《じっくり解説》婦人の任職とは?

婦人の任職とは?

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婦人の任職…

1986年4月に,日本では「男女雇用機会均等法」が成立・施行され,女性の雇用や名称の使用が社会的に男性と同等の立場で行われるようになった.これは1960年代のアメリカで起きた,いわゆる婦人解放運動の,日本社会における適用と言うことができる.女性であることやその社会的地位,あり方が,従来の男性優位の社会的構造に代り,対等の立場で点検を迫られることになったのである.徐々にではあるが確実に,女性と男性の正しい関係が,平等という価値観の下で問い直され,伝統的なあり方が崩壊してゆくことになった,とも言えるのである.<復> こうした女性の地位向上の世界的な潮流の下で,「婦人教職」の課題が取り上げられ,教派教会の各領域で活発に論じられるようになった.<復> 2千年に及ぶキリスト教の歴史において,女性が教職に任じられるということは,例外的な場合を除いてはなかった.その理由はⅠテモテ2:11以下に示される婦人観にあり,また歴史的にも例えば初代教父が述べているように,「女性は,人類の堕落の首唱者であって,男性の前に立つべきでない」とされたことにある.ギリシヤ思想も加えて,「女性は弱い器であり,男性こそ女性を守るべきものであり,女性は男性に従うべきものである」としたのである.<復> こうして中世のキリスト教会における女性観は一般的には,次のようなものとして確立された.「女性は,理性においても,判断力においても,男性に比して劣る.男性に対し女性が教えることはすべきでない.むしろ,女性は男性のために造られ,存在している」と.そして,神のことばは男性に対して与えられているのであり,教職者が男性に限られるのは当然であって,女性が教職者に召されるということはあり得ないこととされていたのである.<復> このような女性の教職不適当論は,16世紀に宗教改革が行われ,プロテスタント教会が生じても,事情は変らなかった.女性教職否定論への改革は全く行われていない.<復> 以上の,女性教職に関する否定的見解が歴史を通じて教会の基本的認識であった,ということが,即,キリスト教において女性の地位が男性に比べて人間以下に扱われていた,ということではもちろんない.一般社会における劣悪,非人間的な女性観に対し,キリスト教会は,福音の示す解放的な内容と性格の下に,当初から女性について優れた認識と地位を提供してきた.そして,そのことのゆえに,優れた女性のキリスト者がキリスト教の歴史と教会に登場し,男性キリスト者とともに活動をしているのである.<復> しかしながら,それでは女性は教職者に任じられ得るか,という問に対しては,常に否定的であった.前述したように,女性は霊的にも知的にも,男性と比較した場合,劣るとされていたために,男性の下に指導を受けるのが神の秩序とされていたからである.こうして女性教職を否定するという点では,ローマ・カトリック教会もプロテスタント教会もユダヤ教も同一の立場に立っている.<復> 教義学的な理由を列挙すれば,(1)三位一体の神の男性性(ヨハネ1:18等),(2)創造の秩序における男性の優位性(創世2章),(3)キリストの受肉における男性性(ヨハネ3:16),(4)12使徒の男性性(使徒1:13等),といったことが指摘され,教会で女性を教職者に任命し,教え支配する地位を女性に与えることは聖書的ではない,とされてきたのである.<復> 20世紀の後半を迎え,男性優位の伝統社会に刻まれた「性差別」の現実に,「対等」のメスが入れられるようになり,女性に対する社会的評価と地位を男性と同等のものにするために,女性解放と地位向上の潮流が既成の価値観に押し寄せてきた.<復> 欧米の伝統的教団において,近年,女性教職が性差別の撤廃という視点から大きな課題とされ論議を呼び,次第にその門戸を開き始めようとしているのが今日の状況である.<復> 女性教職を容認する聖書的根拠は,(1)福音の下にあるキリスト教会においては,女性と男性といった性の差別は存在していないこと,(2)12使徒と同様に,復活の証人として女性が用いられているという事実,(3)ペンテコステ及び教会の出現においても,女性は男性のキリスト者とともに存在し活動していること,(4)預言の賜物は,男性と同様,女性にも付与されていること(使徒2:17),(5)女性の共働者の存在(ピリピ4:3),(6)女性使徒ユニアの可能性(ローマ16:7の解釈上可能とされる),(7)女性執事フィベの存在(ローマ16:1),である.<復> しばしば女性教職否定論の論拠とされる,パウロの女性像についてのⅠコリント11:3,8,9等の箇所は,コリント教会の霊的無秩序の原因となった女性,といった特殊な状況を考慮すべきであって,普遍化することには慎重でなければならない,とされる.<復> 有力な否定論の聖書的根拠は,(1)創世2:18の「助け手」としての女性のあり方の理解,(2)Ⅰテモテ2:8‐15の,女性は教えることと支配することが禁じられている,との解釈にある.<復> 近年,「助け手」のことばが,語源的に見て男性へのヘルパーという意よりも,男性とともに有する,動物に対しての優位性を示したもの,との解釈がされることにより,男女同等への道が説かれ,Ⅰテモテの箇所に関しても,女性のあり方に言及しているとはいえ,女性教職を神の秩序の許しの下で完全に否定しているものではない,とされることにより,任職の道が開かれつつあるのである.<復> 一般的に,(1)神の下における霊的秩序を,旧約のそれを土台と見るか,新約の福音を基礎とするか,(2)教職の職務は,女性にとって不適当か,といったことが教会的に克服される必要がある.<復> 一例として,日本同盟基督教団では1988年の総会において女性の教職への道を開いたが,その際,女性であることの内容や特質が教団において豊かに用いられるために,通常の教師試験に加えて地域ブロック(教区に相当)の複数の牧師と所属教会の複数の役員による,推薦及び本人の召命への確かな応答の客観的な確認を条件とするとともに,結婚の場合には正教師の資格を停止する,という条件をも付加して柔軟な対処への第一歩を踏み出した.→按手,女性についての聖書の概念,職制.<復>〔参考文献〕C・クライスト/J・プラスカウ編『女性解放とキリスト教』1982;R・R・リューサー『マリア—教会における女性像』1983;L・ショットロフ/E・S=フィオレンツァ他『聖書に見る女性差別と解放』1986,以上新教出版社;日本基督教団全国婦人会連合会編『ここにつかわされて』燦葉出版社,1980.(斎藤篤美)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社