《じっくり解説》召命とは?

召命とは?

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召命…

[ヘブル語]カーラー,[ギリシャ語]クレーシス,[英語]Calling.「召命」という用語は旧新約聖書を通じて極めて数多く用いられている.この用語は,語意的には本来「呼ぶ」とか「名をもって呼ぶ」を意味している.<復> 1.聖書の観点から.<復> まず,旧約聖書について見てみると,何よりも注目すべきことは→イスラエルの召命/・・・・・・・・←である.旧約聖書においてイスラエルは,エジプトから→呼び出されたもの/・・・・・・・・←(ホセア11:1)であり,主の名で呼ばれる存在(申命28:10,イザヤ43:7,エレミヤ7:30)であり,従って主の所有の民(イザヤ43:1)である.このイスラエルの召命は,主との契約関係と結び付いており,選びと一体的である(イザヤ45:4).召命の事実によって,イスラエルは,他の諸国民から区別され,主の名を帯びるものとして,主御自身によって守り導かれ,同時に主に仕え,主の証人としての使命と課題を持っている(イザヤ43章).共同体としてのイスラエルの召命のほかに,旧約聖書には個々人の数々の召命も見出される.アブラハム(イザヤ51:2,創世12:1‐3),モーセ(出エジプト3:4),サムエル(Ⅰサムエル3:4),エレミヤ(エレミヤ1:5),イザヤ(イザヤ49:1,6章)等のよく知られた召命の出来事があり,このほかにも預言者や祭司や王の多様で多くの召命の例が存在する.しかし,これらの個々人の召命も,共同体としてのイスラエルの召命とそこから出てくる使命と課題との関連で理解することが大切である.<復> 次に,新約聖書について見てみると,召命は,キリスト・イエスにある召命(ローマ1:6,7,ピリピ3:14)であり,キリスト・イエスとの交わりに入れられること(Ⅰコリント1:9)であり,それによって神の所有の民とされること(Ⅰペテロ2:9)であり,主の名を帯びるものとなること(Ⅰペテロ4:16,ヤコブ2:7,使徒5:4)である.この召命は,神の永遠の計画に基づくもので(ローマ8:28),選びと一体的(ローマ8:30,Ⅱテモテ1:9,Ⅱペテロ1:10)である.そのことから,召命は,上からの,天からの,聖なる召し(ピリピ3:14,Ⅱテモテ1:9,ヘブル3:1)と呼ばれ,真実で(Ⅰテサロニケ5:24),決して変ることはないと言われる(ローマ11:29).召命によってキリスト・イエスとの交わりに入れられることにより,自由(ガラテヤ5:13),平和(Ⅰコリント7:15),永遠のいのち(Ⅰテモテ6:12),御国と栄光にあずかること(Ⅰテサロニケ2:12)などの恵みの賜物を受ける.しかし,召命はそのような恵みの賜物にあずかることにとどまらず,召命にふさわしく生きる義務も含んでいる(ガラテヤ5:13,コロサイ3:15,Ⅰテサロニケ2:12).また,新約聖書においても,召された神の民の使命と課題との関係で,特別な意味での職務への召命の概念が存在する.その点で特に注目しなければならないのは使徒職への召命である.その召命は,旧約聖書の預言者の召命の伝統に結び付いている(ガラテヤ1:15とエレミヤ1:5).<復> 2.教理的観点から.<復> 教理的な点では,召命とは救済論の救いの秩序([ラテン語]ordo salutis)の第1に位置する神の救いの働きである.この意味で理解された召命は「キリストにおいて提供されている救いを受け入れるように罪人を招く神の恩恵的行為」と定義し得るであろう.この召命は,さらに二つに区別されて,一つは外的召命,あるいは普遍的召命,もう一つは内的召命あるいは有効召命と呼ばれる.外的召命とは,時代や民族や階級などに限定されないで,差別なしにすべての人に対しての神のことばの宣教による福音の普遍的,一般的提供を意味している(マタイ11:28,22:14,ルカ14:16‐24).一方,内的召命あるいは有効召命とは,外的召命が聖霊の働きによって救いに至るように有効なものとされることを意味している(Ⅰコリント1:9,Ⅱテモテ1:8,9).この有効召命によって,現実的に,キリストとの交わりに入れられ,恵みの賜物としての多様な祝福にあずかり,同時に責務に立たされるのである.本項目1.の新約聖書における召命の項で取り扱われた内容はほとんどこの有効召命と関係していることが理解されるであろう.ローマ8:29,30が明らかにしているように,有効召命は,救いの実現の端初に位置しているが,神の永遠の選びの中に根拠を持っており,従って神の恩恵の独占的行為であり,栄光化において確実に完成するものである.<復> 3.倫理的観点から.<復> 召命に関して倫理的観点から問題となるのは,特に職業倫理との関係においてである.中世において,職業は聖と俗に二元的に区別され,聖職のみが召命([ラテン語]vocatio)と呼ばれた.宗教改革者たちは,これに反対し,職業における聖俗の区別を否定し,すべての職業に召命という言葉を用いた.この関連で,宗教改革者たちは,Ⅰコリント7:20にある「召命」を意味するギリシヤ語クレーシスを「職業」と同一視したのである.これに由来して,「職業」を意味する外国語が「召命」と同じ用語で表現されるようになったのである(例えば,ドイツ語のベルーフは,元来「召命」を意味する言葉であるが,同時に「職業」を意味する).Ⅰコリント7:20におけるクレーシスを,釈義的に,「職業」と解釈するのは今日では困難であろう.しかし,神によりキリスト・イエスの召命にあずかった者が,世俗的領域においても,従って職業においても召しにふさわしく生きることが求められているのは当然であり,極めて聖書的概念である.この意味において,宗教改革者たちが職業を召命の光の下で見詰めた洞察は,今日においてもその重大な意義を決して失ってはいないであろう.→職業,選び.<復>〔参考文献〕H・バヴィンク『信徒のための改革派組織神学』下,pp.283—328,聖恵授産所出版部,1985;J・マーレー『キリスト教救済の論理』小峯書店,1972,『神学事典』聖書図書刊行会,1982;Berkhof, L., Systematic Theology, pp. 454—79, London, 1966; Theological Dictionary of The New Testament, Vol.3, pp. 487—536, Grand Rapids, 1976.(牧田吉和)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社