《じっくり解説》家庭集会とは?

家庭集会とは?

家庭集会…

1.家庭集会の聖書的裏付け.<復> 新約聖書の時代には,集会もしくは礼拝は「家の教会」(使徒12:12,ローマ16:3‐5,Ⅰコリント16:19)で行われた.イエス御自身が,しばしば個人の家庭に入って,恵みのことばを語っておられる.家庭が開放されると,そこが主のみわざの展開される場として用いられた.主はまた弟子たちを伝道に遣わすに際し,彼らを受け入れてくれる家があれば,そこを拠点として働くようにと命じられた.現在のような教会堂ができたのは,ずっと後代になってからである.<復> 2.現代における家庭集会の意味.<復> 個人主義が浸透し,核家族化やマイホーム主義が普通の現代にあって,人はますます孤立し,触れ合いが希薄になり,寂しい存在になっている.群衆の中の一人ではなく,かけがえのない一人として受け入れられ,認められ,尊ばれることを切に求めている.そうした時代に,キリスト者家庭が,その家を開放して人々を招き入れること自体が,大きなあかしとなる.人々は,ひざを突き合せて耳を傾けてくれる人を求めている.家庭集会は,古くからある方法であるが,実に現代にマッチした方法でもある.<復> 全世界的に,こうした方法による伝道,教育が豊かに用いられ,実を結んでいる.教会成長学においても,スモール・グループ(小グループによる学びと交わりの方策)の重要性が認められている.<復> 3.家庭集会のあり方.<復> 家庭集会の方法も,教会によって様々な形態をとっている.指導者,対象,回数,内容等々.大切なのは,家庭集会は教会活動の一つであることを忘れてはならないということである.教会の外の,もう一つの教会のような存在になってはならない.具体的には,次のような注意が必要である.(1)家庭集会をスタートさせるに際しては,教会の牧師と相談し,報告し,助言を受ける.(2)教会行事との兼合いを考え,差し支えのない時間帯,方法を選ぶ.(3)出席人数,新来会者,求道者,その霊的な状況などを教会に報告する.(4)教会の働きの一つとして,教会員にもアピールし,祈りに覚えてもらう.(5)家庭集会に出席する未信者を,教会の伝道会や他の行事などに誘い,教会に結び付くように配慮する.<復> 4.家庭集会の祝福.<復> 家庭集会は教会の働きの一つであるとはいっても,決った形式があるのではない.それぞれの家庭集会に,それぞれの雰囲気と特徴があってこそ恵まれる.集まって来る年代層,顔触れで様々な形が出てくる.要は,教会にも,聖書にも触れたことのない人々に,それほどギャップもなく,くつろいでキリスト者や聖書に出会う機会を与えることである.そこでは教える人,聞く人という色分けはいらない.参加者全員が,自由な雰囲気の中で自分の思ったことを語れる.何を言っても批評されたり責められたりしない.日頃の疑問や悩みも語れる.生活に密着した話題の中で,聖書の中に答があることを具体的に見せる良い機会である.多くの人が,こうした中から求道心を与えられ,信仰に導かれている.<復> 5.家庭集会のリーダー.<復> 牧師が導く形式の家庭集会が多い.しかし,こうした働きにおいては,信徒が主導権をとってリードする時,多くの恵みが信徒にも参加者にも与えられる.また,そのようなリーダーを育てることが,教会の,また牧師の責任である.完璧なリーダーはどこにもいない.訓練を受け,経験を積み重ね,学びを通してリーダーは生み出されていく.リーダーに求められる成長は,霊的成長,知的成長,情緒的成長である.日々の個人的なデボーション・ライフによって,主との生き生きとした関係を保っていること,聖書の基本的な教えに通じ,自分で聖書から主の語りかけを汲み取る方法を学んでおくことは大切である.また,家庭集会にくつろいだ雰囲気をかもし出し,人々への受容的な態度を持っていることも大切である.すぐに感情的になったり,批判的な態度をとったりしない品性が求められる.こうしたことを目標にして,自己訓練を積むことである.<復> 6.家庭集会の内容.<復> (1) 聖書の学び.家庭集会において,聖書は最も大切な中心のテキストである.聖書を読み合うだけでも大きな祝福となる.共に意味を考え,実生活への適用を語り合う時,聖書は今も生ける神のことばとして迫って来る.<復> (2) 祈り.真の神は,教会だけでなく家庭にもおられて,祈りを聞いて下さることは何と大きな祝福であろうか.普通のことばで親しく語りかけることのできる全能の神を信じている恵みは大きい.自分のことはさておき,お互いのため,他の人々のために心から祈る時,未信者は驚きと感動を覚える.家庭集会でも,遠慮せずに祈ろう.新しい人々にも祈ることを勧めよう.また,祈りに主がどのように答えて下さったかをあかししよう.<復> (3) 交わり.キリスト教は「交わりの宗教」であると言われる.何よりも生ける神との交わりが中心である.神との交わりの中で,他のキリスト者との交わりが生れてくる.神との交わりが土台となって,互いの交わりが可能となる.神を見失った交わりは,もはや主にある交わりとは言えない.主にあって,主の名によって交わる時,個性,好み,社会的立場,教育程度,生活環境などは,もはや問題ではなくなる.<復> 家庭集会も,未信者がそこに集まっているとはいえ,主による集りである.すべての隔ての壁を超えて交わるものでありたい.<復> 時に家庭集会が,うわさ話の温床になることがある.交わりにもルールがある.そこにいない人の批判や,本人にすれば話題にしてほしくないことは決して語らない.礼儀をわきまえないと,家庭集会が祝福ではなく,つまずきの場となってしまう.<復> 7.家庭集会と伝道.<復> 家庭集会は,伝道のためのすばらしい機会である.近所の知合い,友人を誘う.人間関係こそ伝道のための豊かな漁場である.教会の集会に何らかのかかわりを持つ人々を,家庭集会にまず誘うことも,伝道の良い機会となる.教会を挙げて家庭集会の数を増やし,内容を充実させ,リーダーを訓練し,出席者のために祈り配慮する時,教会は大きな祝福を受けることとなる.<復> 新興宗教や異端的なグループは,家族単位で信徒を獲得することを目指して活動している.巧みに家庭に入り込んで,その家族をとらえている.こうした状況の中で,教会が,ただそこにやって来る人だけを待っていて,伝道していると思い込むなら災いである.「全世界に出て行き,すべての造られた者に,福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:15).魂をとらえるためにはどんなことでもする.そうした姿勢が,今こそ求められる.家庭集会は,まさに人々のいるその場に出て行って福音を伝え,魂をとらえる良い方策なのである.→家の教会,教会・教会論,伝道,あかし(証言).(横山幹雄)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社