《じっくり解説》教育問題とは?

教育問題とは?

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教育問題…

わが国では,教育を学校教育と結び付けて考える傾向が支配的である.日本の近代的学校制度は,ヨーロッパをモデルとして1872年に発足した.当初より小学校から大学まで,国家主導のもとに一元的に組織され,以後,教育における国家統制は揺ぎなく確立されていく.義務教育の普及は画期的であったが,それは兵役,納税と並ぶ国民の三大義務の一つであり,その義務とは教育を受ける→権利/・・←ではなく,あくまでも国家社会に対するものであった.やがて教育勅語の中心思想である忠君愛国が最高の価値目標とされ,1945年の敗戦に至るまで国民の努力を駆り立てた.天皇制を頂点とする国体こそがすべてに優先するという,国家主義価値観が徹底して国民に教え込まれたのである.日本の近代歴史は相次ぐ戦争によってつづられていくが,国民の好戦的思想は,このような教育を通して準備されていったと言えよう.事実敗戦に至るまで,戦争推進のために教育政策が果した役割は計り知れない.<復> このような教育目標に導かれる教育原理は当然,著しい思想・信仰・言論等の制約を伴うものであった.天皇制は,基本的には疑似宗教的本質に立つものであったので,キリスト教徒による信条の自由の主張とは激しい衝突を惹き起すこととなる.内村鑑三の,教育勅語拝礼拒否という事件は,このような背景のもとに起った.1891年,内村はそのため第一高等学校を追われ,同様の事件が地方でも続いた.押川方義,植村正久等は共同声明をもって,キリスト教徒の思想・信条の自由を擁護する論義を展開したが,天皇制国家にはとうていそれらを受容する余地はなく,厳しく排除,弾圧した.以後キリスト教は,この国家体制に妥協を強いられる形でのみ,かろうじて存続が認められていくことになった.戦前までの教育はこのように,国家が規定した単一価値が強く浸透した中で,一気に戦争に巻き込まれていき,そして破綻したのである.<復> 1945年8月15日,ついに敗戦となり,これまでの体制に終止符が打たれて,新しい教育制度が誕生した.新憲法にうたわれた個人の尊厳と人権の確立,自由・平等の実現という理想が,教育の働きに期待されることになった.戦前,戦中を通じて,子供が国益の対象としてのみ見なされた教育観が,戦後は子供,もしくは国民に主体が置かれるという方向への大転換となったのである.新しい教育基本法のもとで,「権利としての教育」や,「機会均等の原則」は,こうして一応確立した.この新しい潮流と,国民の間に潜む強い学歴志向とが結び付いて,戦後教育の爆発的エネルギーを生み出した.これは日本が敗戦の痛手から急速に立ち上がる原動力の一つともなった.<復> 戦後とは,短期間に国の内外を巡る状況が,ラディカルに変動を続ける時代である.ことに,高度経済成長と,国際化に伴う社会環境の変化は,今日の教育にかかわる諸問題の背景に常にある.さらに,家族状況の変化,高校・大学への特に女性の進学率急上昇,価値意識の多様化,平均寿命の延長等,いずれも互いに重層的に絡み合っている.中でも,機会均等を理念とする新教育体制のもとで内外の注目を集めているのは,受験競争の激化である.各レベルの学校教育において,テスト体制と偏差値による序列過重視の傾向が年を追って強まり,子供たちに対する選抜原理を定着させた.受験地獄という言葉が遍在化し,受験産業と呼ばれる特殊学校が激増した.子供のダブルスクール現象が常識と言われる中で,いわゆる→落ちこぼれ/・・・・・←と称される子供たちが,競争集団からはみ出す例が増え始めた.方向を見失った未熟なエネルギーが,個と集団を問わず,様々な問題行動を惹き起す要因ともなってきている.親や友人のいのちを奪うような異常な事件への不安と危機感も日常化しつつあるのである.<復> 教育が最大の効率化に主力を注ぐ時,個性の発現は最少に抑圧される.人格に対する正当な評価は,ほとんどその地位を与えられない.このような状態においては,いわゆる→できない子/・・・・・←だけが不幸なのではなく,→できる子/・・・・←もまた不幸なのであろう.いじめや差別意識が一般化する社会では,豊かな人間性や活力は育ちにくい.<復> 一方,ほぼ10年ごとに改訂される「学習指導要領」を前後比較すると,学習内容は高度化し,量も増え続けていることがわかる.子供たち周辺の時間,空間は極度に過密化の一途をたどりつつある.その中で教師像もまた疲労を隠せずにいる.強力な管理体制下で,子供の自由な自己実現を願う教育本来の悦びを奪われがちである.<復> 教育は,国家的利益のためにではなく,また社会的功利のためにでもなく,人間そのもののために営まれるものでなければならない.従って,その責任の一切を国家や社会にだけゆだねてしまうべきではない.すべての人が生涯をかけて,自ら人間となり続けていく課題を負って生きなければならない.健康な身心,未来を拓く知識とともに,それらを統合する原理を人格教育にこそ向けるべきである.今世界中が,思想と体制を問わず,新しい時代を模索しながら揺れ動いている.教育の使命は,単に自国中心というあり方を超え,あらゆる点で地球市民としての自覚を深めない限り,真の発展は期待できない.人は誰でも,究極的には創造者のふところに帰ろうとしないでは,真の安定と満足を得られないのである.<復> 国内の生活者の大半は十分認識できないでいるが,日本は現在,世界で最も能率のよい工業生産国となり,最大の国際的投資資金供給者となった.時代の要請に応じて毎年,国公私立の大学や学部の新設が,相次いで行われている.ハードウェアは整いつつあるが,ソフトウェアとしての人間の教育に21世紀は期待している.物的豊かさの中の精神的貧困を戒めるべき時である.(→コラム「日本のミッション・スクールの歴史」),→青少年問題,教会教育.<復>〔参考文献〕梶尾輝久『教育入門』,稲垣忠彦『戦後教育を考える』(岩波新書)(1989,1984).(秋山光恵)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社