《じっくり解説》主日とは?

主日とは?

主日…

[ギリシャ語]kuriake~ he~mera,[英語]Lord’s day.<復> 日曜日のこと.聖日とも言う.教会暦による名称である.<復> 1.その起源.<復> [ギリシャ語]kuriake~ he~meraは新約聖書の中で1回だけ使われている(黙示録1:10).その起源についてはユダヤ教の「安息日」と密接な関係を有している.すなわち,1週7日のうちの1日を聖なる日として定め,神を礼拝し,休息の日とすることに関する旧約聖書の律法とのかかわりにおいて守られていた(出エジプト16:23,20:11).しかし,ユダヤ教における週の第7番目の日の「安息日」が,キリスト教において,「主の日」として週の第1番目の日に移行した経緯については明らかではない.恐らく移行の過程は緩やかで1世紀の後半から2世紀の半ばまで要したと推察される.初代教会の使徒たちは主イエスの復活を記念して,週の初めの日に共に集まり,共にパンを裂き,主に礼拝をささげていた(使徒20:7)が,これらの使徒たち(ユダヤ人キリスト者)は同時に1週間の第7番目の安息日を守っていたと考えられる(使徒13:14,27,42,15:21,17:2,18:4).P. Cottonは,「ユダヤ教の安息日の性格がキリスト教の日曜日において模倣されていた.すなわち,日曜日は安息日のように喜びと祭の日と見なされていて,その日には断食が禁止されていた」(From Sabbath to Sunday, pp.92,93).「安息日」がユダヤ人にとって,世界創造の記念であり,創造の6日の後の神の休息とエジプトにおける奴隷の境遇からの解放についての週ごとの記念である(創世2:3,出エジプト20:11,申命5:15)と同様に,キリスト者にとって,「主日」はキリストの復活の記念であり,キリストのみわざと人類の罪のなわめからの解放についての週ごとの記念であると言える.<復> 2.新約聖書における「主日」.<復> 「主日」に関する記述が新約聖書の中において非常に少ないのは,使徒たちの生活の中にユダヤ教の影響が根強く残っていたからであると言える.しかしながら,使徒たちが「週の初めの日」を「主日」として守り始めた兆候を新約聖書の中で3箇所挙げることができる(Ⅰコリント16:2,使徒20:7,黙示録1:10).<復> Ⅰコリント16:2には,エルサレム教会への義援金を集めることを指示するに当って,「いつも週の初めの日に」と,定期的に集まり,礼拝をしていたことをうかがわせる表現がある.<復> さらに,使徒20:7には,パウロたちがトロアスで「週の初めの日に…パンを裂くために集まった」と記されている.当然,ここでも主への礼拝が伴っていたことは容易に推測される.しかも,この聖句がヨハネ20:19の表現「週の初めの日」([ギリシャ語]mia sabbato~n)と同一であることから,主イエスが御自身の復活の日に弟子たちと会われたその日がやがて初代教会の使徒たちによって教会の定められた集会の日すなわち「主の日」として守られるようになったことがわかる.そして,それが2世紀,3世紀へと伝えられていったと考えられる(イグナティオス「マグネシア人への手紙」9:1‐3;ディダケー14:1).<復> 黙示録1:10では,使徒ヨハネが地中海のパトモスの島で御霊に感じて主イエス・キリストの黙示を受けた日を主の日([英語]Lord’s day,[ギリシャ語]kuriake~ he~mera)としている.この「主の日」を旧約聖書や新約聖書に繰り返して出てくる「主のさばきの日」(the day of judgment)ととるか,あるいは,文字通り「主日」ととるかについては,学者間で意見が分れるところである.しかし,キリストの復活によって聖められた日に,ヨハネはよみがえりの主からこの幻を受けたと理解するほうが自然であると考えられる.<復> 3.異教の影響による「日曜日」.<復> 「週の初めの日」を「日曜日」(Sunday)と呼ぶようになったのは,異教の習慣によるものである.すなわち,古代バビロニアの占星術に起源を有し,惑星を礼拝の対象とすることに由来している.そこでは,1週の初めの日である「日曜日」は,太陽を拝む日と定められていた.紀元1世紀頃には,ユダヤ教もキリスト教もこの呼び名を避けていたが,2世紀に入ってクリスチャンたちが使い始めたようである(Justin Martyr‐First, “Apology,” ch. 67, The Ante‐Nicene Fathers, Vol.1, p.186.)<復> 4.使徒時代とそれ以降の「主日」.<復> 使徒たちがユダヤ教の影響を強く受けている反面,「主日」が新しくキリスト教の習慣へと移行していく過程を福音書記者たちの証言の中に見ることができる.すなわち,「週の初めの日に」という句が四福音書にそれぞれ主イエスの復活の日とのかかわりにおいて使用されている(マタイ28:1,マルコ16:2,ルカ24:1,ヨハネ20:1,19).この事実から,ユダヤ教の厳しい伝統のもとにあった使徒たちの「安息日」に対する新たな姿勢を読み取ることができる.<復> 使徒ヨハネの弟子でありアンテオケ教会の監督であったイグナティオスは,2世紀の初めにマグネシア人に宛てた書簡の中で,ユダヤ教を背景にしたクリスチャンたちに対し「…新しい希望を持っている人々はもはや安息日を守るのではなく,主の日(the Lord’s day)を守って生きるべきである.この日こそ私たちのいのちが主キリストとその死によって生き返らされたのであるから」と書いている(「マグネシア人への手紙」9:1‐3).<復> 321年ローマ皇帝コンスタンティーヌスは,キリスト教の日曜日に新しい位置付けを与えた.それまでクリスチャンだけが礼拝の日あるいは休息の日として守っていた日曜日が,休息の日として公的に定められたのである.カイザリアの監督であり歴史家であるエウセビオスはこのコンスタンティーヌスの勅令を強く称賛している(Life of Constantine, BK Ⅳ, ch. 1).<復> 2千年の教会史を通して「主日」の解釈については多様な見解が出されているが,大別して次の三つの見解にまとめることができる.安息日厳守主義(sabbatarianism),教会万能主義(ecclesiasticism),信仰至上主義(antinomianism).しかしながら聖書的見解は,これらをそれぞれ統合したものとして考えられる.すなわち,キリスト教は旧約聖書にその根を有しているのであるから「日曜日」も旧約聖書の「安息日」の律法からの適用がなされる.さらに,新約聖書は「週の初めの日」がキリストの復活と弟子たちへの顕現によって「主日」(the Lord’s day)として定められたことを示している.(丹羽 喬)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社