《じっくり解説》万人救済説とは?

万人救済説とは?

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万人救済説…

万人救済説とは,すべての人々が例外なしに究極的には救われると説く教えである.歴史的には多様な形態をとった.<復> 最も古典的なものは,キリスト教初期の教会教父であるアレキサンドリアのクレーメンスやその弟子に当るオーリゲネース,さらにはニュッサのグレゴリオスなどの教えに見出される.中でも有名なのはオーリゲネースの説である.オーリゲネースによれば,邪悪で不敬虔な者は一時的に刑罰の火を経験する.しかし,それは良心をさいなむ火であって,霊魂の浄化のための訓練として教育的意味を持つ.最後には,敬虔な者も不敬虔な者も,悪魔でさえも,すべての霊魂が救いに回復されて神に帰り,神がすべてのすべてとなられる.いわゆる「万物の復興」([ギリシャ語]アポカタスタシス・パントーン,apokatastasis panto~n,使徒3:21)の教えである.この教えに対して,アウグスティーヌスはある者を救いへと選び,他の者を滅びへと定める神の主権的自由を冒すものとして激しく反対した.543年のコンスタンティノポリス総会議において,オーリゲネースのこの教えは異端として排斥された.<復> アウグスティーヌスの反対がその後の歴史に強力に作用し,中世においては全般的に言って万人救済説は後退した.例外的に,スコートゥス・エリウーゲナや神秘主義者の間で見られるだけである.<復> 宗教改革の時代においては,ルターやカルヴァンもやはりアウグスティーヌスの伝統に立ち,万人救済説を拒否した.万人救済説が受け入れられたのは,宗教改革急進派と言われる再洗礼主義者(アナバプテスト)の間でであった.ハンス・デンクやハンス・フートなどがその代表的擁護者である.これに対して,アウグスブルク信仰告白(1530年)はその第17条において次のように公的に宣言した.「悪魔および罪の宣告を受けた人々が永遠の苦痛,苛責を受けるのではないと教える再洗礼派を,斥ける」.しかしながら,再洗礼主義者の全体が万人救済論者であったと言うのは歴史的に正確ではない.メノナイト派やフッター派などの再洗礼派の人たちは,万人救済説を容認しなかった.<復> 近世に入ると,啓蒙主義や敬虔主義者によって万人救済説は同調者を得た.万人救済説に立ったドイツ敬虔主義者の代表としては,J・W・ペータゼン(1649—1727年),E・C・ホーホマン(1670—1721年),F・C・エーティンガー(1702—82年)などの名を挙げることができる.19世紀以降に重大な影響を与えたのは,何と言ってもフリードリヒ・シュライアマハーが万人救済説を擁護したという事実である.<復> アメリカにおける万人救済主義者の運動に目を向けると,まずジョン・マーレイ(1741—1815年)の名を挙げねばならない.マーレイは,アメリカにおける「万人救済説の祖」とも呼ばれ得る人物である.彼は,ジョン・レリ(1720年頃—80年)の影響を受けて,カルヴァン主義を放棄し,万人救済主義者となった.1770年にイングランドから渡米して来て伝道し,1779年にはマサチューセッツのグロスターに最初の「アメリカ・ユニヴァーサリスト教会」(American Universalist Church)を設立した.次第に信徒も増加し,支部ができ全体的に組織化されていった.このような万人救済主義を標榜(ひょうぼう)する組織化された教会の成立は,独得なアメリカ的現象であった.この教会の中で神学的スポークスマンとして活躍したのがホウジーア・バルー(1771—1852年)である.1803年には,ニューハンプシャーのウィンチェスター総会においてこの教派の信仰告白が宣言された.この宣言は,通称「ウィンチェスター信仰告白」と呼ばれ,第2条において神の普遍的父性とその愛による万人救済が次のように告白されている.「私たちは信じる.唯一の神のみが存在し,その本性は愛であり,唯一の主イエス・キリストにおいて,唯一の恩恵の聖霊によって啓示されている.さらに,この唯一の神が,終局的には人類の家族全体を聖潔と幸福に回復してくださる,と」.マサチューセッツのメドフォードに,1852年にはタフツ大学が,1869年には神学校がそれぞれ設立された.ユニヴァーサリスト教会は,三一神論を告白せず,その点でユニテリアンと親近性を持っており,アメリカ・ユニテリアン教会と協力関係にある.1961年には,「ユニテリアン・ユニヴァーサリスト協会」(Unitarian Universalist Association)が形成され,約400教会,7万人の信徒を有する組織となっている.<復> 現代神学との関係で万人救済説が問題にされる時,その渦中に立っているのはカール・バルトである.現代神学においてバルトは重大な位置を占め,その彼が万人救済論者であるとの嫌疑を多方面から受けてきたからである.それは理由のないことではなく,バルト自身の特異な予定論に起因している.バルトは,伝統的二重予定論を批判し,これを根源的に改変して,次のように理解する.「神の永遠の意志であるイエス・キリストの選びにおいて,神は,人間に対しては第1のこと,すなわち選びを,祝福と生命を,しかし御自身に対しては第2のこと,すなわち棄却を,断罪と死とを与えることとされた」(『教会教義学』Ⅱ/2,177).従って,バルトにとって予定を信ずるとは,人間に関して言えば,「人間が棄てられないことを信ずること」(バルト「前掲書」182)を意味する.バルト自身は,自らが万人救済論者であるか否かの判断を拒む.万人救済説が形而上学的歴史概念であると見なし,自分自身がその枠組みの中で見られることを拒否するからである.しかし,バルトの神学思想の道筋が確かに万人救済説に絡み合ってくるという事実は否定できない.→救い,選び,バルト神学.<復>〔参考文献〕“Universalism,” Encyclopaedia of Religion and Ethics, Hastings, J.(ed.), Vol.12, Scribner, 1961 ; “Universalism,” Evangelical Dictionary of Theology, Elwell, W. A.(ed.), Baker, 1984 ; Brunner, E., Dogmatik, Ⅰ, Theologisher Verlag, Zu¨rich, 1972, pp.353—9.(牧田吉和)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社