《じっくり解説》和解とは?

和解とは?

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和解…

[ギリシャ語]カタラゲー.新約において和解とは,イエス・キリストの死と復活の結果もたらされた神と人間の人格関係の変化である.それは第1に「神の世に対する和解」(ローマ5:10,11,11:15,Ⅱコリント5:18,19,エペソ2:16,コロサイ1:20)であり,第2に「人と人との和解」(Ⅰコリント7:11,エペソ2:14以下)の意味である.<復> 1.和解の原語の意味.<復> [ギリシャ語]カタラソーは「和解する」の基本語で,新約に6回出てくる(ローマ5:10,Ⅰコリント7:11,Ⅱコリント5:18,19,20).カタラゲー「和解」という名詞は4回出てくる(ローマ5:11,11:15,Ⅱコリント5:18,19).アポカタラソー(回復の完全性を強調する)「和解する」という語は3回出てくる(エペソ2:16,コロサイ1:20,22).語根アラソーの概念は態度や関係の変化である.語根はまず同等の価値の交換の意であったが,次第に同情と相互理解の交換の意から徹底的根本的変化を表すようになった.こうして和解は人格関係の新段階の意味を持ち,以前の敵対や疎遠がある決定的行為において除かれるという意味を持つに至った.<復> 2.神との和解.<復> 聖書は罪を人格関係の突き通せない障壁と描く.罪は神との調和を破壊し,われわれを神の敵対者とした.客観的にも心理的にもわれわれは,愛を現したく願っておられる神御自身と敵対関係に置かれている.<復> (1) 神の主導.われわれは罪によって怒らせた創造主と自力で和解することはできない.和解において神は主体として行動され,決定的に成し遂げられた.「神は,キリストによって,私たちをご自分と和解させ」た(Ⅱコリント5:18).神はわれわれが神の敵であった時に,すでにわれわれを愛された(ローマ5:10).和解の奥義は,十字架の奥義(エペソ2:16)と,われわれが愛されている「大きな愛」(同2:4)の奥義である.<復> (2) 和解の結果.神はもはやわれわれの罪,過ちを数え上げない.それどころか,神の行為はむしろ新しい創造(Ⅱコリント5:17)である.和解はわれわれ受益者にとって完全な更新であり,義認(ローマ5:9以下)と聖化(コロサイ1:21以下)と同時に起る.<復> これまでの和解についての重要な真理をまとめると,次のようになる.(1)和解を必要としているのは人間である.人間の神への罪深い態度は変らなければならない.(2)神は和解を成し遂げるためにキリストによって働かれた.だからわれわれの罪はもはや数え上げられず,信じる者はもはや神を敵と見なす根拠を持たない.(3)われわれは福音を信じる時,自分の態度が神と調和するようになるので,心理的,霊的変化を経験するようになる.以前は神の敵であったが,今は「主イエス・キリストによって…神を大いに喜んで」いる(ローマ5:11).(4)神との正しい関係はすべての宗教の中心であるが,和解は神への人間の接近,神の歓迎,神との交わりを可能にするので,キリスト教の中心概念と言ってもよいであろう.異教では,人間が自分の行為で傷つけた神々の御機嫌を取るために供物をささげる.しかしキリスト教信仰だけは,神が率先して,恐ろしい代価を払って,罪によって神を傷つけた人間の心を獲得されるのである.<復> 3.人間同士の和解.<復> エペソ2:11‐22はカルバリにおけるイエスのみわざの特別な側面を強調する.人類は今,皮膚の色,性,社会的身分,文化的背景などの区別によって生じる敵意によって分裂し,ばらばらになっている.パウロは,敵意の増大と異なった見方によって別れたユダヤ人と異邦人は,今や「一つのからだとして」(2:16)結合したと指摘する.キリストによって両者は神と和解している.見知らぬ人や外国人であるどころか,共通の信仰によって一つになった両者は,「同じ国民であり,神の家族」となった(2:19).神と和解したすべての人は,その事実によって互いに和解させられる.キリストは愛の人格関係の根拠を提供される.われわれの新しい一致の重要性は新約の愛の強調に見られ,それは聖書における人間同士の和解への言及に見られる(マタイ5:23,24).<復> 4.和解の務め.<復> パウロは神が「和解のことばを私たちにゆだねられた」(Ⅱコリント5:19)と宣言した.コリントの教会にこのことばを書いたパウロは,福音伝達に献身と決心を示し,他の人たちに神の和解を受け入れるように懇願し,キリストの使節として仕えた.この和解の務めには,疑いもなく未信者への適用があるが,文脈の中では,和解の務めの訴えは信仰者に向けられている.信仰者は,自分の罪を負われたイエスによって「神の義となる」(同5:21).われわれは自分の生活が聖く,すべての行いにおいてイエスの愛の印を身に受ける時,神との和解の意味を十分に経験する.そしてわれわれは福音,すなわち,キリストの十字架の恵みの宣教にあずかる.<復> 5.宇宙的和解.<復> 世との和解を語る時(Ⅱコリント5:19,ローマ11:15),パウロは宇宙的和解という点まで罪深い人類のことを心にかけていた.しかし彼は,物質世界自体が人類と連帯し,その解放にあずかることになるという事実を見過さなかった(ローマ8:19‐22).コロサイ1:19‐22において,和解の本質的に人格的働きは宇宙的視野を持つものとして啓示されている.なぜなら,キリストの死を通して万物(天と地の)は神と和解させられるからである.「地にあるものも天にあるものも,ただ御子によって和解させてくださったのです」(1:20).→仲介者,とりなし.<復>〔参考文献〕Denney, J., The Christian Doctrine of Reconciliation, Hodder and Stoughton, 1902 ; Morris, L., The Apostolic Preaching of the Cross, Tyndale, 1960 ; Stott, J. R. W., The Cross of Christ, IVP, 1986;J・マーレー『キリスト教救済の論理』小峯書店,1972.(油井義昭)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社