《じっくり解説》状況倫理とは?

状況倫理とは?

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状況倫理…

規範体系としての倫理を否定する現代の倫理理論.善悪は道徳規範のような普遍的定式によって規定することはできず,行為のその時々の特殊で一回的な状況の中でのみ明らかになると説く倫理教説である.<復> 1.善悪を状況の事実関係によって変るものとする状況倫理的主張は,西欧において古代から存在したが,現代の状況倫理の直接の源泉は,普遍的なものと対決して個別的なものの重要性を強調したセーレン・キェルケゴールの実存主義的哲学や神学にまでさかのぼることができる.状況倫理が現代の支配的な倫理思想の一つになっているのは,現代人の多くが互いに対立する多様な道徳規範体系に不信感を抱き,また現代社会の複雑な状況の中では道徳規範は行動の指針の役割を十分に果し得ないという認識を受け入れているからである.<復> 普遍概念による善悪の規定を断念することによって,状況倫理は普遍的な善悪の体系化という倫理学の学問としての可能性を放棄する.すなわち,倫理学という学問形式には至らず,個別的な行為の選択に関する倫理的問題を一面的に強調する一つの倫理的立場にとどまっているのである.<復> 哲学的倫理学と神学的倫理学の双方の領域に状況倫理は存在するが,状況倫理の提唱者は前者よりも後者の領域に多く見出される.道徳的要求とは,決して一般化されることのない神の個別的な意志に対する服従によって決定されるというのが,聖書の教えである.従って,神の個別的意志への服従と聖書の道徳的規範への服従は,同一視すべきものではない.普遍的な形式において善悪を規定した道徳規範への服従が,「ここで今,私がなすべき」最善の行為を求める神の個別的な意志と混同されるならば,道徳規範への服従は神の個別的な意志への不服従の口実となる.最悪の場合には,「殺してはならない,盗んではならない」という禁止命令さえ守っていれば神の御心に服従していることになるという自己満足を生み出す.状況倫理は,道徳規範は神の個別的な意志を普遍性の形式の中に閉じ込めるゆえに,何ものにも拘束されない神の主権的意志を否定し,人間の真の自由な意思決定を阻害するものであるという誤った結論を引き出した.<復> 2.神学的状況倫理はジョウゼフ・フレッチャーの倫理思想によって大衆化された.フレッチャーによれば,キリスト教倫理においては,愛だけが唯一の規範である.「他の人を愛する者は,律法を完全に守っているのです」(ローマ13:8)というパウロの倫理的勧告から,彼は愛の道徳原則だけを絶対化し,この道徳原則からいかなる普遍妥当的な道徳規範も引き出すことはできないと主張した.十戒(十のことば)さえもその例外とは認められない.<復> 愛の戒めと聖書の道徳規範とは矛盾するという彼の立場は,愛の功利主義的な理解に基づいている.行為の善悪は行為が生み出す結果の善悪によってのみ規定されるとする功利主義的原則に従えば,隣人の善を欲するキリスト教的愛とは,特殊な状況下にある隣人に対して最も好ましい結果を与える行為を意味する.その際,道徳規範がそのような結果を与える手段として有効であるか否かは,隣人の状況に依存している.例えば禁止命令を守ることが好ましい結果を生むこともあるが,状況によっては,逆に好ましくない結果を生むこともある.従って状況次第で,道徳規範を無視することが愛の行為となり得る.姦淫,盗み,また殺人も常に悪とは言えず,ある状況においては愛の行為になる.<復> フレッチャーは道徳規範を一切拒否しているのではない.けれどもその時々の状況における愛の表現と矛盾する場合には,行為が生み出す結果に対する考慮から,道徳規範の拒否を正当化するのである.それゆえに彼は聖書の道徳規範の普遍妥当性を否定するに至る.聖書の道徳規範が妥当性を持つか否かは,特殊な状況下における行為者の任意な判断にゆだねられる.また行為者の置かれている状況は行為者にしか理解できないとすれば,聖書のすべての倫理的テキストも各自の恣意的な解釈にゆだねられる.<復> 道徳規範の普遍妥当性の要求は,道徳規範相互の間に,目的は手段を正当化しないという原則を確立させていた.しかし,状況倫理が道徳規範の普遍妥当性を否定するならば,この原則も否定され,隣人に善を付与することができるならば,いかなる道徳規範の違反も正当化される.また愛以外のすべての目的とそれを実現する手段とが,相対化されることになる.<復> 3.(1) 状況倫理は,「ここで今,私は何をなすべきか」という個々の行為の道徳的判断を聖書の道徳規範から直接導き出すことができないことを強調しているが,そのこと自体は誤りとは言えない.ただし状況倫理は道徳規範を無視して,個々の行為の道徳的判断を直接道徳原則から引き出そうとした.しかし個別的な行為の道徳的判断は道徳規範のみによってなされるわけではないが,道徳規範は適切な道徳的判断にとって必要不可欠なものである.道徳規範が存在しなければ,行為者はその時々に数多くの選択肢に直面し,道徳的判断を下すことが困難になる.道徳規範はあらゆる可能な選択肢の中からなすべきでない選択肢をあらかじめ排除し,なすべき選択肢の可能性を具体的に明示することによって,適切な道徳判断を可能にするのである.<復> (2) 状況倫理は行為の善悪を規定するものとして,単独の人間が置かれている歴史的状況の特殊性を強調するが,行為の善悪はすべての人間に共通する状況によっても規定される.人間が神と隣人に応答し,自己と自然に直面している動かしがたい人間の共通の状況は,一つの不変の構造を持っている.この不変の構造の中に存在する恒常的規則性をことばによって定式化したものが,聖書の道徳規範である.単独の人間の置かれている歴史的状況は人間に共通の状況に基づいて解釈されなければならない.個々の行為の道徳的判断はあらゆる場合に道徳規範に拘束されるわけではないが,人間に共通の状況の中にある恒常的規則性と触れ合う場合,道徳規範と矛盾した道徳的判断が下されることはあり得ない.<復> (3) 状況倫理は愛の道徳原則を聖書の様々な道徳規範と対立させているが,愛の道徳原則と道徳規範は原則的に対立するものではない.聖書における愛の具体的な規定内容は,道徳規範において明示されている.道徳規範によって愛の内実が明示されていなければ,聖書の愛は主観的に解釈され,キリスト教の愛と全く性質を異にするものが愛の名のもとに正当化されるに至る.キリスト教の愛の純粋性は個々の道徳規範の内容によって保持されなければならず,キリスト教の愛が道徳規範に違反するというかたちで示されることはあり得ないのである.→キリスト教倫理,善,悪.<復>〔参考文献〕K ・H ・ボルムート『状況倫理について』いのちのことば社,1975;J・フレッチャー『状況倫理—新しい道徳』新教出版社,1972.(多井一雄)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社