《じっくり解説》シンクレティズム(宗教混合主義)とは?

シンクレティズム(宗教混合主義)とは?

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シンクレティズム(宗教混合主義)…

[英語]syncretism.互いに異なる二つ以上の宗教が相互に接触することによって生じる,一宗教内の変質の過程のことである.この言葉は,古くはギリシヤのプルータルコスが,クレタ島人が共通の敵と戦うために仲たがいをやめて和解するという意味で政治上の用語として使った.宗教上の用語としては,相異する教理や祭儀を並列的に結合させようとする試みとして使われる.<復> 日本では外来宗教と土着宗教との間でしばしばシンクレティズムが起っている.例えば平安時代には,仏教の仏を本地(ほんじ),神道の神を垂迹(すいじゃく)とする説に基づく神仏習合(本地垂迹説)があったし,江戸時代には「隠れキリシタン」が表面上は仏教徒を装い,隠れてマリヤ像を拝んでいるうちに,ついに土着の日本習俗と習合してしまったこと(マリヤ観音)などがあった.<復> シンクレティズムは一つの情報伝達の過程での変質とも考えられるが,その場合,情報の送り手,または受け手の双方の側に原因が考えられる.例えば送り手がメッセージの内容を十分に把握しないで送る場合がある.また逆に受け手が,自分の持つ世界観の中でメッセージを解釈していく時に,本来そのメッセージにはなかった特定の価値を付与する場合もあろう.<復> キリスト教の福音伝達の過程でシンクレティズムが起る場合というのは,福音の本質的部分が受け手の文化の中にすでにあった宗教的要素によって置き換えられてしまう場合である.福音を伝達するとは,文化に制約されない,文化を越えた本質的なメッセージを人々にわかる言葉で伝えることである.<復> 旧約時代のイスラエルがカナン定着後に,先住民のバアル神やアシェラ神の脅威にさらされた時,預言者たちはこれと戦い,抵抗した.新約時代にもローマ帝国には,エジプト,ペルシヤ,バビロンの宗教はすべて入ってきており,実に多様な神々が存在した.初代教会は,これら宗教との間のシンクレティズムの脅威に絶えずさらされていた.ヘブル人への手紙,ヨハネの手紙第1,ヨハネの黙示録にはこれら諸宗教との戦いが描き出されている.<復> 西洋の長い教会史の上でも,宗教的のみならず,政治的,社会的,経済的な要素と福音とは,いつでもシンクレティズムを起す可能性が存在した.現代では,地球大の規模で広がる世俗的ヒューマニズムの要素との間のシンクレティズムが,信仰生活上の大きな問題となっている.<復> 日本では,キリスト教と土着の宗教との間のシンクレティズムは,特に政治的な権力からの圧迫があった時に顕著に起っている.徳川幕府は鎖国により,またキリシタン弾圧により,日本に伝えられて間もないキリスト教を根絶してしまったが,それでも地下に潜伏した「隠れキリシタン」と呼ばれる人々が存続した.その子孫は現在でも長崎県の五島列島などに約3万ほど,キリシタン集落をつくっている.彼らの宗教はカトリック,仏教,神道,民俗信仰などの混合した典型的なシンクレティズムである.彼らはオラショを唱え,カトリック的な洗礼や葬式をするが,家の神棚には天照大神を祭り,集落の神社の氏子でもある.また,仏教徒として寺に所属し,仏壇には先祖の位牌を並べて供養もしている.キリシタン弾圧の時代が終り,明治開国後の信教の自由が与えられた後も,そして現在も,彼らはローマ・カトリック教会に復帰しようとしない.ハビエル(ザビエル)渡来後400年たった1959年にローマ教皇代表と会見した集落のある老人は,「400年間迫害に血を流しながら教えを伝えた祖先に相すまぬ」という理由でカトリック復帰を拒んだ.このように「隠れキリシタン」の宗教の最も基本的な部分は,日本の基層宗教と言われる「祖先崇拝」とシンクレティズムを起しているのである.<復> 明治開国と同時にプロテスタント伝道も始まったが,プロテスタント教会の指導者たちも,日本の基層宗教との間に絶えず緊張を強いられた.日本基督教会の植村正久は,神道の収穫農耕儀礼である新嘗祭(にいなめさい)と合せて,毎年富士見町教会で新嘗感謝礼拝をささげていた.1910(明治43)年の同礼拝の説教の記録に次のようにある.<復> 「それならば,基督者は何ういう順序で日本の善い風俗などを我がものにするかというに,今日行う新嘗祭感謝礼拝などが其の一歩である.日本の風俗や習慣の善い分子を消化し,霊化して,一段立派なものに仕立て上げることである.新嘗祭を基督教化するということを考えて見ると,此の事実のうちに日本に於ける基督教発展の未来記が表れて居る様な心地がする」.<復> 植村の場合には神道習俗を何とかキリスト教化しようとの意図が見られるが,組合教会の小崎弘道の場合は,次のようにさらに深く日本化の方向に進んでいる(1913年).<復> 「人工的に我が国体と基督教との連絡を附けんとするが如きは元より吾人の取らざる所であるが,吾人は自然にその連絡が成立つ事を疑わない.我国は神国であって我皇室は天孫である.其の国体は他の国と其趣きを異にし,皇室皇祖の開き給うた世界無比の国体であるというが,吾人は,如何にこれを解釈すべきか.(中略)宗教的にこれを見る時は我国が神国であって,特別なる恩寵を受けて居る国であると信ぜざるを得ない.而して此の如き信仰は決して基督教の信仰と衝突せないばかりでなく,基督教の信仰によって反って確立せらるるのである」(『小崎全集』第2巻,1938).<復> また昭和期に入ってキリスト教の多くは,国家との間で完全にシンクレティズムを起して″日本的キリスト教″となった.皇紀2600年(1940年)にプロテスタントの全国基督教信徒大会では「神武天皇国ヲ肇メ給ヒシヨリ茲ニ2600年皇統連綿トシテ世々光輝ヲ宇内ニ放ツ此栄アル歴史ヲ懐ヘテ吾等転タ感激ニ堪ヘサルモノアリ本日全国ニアル基督信徒相会シ虔シテ天皇陛下ノ万歳を寿キ奉ル」という宣言を出し,1942年には日本基督教団統理が伊勢神宮に参拝した.さらに1943年には「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督信徒に送る書翰」で「兄弟たちよ,使徒が『おおよそ真なること,おおよそ尊ぶべきこと』を語っているところのものは,単に教会の中なる諸徳について言っているのではない.(中略)全世界をまことに指導し救済しうるものは,世界に冠絶せる万邦無比なるわが日本の国体であるという事実を,信仰によって判断しつつわれらに信頼せられんことを」とも述べている.<復> このように第1期キリスト教到来(16世紀),第2期キリスト教到来(19世紀)のいずれも,日本的な基層宗教とのシンクレティズムを免れなかったという事実は,現代の日本のキリスト教によって大きな反省の材料となっている.→宗教(神)学,諸宗教とキリスト教,日本の宗教,日本の教会史.(稲垣久和)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社