《じっくり解説》永遠のいのちとは?

永遠のいのちとは?

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永遠のいのち…

「永遠」とは何かとの問は,「時間」とは何かとの問と相まって非常な難問である.「永遠の」と訳される[ヘブル語]オーラームは,語源的には「隠す」で,未来の秘められた時を指すと「永遠」の意味になる.また,[ギリシャ語]アイオーニオスは,一定の時間的広がりを表す語[ギリシャ語]アイオーンから来ており,元来はその無限の連続・広がりという概念である.<復> しかし,永遠とは時間の無限の円環的循環・永劫回帰ではなく,永遠と時間との間には無限の質的差異があり,両者は別種のものであると考えられる.これを明確に述べたのがアウグスティーヌスで,彼は時間を直線的なものとしてとらえ,神によって造られなかった時間はなく,また,いかなる時間も神と等しく永遠なものではないと言う.時間は,無限に続き得るとしても永遠なものではなく,空間とともに神の創造物である.永遠とは時間と空間とを超越した神の属性であり,真に永遠と呼び得るものは,時間の創造者である神のみである(出エジプト3:14,15,申命32:40,詩篇90:2,イザヤ40:28,ローマ16:26,黙示録10:6).この意味において,「永遠の」ということばは「神の」ということばと同義である.<復> 従って,エペソ4:18の「神のいのち」は「永遠のいのち」と言い換えることができる.つまり,永遠のいのちとは,本質的に神のいのち,神に属するいのちである.キリストが「いのち」「永遠のいのち」と言われるのも,この意味においてである(ヨハネ11:25,14:6,Ⅰヨハネ1:2,5:20).<復> ヨハネ3:3‐17を見ると,「永遠のいのちを持つ」ということが,「神の国を見る」「神の国に入る」「救われる」と同義的に用いられている.永遠のいのちとは,神の国に生きるいのち,神に救われたいのち,神のいのちにあずかるいのちなのである.キリストは「永遠のいのちとは,彼らが唯一のまことの神であるあなたと,あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです」と言われる(ヨハネ17:3).神とキリストとを「知り」([ギリシャ語]ギノースコー),永遠なる神とキリストとの交わりに生きる時,人は神のいのち・永遠のいのちにあずかる.永遠のいのちは,時間を超越した永遠なる神の世界に属するいのちであるがゆえに,その本質において時間を超越するいのちである.ゆえにそれは,未来のいのちでもあると同時に,現在のいのちでもある.<復> 現在のいのちとしての永遠のいのちは,新しく創造された者として(ヨハネ3:3,Ⅱコリント5:17),御霊に導かれて生きるいのち,霊的いのちであり(ローマ8章,ガラテヤ5:18,25),信仰と愛において現れるいのちである(ヨハネ5:24,Ⅰヨハネ3:14).<復> 一方,未来のいのちとしての永遠のいのちが,いわゆる死後のいのちである.旧約聖書には永遠のいのちということばは1箇所にしか登場しないが(ダニエル12:2),その思想は様々な形をとって旧約を一貫して流れている(創世3:22,22:5〔参照ヘブル11:19〕,Ⅰサムエル2:6,ヨブ14:13,14,19:25,詩篇30:3,73:23‐26,箴言12:28,イザヤ25:8,26:19).旧約における死後の永生思想は,古代エジプト人やギリシヤ思想に見られる霊魂不滅思想とは全く異なる.旧約聖書のどこにも霊魂不滅は語られていない.旧約における死後のいのちとしての永遠のいのちの思想は,現世の生の延長としてのいのちではなく,死後の復活以外のものと結び付くことは不可能である.復活とは生への単なる蘇生ではなく,神による新しい出発,神による新しい創造としてのよみがえりである.<復> 新約聖書において,このことはさらに明確化される.イエスは,「善を行なった者は,よみがえっていのちを受ける」と言われた(ヨハネ5:28,29).復活のいのちの根拠は,キリストの死と復活にある(Ⅰコリント15:12,20,22).キリストは死から復活し,最後の敵である死を滅ぼし(同15:26,28),永遠のいのちを確かなものとされた(Ⅱテモテ1:10).彼を信じる者は決して滅びることのないいのちを得(ヨハネ3:16),「死んでも生きる」いのち(ヨハネ11:25),復活のいのちを約束されている.<復> 復活とは,神が創造し死が絶滅させたもの全体を「いのち」に呼び返す新しい創造である.死後の生としての永遠のいのちとは,単に現世のいのちが永遠に続くということでも,輪廻転生でもなく,死後にキリストにあってよみがえらされて生かされる新しいいのち,復活のいのちなのである.「わたしは,よみがえりです.いのちです.わたしを信じる者は,死んでも生きるのです」とのイエスのことばは(ヨハネ11:25),死の壁を打ち破る復活のいのち,時間を超越した永遠のいのちがキリストのうちにあると告げている(Ⅰヨハネ5:11).<復> そしてこのいのちは,彼を信じる者のうちに(ヨハネ3:36),キリストの十字架と復活のゆえに,神の恵みのゆえに(ローマ5:21,6:23),信仰の事柄として今すでに与えられている.しかし,その完全な姿の現れは神のうちに隠されており,未来の日に属している(コロサイ3:3,4).キリスト者は,その完全ないのちを勝利の栄冠として受ける終末的「その日」を目指して,現在という時を主にあって歩むのである(ピリピ3:10‐14,Ⅰコリント15:51‐58,Ⅱテモテ4:8).移ろい行く時の流れに押し流されて滅び去ることのないいのち,時を超越した永遠のいのちを,今すでに与えられている者として,永遠なる神を見詰めて今という時を生きる,それが「神を知り,キリストを知った」者の生である.<復> 死によっても断ち切られることのない(ローマ8:38,39)永遠なる神との永遠の交わり,それが永遠のいのちなのである.→いのち,時,死,死後の状態,復活,終末論.<復>〔参考文献〕『アウグスティヌス』(世界の名著16)中央公論社,1978;Walvoord, J. F.,「永遠の生命」『神学事典』聖書図書刊行会,1972;Guhrt, J., “Time,” The New International Dictionary of New Testament Theology (Brown, C.〔ed.〕),Zondervan, 1978.(熊谷 徹)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社