(2)主イエス・キリストの(十字架の)話をする,(3)教会に誘い,礼拝を共に守り,聖餐式や洗礼(バプテスマ)式を見てもらう,(4)牧師に紹介し教会生活の説明をしてもらう,(5)礼拝や家庭集会などに誘いクリスチャンの交わりや生き方を見てもらう,等の方法をとるだろう.なぜならキリスト者を初め宗教者には,(1)語るべき何か(神話,伝説,物語など),(2)信じるべき何か(教理),(3)参加して行うべき何か(儀式),(4)生活の中で行うべき何か(倫理),(5)共に集い励まし合う何か(宗教集団),(6)救いの経験など宗教経験そのもの,がある.これら六つの要素すべてが,宗教者にとって重要である.キリスト者を例にとるならば,「十字架の救い」という言葉によって示される,神によって生かされているという「宗教経験」こそ大切であり,他の五つはこの宗教経験を確かめ,維持・永続し,深め,伝達・宣教するのに役立つという性格を持つ.「宗教経験」の伝達を言葉によらず,以心伝心によって儀式や生活を通して行おうとすれば,密教の伝統が生れる.一方,その「宗教経験」を言葉で表そうとするなら,伝える道具として神学が発展し,神学を学ぶことは神をよりよく理解し,神の愛する人間をより深く理解する試みとなる.このように,「宗教経験」に根付いた人間の営みすべては,宗教活動であり宗教学の対象となる.<復> 2.宗教の定義.<復> 一般に宗教とはどのように理解されているのだろうか.『広辞苑』によると,宗教とは「神または何らかの超越的絶対者,或いは卑俗なものから分離され,禁忌された神聖なものに関する信仰・行事またはそれらの連関的体系」である.しかし厳密な定義となると,実に多様であり『宗教の定義をめぐる諸問題』(文部省,1961)という本まで著されている.多くの宗教者は,広辞苑の定義では自分の内に持つ「心の熱くなる思い」について触れられていないのを歯がゆく思うであろう.また,L・フォイアバハ(フォイエルバッハ)などのように宗教経験のない(ないしは否定する)無神論者は,「宗教とは社会の経済的構造を反映し,社会の現状を維持するために,為政者が考え出したもの」であると信じているので,神あるいは超越的絶対者があたかも実在するかのような定義には納得がいかないだろう.定義するということは,対象としての「宗教」をどのように見ているのかを反映しており,個人の体験,時代思潮,及び宗教経験が反映されている.諸宗教学者を,宗教に関する興味を視点として三つのグループに大別しよう.<復> (1)宗教の発生に興味を持つグループ:L・フォイアバハ,M・ミュラー,E・タイラー,S・フロイトなど.(2)宗教の果す機能に興味を持つグループ:E・デュルケーム(宗教とは,本質的に社会を維持するために必要であり,社会の現状を維持するように機能する.この機能なしには人間はアノミー〔無秩序〕となって自己崩壊する,と述べる),M・ヴェーバー(社会の現状を維持するという機能以上に,宗教が社会の改革を促進する大きな力となり得ることを指摘する),B・マリノフスキ,T・パーソンズ,T・ルックマン,C・ギアーツなど.(3)宗教の本質的な内部的性質に興味を持つグループ:R・オットー,M・エリアーデなど.<復> なお,機能的な宗教の定義の代表としてC・ギアーツの定義を記しておく.「宗教とは,①象徴の体系であり,②人間の内において強力な,広くゆきわたる,しかも,永続するムードと動機付けを確立する.③その確立の方法は,存在の一般的な秩序という概念を形成することによってであり,④その概念がまさに事実であると信じるように包み込むことによってであり,⑤その結果,ムードや,動機付けがまさに現実的であると信じさせ得る体系である」.ギアーツはこの定義の説明のために「文化体系としての宗教」という論文を書いている(『文化の解釈学』Ⅰ,Ⅱ).<復> 3.宗教学と神学.<復> 「神の見えない本性は被造物によって知られている」(参照ローマ1:20)という主張が聖書の中にあるが,被造物を通しての一般啓示と神から直接いただく特別啓示との関係は,宗教学と神学との関係としても知られている.広辞苑の,宗教学の定義はすでに記したが,神学は「宗教ことにキリスト教の真理による教理や信仰生活の倫理を組織的に研究する学問」と定義されてある.キリスト教は歴史の当初から,ユダヤ教,グノーシス主義を初めとするギリシヤ諸宗教,またローマ皇帝崇拝を含むローマ諸宗教と次々とかかわりを持ってきた.また,近年の世界宣教の発展とともにキリスト教と他の宗教との出会いが増えてきた結果,諸宗教と神学とのかかわりを整理することが宣教学の課題ともなった.そのかかわり方を三つに類型化することができる.<復> (1)排他主義:ユダヤ教の伝統の中ではぐくまれ唯一神信仰を土台とするキリスト教の立場から他宗教に臨み,それらをすべて真実な神を見ることのできない間違った宗教として排撃する.伝統的にはこれが主流であり,近年においてはH・クラーメル(クレーマー),J・H・バーヴィンク,S・ニール,L・ニュービギン,J・N・D・アンダーソン,並びにK・バルト等がこの立場をとる.(2)多元主義:被造物を通して神を認識し得ること,信じ得ることを認めるが,神認識及び神体験において,キリスト教が一番優れている(本道である)と主張する.この立場に立つ者はE・トレルチュの言う「キリスト教の(相対的)絶対性」を信じ,J・ヒックによるならば,神学のコペルニクス的転換によって次第にこの立場が増える.近年盛んになってきた立場である,J・ヒック,N・スマート,W・C・スミス等がこれに属する.(3)包含主義:世界中のどの宗教を通してでも神を知ることができるが,その宗教を究めるとキリスト教に近付いてくると主張する.つまり,キリスト教の真実さの一部が多少なりとも各宗教に含まれており,人がその宗教を信じることは部分的にキリスト教を信じることになるという立場である.キリスト教史においては,2世紀の殉教者ユスティノスや彼の影響を受けたロゴス・キリスト論を信じる者たちもこれに近い.近代ではF・マックス・ミュラーや,「無名のキリスト者」を信じるカトリックの神学者カール・ラーナーの立場でもある.<復> 4.宗教の神学.<復> 神学と宗教学のかかわりは,近年「宗教の神学」という学問分野を生み出した.これによると神学と宗教学は相補関係にある.神学が神学である以上,どんなに弱められていても特別啓示の唯一性を主張する.この主張はある「宗教経験」に基づいたものであるがゆえに,その神学を保持する人の言動は宗教学の対象となる.また,キリスト教の神が全世界を造った以上,諸宗教も神の関与や許しのもとで存在する.従って,その宗教の存在やそれを信じる人々の存在は神学の対象となる.このように,宗教学と神学との相補関係を認めた上で諸宗教を神学的に位置付けようとするのが「宗教の神学である」(P・バーガー『聖なる天蓋』を参照).→諸宗教とキリスト教,比較宗教.(金本 悟)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社