《じっくり解説》子供の養育とは?

子供の養育とは?

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子供の養育…

1.その責任と特権.<復> 「見よ.子どもたちは主の賜物,胎の実は報酬である」(詩篇127:3).神の賜物としての子供の存在は,親にとって大きな喜びであり,その養育に携われることは,この上ない特権である.神が,その親を信頼して委託されたのである.子供は決して親の私物ではない.神の委託に応えて,神と人とに喜ばれる者に育て上げることによって,神にお返ししていくわざが,養育の仕事である.そこに大きな責任がある.<復> 2.養育の内容.<復> 「イエスはますます知恵が進み,背たけも大きくなり,神と人とに愛された」(ルカ2:52).肉体的な成長,知的な成長,社会的な成長,人格的な成長,霊的な成長等を助けることが,子供の養育の内容である.それらの責任はまず家庭において,両親の手によってなされる.また社会,学校,教会などの補助的な力によっても支えられる.今日,家庭教育が後退して,学校教育が前面に出,強化されている.もともと学校教育は,家庭教育を補助する立場にあった.聖書が教える子供の養育の責任は,家庭に,その両親にある.キリスト者家庭においては,この真理を真剣に受け止め,実行していかなければならない.<復> 子供の成長の中で,基本となるものは霊的成長である.神を恐れ,神を愛する子供として養育する責任が,親に与えられている.<復> 3.その行く道に従って.<復> 「若者をその行く道にふさわしく教育せよ.そうすれば,年老いても,それから離れない」(箴言22:6).子供が生涯変らず真の神を信じ,神に従って生きるように,親は教育しなければならない.これが神の親に対する命令である.「これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい.あなたが家にすわっているときも,道を歩くときも,寝るときも,起きるときも,これを唱えなさい」(申命6:7).「子供にも人格があり,選択の権利があるから,将来,自分で選べる時まで放任する.信仰は強制しない」という意見がある.しかし,これは正しくない.放任主義は,無神論,自己中心,世を愛する,真理からの逸脱という結果を刈り取ることになる.親が子供を信仰に導かなければ,この世とサタンは総力を挙げて子供を不信仰に導くのである.<復> この重大な責任を果すに当っては,その親の信仰が問われる.親がまず神を恐れ,神を愛して,神第一の生活をしなければならない.日々みことばに生かされ,祈りをささげているかどうか.親の信仰がごまかしであり,そのことばと行動に一貫性がない時,子供は鋭くその偽善を見抜き,反抗する.もちろん,親の信仰にも弱さがあり,誤りがある.そのことばや行動が間違っていることもある.夫婦が対立し,口論することもある.しかし,そのような場合も,互いに正直に自分の非を認め,神の前に真剣に悔い改めるなら,子供は信仰に生きる親の姿をそこに見るのである.<復> 4.個人差は神の創造の美.<復> 子供たちには,それぞれの個性,個人差がある.それを見極め,受け入れていかなければならない.神が子供に与えられた個性を喜び,楽しみ,受け入れる.時にそれが困難に思える場合でも,万事を益とされる神を信頼して受け入れる信仰の従順が必要である.他の子供と見比べて一喜一憂することなく,神の最善をそこに見ることである.子供の成長には様々な時期があり,その時その時に特有の反応,態度をとることも知っているべきである.また,それぞれの時期に親としてどのような対応をすべきかを知ることも大切である.授乳期,離乳期,幼児期,小学期,中学期,高校期など.子供は,様々な時期を通り過ぎながら,時間をかけて育っていく.子供の養育には時間がかかることを知っておくべきである.<復> 5.主の教育と訓戒によって.<復> 「父たちよ.あなたがたも,子どもをおこらせてはいけません.かえって,主の教育と訓戒によって育てなさい」(エペソ6:4).「父たちよ.子どもをおこらせては(欄外注「いらだたせては」)いけません.彼らを気落ちさせないためです」(コロサイ3:21).<復> 子供を養育する時,子供はしばしば親の権威に反抗し,しつけを拒むことがある.その原因が両親にある場合が多い.<復> (1) 一貫性がない時に,子供は反抗する.家庭には守るべきルールが必要である.少なければ少ないほど良いが,それを破った場合必ず何らかの罰を与えなければ意味がない.しかしその罰も,日によって,あるいは親の気分によってあったりなかったりでは,子供はいらだってくる.<復> (2) 親の偽善を見る時,子供は怒る.親も子も共に未完成である.また,親も子供時代には同じ失敗や間違いをしてきた.それを,さも自分が完成した立派な者であるかのように,相手に完全を要求する時,子供はその偽善に反抗する.共通の弱さを持つ者であることを認めることである.<復> (3) 厳しさは必要であるが,しかし厳しすぎてはならない.親の口から出るのは,いつも禁止と,失敗を責めることばばかりでは,子供はいらだち,反抗する.厳しくあると同時に,励ましとほめことばを忘れてはならない.子供の良い面を認めることである.<復> (4) 主の教育と訓戒によって.親も子も,主のみことばに教えられ,戒められ,正され,訓練されていくことである.聖書のみことばこそ,子供の養育の唯一の基準であり,土台である.家族が,聖書こそわが家の従うべき絶対的な基準であることを認め,受け入れ,それに従って訓戒する時,子供は平安を持つ.聖書によらないで,親の都合や感情のままに叱り,指図する時に,子供は反抗する.<復> 6.父と母の責任.<復> 子供の養育における父の責任は重い.養育は妻に任せて,何の責任もとらない夫が多い.「荒馬のひづめの音,戦車の響き,車輪の騒音のため,父たちは気力を失って,子らを顧みない」(エレミヤ47:3).まさにこのみことばの通り,気力を失った父親像が,この時代に見られる.祭司エリは,自分の子供たちを戒めなかった罪を問われた.ダビデ王も,同じ失敗をしている.パウロは,教会の監督の資格の一つに「自分の家庭をよく治め,十分な威厳をもって子どもを従わせている人」を挙げている(Ⅰテモテ3:4).<復> 子供の養育における母親の責任も大きい.「女が慎みをもって,信仰と愛と聖さとを保つなら,子を産むことによって救われます」(Ⅰテモテ2:15).女にとって,子を産み育てるという仕事以上に光栄ある,しかし重い責任はない.信仰のわざとして子供を産み育てる必要がある.それは決して片手間でできることではない.誰かに代ってもらえる働きではない.父親とは異なったこまやかな配慮をもって,全力を挙げて子供の養育に当るものであってほしい.→家庭生活,クリスチャン・ホーム,家庭礼拝,幼児の救い,献児.(横山幹雄)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社