《5分で分かる》占いとは?

占いとは?

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占い…

1.聖書の周辺世界に見る占い.<復> 神々を,祈祷や魔術的儀式など外面的な形式によって自らの目的に利用しようとする魔術,様々な方法で未来を予知して益を得たり害を防いだりしようとする占い,これらは,いつの時代のどの社会においても存在したように,聖書の周辺世界においても目立つ.特にエジプトやバビロニヤでは,魔術と占いが組織的な発達をなしていた.イスラエルの民のエジプト滞在,またバビロン捕囚の事実を考えるなら,エジプトやバビロニヤの魔術・占いの影響がいかに深刻な問題であったかは想像にかたくない.<復> 占いを巡る聖書の宣言は,周辺世界の現状との生きた戦いを通して与えられている.この場合,モーセのエジプトにおける経験(出エジプト7‐15章)や,バビロニヤ(そこでの占いの実情については,エゼキエル21:21等に垣間見ることができる)の滅亡に当り魔術や占いが全く無力であるとの批判(イザヤ44:25,47:12以下)のように,直接的で根源的なものがある.しかしほとんどの場合は,イスラエルの内部で,エジプトやバビロニヤなど周辺世界の占いに影響を受け,これに引き付けられている人々に対する戦いである.このように,二重の戦いが意識されていたことは,エジプト(創世41:8,24,出エジプト7:11,22等)やバビロニヤ(ダニエル1:20,2:2)の占い師とイスラエルのそれとの用語の区別からも推察される.<復> 2.旧約聖書における占いについての言及.<復> 古代中近東の背景の中で形成される信仰共同体イスラエルの歩みを通して与えられた旧約聖書には,当然,周囲の世界に見る占いと類似した現象についての言及が含まれる.しかしそうした中で,周囲の類似的な現象や思想とは際立って区別される聖書のメッセージが明らかにされている.旧約聖書は一貫して,魔術・占いを偶像礼拝の罪として激しく拒絶している.そのおもなものは次の通りである.<復> (1) モーセの律法に明示されている,占い厳禁の記述(レビ19:31,20:27,申命18:10,11).ここに,周囲の世界の犠牲の形式や予兆を求める残忍な方法がイスラエルに忍び込んで来る可能性の深刻さがうかがわれる.特に,死者とのかかわりが大きな位置を占めており,これを厳禁している事実(申命18:11.参照Ⅰサムエル28:3以下)は注目に値する.<復> (2) 預言者たちの歴史的現実の中での戦いを巡る記述.例えば,イザヤは,「人々があなたがたに,『霊媒や,さえずり,ささやく口寄せに尋ねよ.』と言うとき,民は自分の神に尋ねなければならない.生きている者のために,死人に伺いを立てなければならないのか.おしえとあかしに尋ねなければならない.もし,このことばに従って語らなければ,その人には夜明けがない」(イザヤ8:19,20)と語り,政治的危機に当り社会的秩序が乱れ人々が不安に襲われ占いに走ろうとする傾向に警告を発している.「口寄せ」などがほとんど聞き取れないような不明確,無責任な語り方をしているのに,なぜそれに引き寄せられるのか.生ける神は,御自身のことばを明確に語っておられるではないか,と.またエゼキエルは,偽預言者を責めている(エゼキエル13章.参照エレミヤ23章).例えば,女偽預言者がバビロン的異教の占いをもって,不安に動揺する人々の弱みに付け込み,少しばかりの利益のために偽りのことばを語っている貪欲と惑わしを責め,さばきを宣言する.そして,女偽預言者たちに惑わされ魔術的権力の思いのままになり被害を受けている人々を解き放ち,彼らに自由を与え,真実に導くと約束している(エゼキエル13:17‐23).<復> 3.新約聖書における占いについての言及.<復> 使徒16:16以下に,ピリピでの宣教と教会形成を背景として,占いの霊につかれた若い女奴隷がパウロの一行により解き放たれた出来事が記されている.この女奴隷が無意識に語ることばを神託と見なし,未来の事柄に何らかの指示を仰ぎ,未来に対する不安を多少でも解消しようとする,この女奴隷の主人たちは,不幸な女性を食い物にし,人々の不安からの求めに付け込み,利益を得ていた.パウロは,この気の毒な女性をとりこにしている悪霊に対して激しく怒り,「イエス・キリストの御名によって命じる.この女から出て行け」と宣言した.すると,「即座に,霊は出て行き」(16:18),彼女はもはや占いをすることのできない「ただの人」になった.多くの利益を得る手段を失った主人たちは,パウロの一行に不当な取り扱いをする(16:19以下).<復> 4.占いからの解放.<復> その占いが,死霊とのかかわりで予兆から未来を予言しようとするものではなく,樹木,小鳥,獣の肝臓などを用いるものであれ,あるいは星や新月など天体の現象によるとするものであれ,その根底にある問題は同じである.それは,将来に対する不安,好奇心である.イスラエルの民を真実なことばをもって導かれる神に対する不信頼,不信仰であり,分を忘れ節度を超えた高慢である.モーセの律法が指し示し,預言者たちが宣言し,使徒たちが宣べ伝え,代々の教会があかししてきたように,全能の父なる神を信じること,つまり神の創造と摂理(「ハイデルベルク信仰問答」問26—28を参照)を知り,「あなたがたの思い煩いを,いっさい神にゆだねなさい.神があなたがたのことを心配してくださるからです」(Ⅰペテロ5:7)との勧めと約束に立って生きることこそ,占いからの解放の道である.これこそ,どれだけ役に立つか,どれだけ利益を生み出すかの関心の対象にしかすぎなかった者が,「ただの人」として,存在そのものが尊いものとして受け入れられる道であり,パウロの福音宣教を通して現実となった,占いからの解放である(使徒16:18).→オカルト,偶像崇拝.<復>〔参考文献〕カルヴァン「占星術への警告」『カルヴァン小論集』岩波書店,1982.(宮村武夫)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社