《じっくり解説》在外日本人教会とは?

在外日本人教会とは?

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在外日本人教会…

日本人の海外進出が特に目立ってきたのは最近10—15年ぐらいのことであるが,明治,大正,昭和と,多くの日本人が(永住,長期滞在,短期滞在の別はあっても)海外に渡航するようになってからは,すでにおよそ百年の歳月を経ている.この間に,北米(アメリカやカナダ),中南米(ラテン・アメリカ)に移住した人々の数は枚挙にいとまがないほどである.今で言う経済難民と同じように,新天地に職を求め,安住の地を求めて出て行った人たちが相当数を占めていた.また一攫千金を夢見る商人たちは,満州,朝鮮半島,中国,東南アジアなどに出かけ,それぞれの地に日本人街を建て上げていった.このように,日本人の行く所どこにでも,規模の大小は別にして,在留邦人の社会が生れてきたのである.<復> そのような人々に伝道することを使命と感じ,日本から遣わされて邦人たちの教化育成に当った伝道者や牧師も,少なからず起された.また,北米などにおいては,現地にある教会から働き人が起され,いわゆる日系人教会の設立に力を注ぐようになった所もある.<復> 同胞に対する国外でのこうした宣教の働きを厳密な意味で国外宣教と言えるかどうかは十分に議論する余地のあるところではあるが,19世紀から20世紀の初頭にかけて,日本が国家として富国強兵策をとり,それに伴って在留邦人の数が増加したことにより,海外に日本人教会が開拓され,日本語で礼拝その他の活動が行われるようになったのは,当然の理であった.<復> 古くは今世紀の初頭,日本組合基督教会(1904年)や日本基督教会(1904年)によってなされた,朝鮮半島及び台湾における邦人伝道を挙げることができよう.現地において直接邦人の伝道に携わった人々が(意識していた,いないにかかわらず)日本の植民地支配を精神面において補う働きをしたことは否めない事実であろう.<復> 一方,純福音派では,ホーリネス教会が1917年に満州の撫順(フーシュン)において,次いで大連において邦人伝道を開始している.さらに,1919年には朝鮮半島に,1925年には台湾にも進出して,現地の邦人のための伝道や教会形成に携わった.当時の監督中田重治によれば,この邦人に対する伝道は,やがて現地人に福音を伝えていくための布石だったのである.<復> さらにホーリネス教会は,1925年に多くの信徒をブラジルに移住させ,本格的なブラジルの邦人伝道を開始した.今日,ブラジルの福音ホーリネス教団は日系人最大の教団として多大の成果を上げている.ホーリネス教会はさらに北米にも在留邦人のために教会を開設し,今日に至るまで目覚しい活動を続けている.<復> 1933年のホーリネス教会分裂後も,日本聖教会によって1940年以降,短期間ではあったが,中国各地,シンガポール,ハワイにおいて,また,きよめ教会によって上海で,邦人伝道が進められた.<復> 日本のプロテスタント最大の教団は1941年に成立した日本基督教団であるが,教団成立と同時に国外伝道局が新設され,海外宣教部門を担当した.戦時下のことでもあり,おもに,軍の宣撫的な役割を担わされた.戦後は1957年にブラジル,1959年にカナダ,1960年代にも主として北米を中心に,日系人教会を牧会する目的をもって教職者を派遣している.<復> さらに,1960年代からは,海外に駐在するビジネスマンや留学生などの増加に伴って,世界の主要都市に超教派の日本人キリスト者集会(Japanese Christian Fellowship)が誕生するようになり,日本基督教団等から牧会者が派遣されるようになった.1980年代の初頭における日本基督教団関係の宣教師31組中,18組が邦人伝道に従事しており,そのうち15組は日系人教会牧師で,3組は,香港,西ドイツのボン,フランスのパリの各都市のJCFの牧会者である.<復> 以上は戦前・戦後の主要教派による海外在留邦人への伝道の足跡であるが,これらとは別に,単立,単身,超教派団体,有志による支援と様々な形をとりながら,在外日本人教会が各国の主要都市に誕生するようになった.<復> こうした日本人教会や日本人キリスト者集会(JCF)が世界各地に散在するに従い,それらを牧会する牧会者の必要がとみに増加してきた.このような群れと国内の教会との大きな違いはいろいろあるが,例えば,構成メンバーが駐在員家族や留学生のような短期滞在者である場合には3—4年で入れ替ってしまうことと,様々な教派的背景を持つ信徒の集合体であるだけに,教理的見解や慣習が異なることをどう克服していくかが課題である.<復> 日本の教会から在外日本人教会や日本人キリスト者集会に奉仕することを目的として派遣された宣教師,牧師の数は,日本の海外進出に比例して増加してきた.また,留学中の教職者や,現地人のための宣教師が,奉仕を兼ねる場合も見られるようになった.<復> 小さな家庭聖書研究会的なものを含めれば,世界のすべての地域に日本人(あるいは日本語による)集会が散在している現状を考える時,これらを調査して名簿を作成し,何らかの連絡機関を設けることが焦眉の急となっている.<復> 局部的には,こうした在外日本人教会や日本人キリスト者集会相互間に連絡や交流がなされているケースもなくはない.例えば,東南アジア地域に散在するJCF相互の機関紙の交換や交流もその一つであろう.さらに,現在まで5回を数える「ヨーロッパ日本人キリスト者の集い」はその顕著な例である.1989年ロンドンで開かれたその集いには2百人の参加者が与えられ,有益な交わりと研修の場になったと言う.現時点では,ヨーロッパ全土の12の都市で日本人教会や日本人キリスト者集会が定期的な集会を持っており,その他の2都市にも交わりの場が設けられていると言う.<復> もう一つの課題として考えられるのは,このような海外の教会や集会で導かれ,救われた人々が日本に帰国した場合,どのように教会に結び付けられていくかということである.受け入れ側の日本の教会と海外の教会との連携を密にすること,帰国者同士の交わりのグループを助成すること,十分なオリエンテーションを行い,帰国後の教会生活に備えることなどが考えられよう.→国外宣教,宣教師,宣教学.(古山洋右)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社