《じっくり解説》環境についてとは?

環境についてとは?

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環境について…

環境(Environment)とは本来は,生物が活動する生活領域の総体を意味する生物学的・心理学的用語である.生体内部の環境をも意味することがあるが,普通は,生物を取り巻いている外界としての外部の環境を指す.生物の生存と活動に直接的な機能的関連を持つ統一的な外界としての環境は,自然環境と呼ばれる.生物にとっての自然環境は生物ごとの特殊化された機能と本能によって制約されており,同一の生活領域であっても,それぞれの生物の種に従って,異なる自然環境として構成される.各生物はその種においては,どの個体も全く同一の自然環境の中で生きているが,機能や本能が特殊化も専門化もされていない人間の場合には,自然環境に様々な多様な意味を与えることができる.<復> 創世記の記述によれば,人間の自然環境の客観的構成物は,人間の創造以前に造られたすべての被造物である.天とその中にある太陽と月と星,水とその中に住む魚,空とそこを飛ぶ鳥,地とそこに生きる植物と野の獣である(創世1章).人間中心的世界観においては,自然環境は人間と対立する概念としてとらえられているが,本来人間は自然環境を構成している様々な存在と同じく,神の被造物である.自然環境と人間は被造物仲間である.「神である主は,土地のちりで人を形造り」(創世2:7)と記されているように,人間のからだは自然環境と共通の構成要素から成り立っている.また人間は自然環境に対して一方的な依存関係にある.大地や水,また植物は人間がいなくても存在できるが,人間は大地や水,また植物なしには生存できない.しかし人間は自然環境の中に埋没している存在ではない.自然環境を構成している他の被造物とは異なり,神のかたちに従って創造されている.創世記によれば,神のかたちとしての人間に二つの使命が与えられている.第1の使命は「地を従え…すべての生き物を支配せよ」(創世1:28)という命令の中に明記されている.「エデンの園…を耕させ,またそれを守らせた」(同2:15)という神の指令が第2の使命の内容である.第1の使命は,自らの創意に従って自然環境を人間の享受と利用の対象にすることであり,第2の使命は自然環境に対する人間の奉仕的活動である.自然環境に対する支配と奉仕という一見矛盾した活動内容は,生き物に名を付ける(同2:19,20)という行為によって表現されている.人間は自然環境を構成している個々の被造物の最も深い本質をよく知り,被造物仲間としての自然環境と親密な関係を打ち立てていかなければならないのである.このような使命は,人間が自然環境の一部分であるとともに,それを超越した存在であることによって,初めて果すことができる.この使命は,人間の堕落によって廃棄されたのではなく,ノアの契約の際にも再確認されている(同9:2).<復> 人間は自然環境に対する積極的な関与によって,自然環境を社会環境へと変化させる.全面的な自然環境の変革の結果,人間は社会環境を介して自然環境に接するようになっている.近代以後の科学技術の発展によって,人間の社会環境は技術的環境へと急激に変化した.それとともに,自然環境に対する人間の無秩序な介入の中に隠されていた矛盾が顕在化してきた.これが環境破壊また環境汚染,と言われるものである.科学技術を中心とした西欧の近代文化が全世界に浸透するにつれて,環境破壊は地球全体の問題になった.耕地の荒廃,天然資源の枯渇,森林の伐採,土地の砂漠化,種の絶滅,景観の破壊,食物・空気・水質の汚染,放射能汚染,地球の温暖化,オゾン層の破壊,身体や精神の病気,南北問題,人口増加など個別的な環境問題は無数にあるが,これらは相互に複雑に関連していて問題解決を困難にしている.<復> 自然環境は生態学的環境である.自然環境を構成する様々な生物相互に,また無生物的存在相互に,複雑な相互作用が存在する.また様々な生物と無生物との間にも複雑な相互作用が存在する.人間によって自然環境の一部分が破壊されていけば,それと結び付いている他の部分との間に破壊の連鎖が成立する.それとともに自然環境に依存している人間と人間社会が危機に瀕することになる.<復> 生態学的危機の直接的原因は科学技術と経済成長の理念であるにしても,このような危機の歴史的淵源は西欧文化の中核を占めるキリスト教にあるのではないのかという疑問が提出されている.科学・技術史家リン・ホワイトは,神のかたちとしての人間に自然を支配する権能を与えた創世記の人間中心主義が,自然を非神聖化し,万物は人間が利用するために作られたと考える尊大な態度を生み出したと主張した.また彼によれば,キリスト教の中で科学と技術が人間の自然支配の適切な表現形態と解され,キリスト教の直線的な歴史観は,進歩という観念を生み出し,自然を乗り越えていく持続的動因を与えたのである.全く世俗的な科学技術や経済成長の理念の背後に,このようなキリスト教的遺産があると言うのである.生態学的危機の歴史的淵源の問題はホワイトが考えるほど単純ではないが,ギリシヤ哲学の自然観の影響を受けた西欧キリスト教世界の一面的な創世記解釈に基づく人間観と自然観が,現代における環境危機の歴史的原因の一つであることを否定することは困難である.<復> 世界的規模における環境破壊の問題を,本来的には文化を支える哲学的・宗教的精神の問題であると主張する多くの思想家は,自然を神聖化し,神を自然に依存させる多神教,汎神論,アニミズム的宗教,つまり東洋的宗教の中にこの問題の解決を求めようとしている.しかし自然環境にただ受動的に適合する生活態度から問題解決の糸口を見出すことはできない.環境破壊は根源的には人間が堕落して,自然との調和を失ったところから生じている.人間がその欲求を無限に肥大化させ,自然を無制限の収奪の対象とすることによって,自然を人間の様々な欲望を満たす資源としてしか見ないような世界観が生れた.環境破壊を克服するためには,旧新約聖書のみことばの正しい認識を通して,自然に対する人間の正しい関係を確立する以外にはない.「神は見て,それをよしとされた」(創世1:12)と記されているように,自然が人間にとっての価値ではなく,それ自身において本有的な価値と存在意義を持つことをまず心がけなければならない.さらに人間は自分たちのために自然とかかわるだけではなく,自然自身のために自然とかかわる第2の使命が,具体的にどのような活動形態をとるかを慎重に考え,新しい技術と経済のあり方を検討していかなければならない.→創造の教理,人間論.<復>〔参考文献〕L・ホワイト『機械と神—生態学的危機の歴史的根源』みすず書房,1972;J・パスモア『自然に対する人間の責任』(岩波現代選書)岩波書店,1979.(多井一雄)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社