《5分で分かる》残りの者とは?

残りの者とは?

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残りの者…

旧約聖書で「残りの者」と訳されることばには幾種類かある.残ったもの,余ったもの,免れたものというのがその一般的意味で,物(レビ14:18),土地(エゼキエル48:15),出来事(Ⅰ列王11:41),生物(出エジプト10:15),個人(申命3:11),人間集団(ヨシュア10:28,Ⅰサムエル30:9)等に対して用いられる.<復> だが,このことばは,神のさばきと選びの思想と結び付く時,特別な神学的意味を持つものとなる.義なる神は人間の罪をさばくが,その際,ある者を選び,刑罰としての滅びを免れさせ,さばきの後に訪れる救いと祝福の担い手とする.こうして選ばれた者が「残りの者」である.ノアの洪水物語にはこの残りの者の思想がはっきりと認められる(創世6‐9章).洪水の破滅から救い出されたノアは残りの者のひな型である(創世7:23.参照ベン・シラ44章17節).バベルの塔における諸国民の離散とそれに続く選びの民の起源の記述にも,残りの者の思想を見ることができる(創世11章).族長アブラハムは全地に離散した諸国民のための祝福の担い手として選ばれた残りの者である(同12:1‐3).ソドムのための彼のとりなしと神の応答にも残りの者の思想が見られる(同18:20‐32).ヨセフは同胞の救いのために選ばれた残りの者であり(同45:5,7),モーセも同様である(出エジプト1:15‐2:10,3:12).モーセは,荒野での神のさばきを免れて,新しいイスラエルの礎を築く者となる(同32:10).彼の後継者ヨシュアもカレブとともに残りの者となった(民数14:29,30).イスラエル人の出エジプトからカナン入国に至る旅程全体が,残りの者の思想の歴史的例証と言えよう(具体的事件としては例えば民数21:4‐9等).神の審判と選びと残りの者との結合がより明瞭に意識されているのは預言者たちにおいてである.アモスは,神の審判である北王国イスラエルの破滅を免れる少数の民を「ヨセフの残りの者」と呼ぶ(アモス5:3,15).アモスはさばきのかなたに神による復興を見た(同9:8‐11).その希望の中には異邦人の残りの者の回復も含まれている(同9:12).ミカは,そのメシヤ預言において「彼の兄弟のほかの者(=残りの者)はイスラエルの子らのもとに帰るようになる」と告げる(ミカ5:3).終末的「その日」(同4:6)には,神あるいはメシヤが「イスラエルの残りの者」と彼らの牧者になる(同2:12,5:4,7).「残りの者」の思想を最も深く展開したのはイザヤである.彼において「残りの者」は極めて重要な位置を占めている(イザヤ1:8,9,6:11‐13,10:20‐22,11:11‐16,17:6,28:5,6,37:4,46:3,4,49:6).イザヤは,祖国の破滅を神のさばきと見たが,そのかなたに神が残りの者を通してなされる回復の希望を見た.新しい出エジプトが起され,選ばれた残りの者が帰って来る,そして残りの者が,神によって再創造される新しいエルサレムの核となるであろうとの希望である(同4:2,3,37:31,32,43:1‐21,51:9‐11).彼が息子にシェアル・ヤシュブ(「残りの者は帰る」の意)という象徴名を付けたのはそのことの表れである(同7:3,10:21).イザヤは「しもべの歌」において,残りの者の思想を背景に「主のしもべ」とその使命を歌う(同49:1‐6).主のしもべは受難と代贖の死を通して,イスラエルの再創造という神の計画を成し遂げるのである(同52:13‐53:12).イザヤにおいて残りの者の思想は,イスラエルの枠を越えて全世界の残りの者へと普遍化され,「救われた残りの者」は神の救いを全世界にもたらす「救う残りの者」となる(同45:20‐22,66:18‐21).エレミヤにおいても残りの者の思想は重要な位置を占めている(エレミヤ5:1,23:3‐8,24:8,31:7‐9,40:11‐15,42:15,19,50:20).ゼパニヤ(ゼパニヤ2:9,3:11‐13),エゼキエル(エゼキエル9:8,11:13,14:22),ゼカリヤ(ゼカリヤ8:6‐13,13:8,9,14:2,16)等の預言者においても同様である.<復> 旧新約中間時代,クムラン宗団やパリサイ派は自分たちを聖なる残りの者と見なし,ラビ的ユダヤ教では律法を遵守する者を残りの者と見なした(ダマスコ文書1:4,タルグム・イザヤ4:3).黙示文学ではメシヤにより残りの者が救われるとの希望が語られた(シリヤ語バルク黙示録40章2節).<復> 新約聖書において,残りの者の思想が明瞭に語られるのはローマ9‐11章である.パウロは,イザヤ書を引用しつつ,残りの者とは単にイスラエル民族の残りの者のみを言うのではなく,異邦人をも含めた信仰者,神がキリストの教会に召し入れた者たちのことであり(ローマ9:27‐29.参照イザヤ1:9,10:22,23),彼らが残りの者とされるのは神の無条件的選び,神の主権的自由の恩寵によると語る(ローマ11:5,6).教会は,神の救いのみわざを全世界に宣べ伝えるために選ばれた新しい霊的イスラエルであり,真の「残りの者」なのである(参照Ⅰペテロ2:9).<復> その他の重要箇所.申命4:27,28:62,Ⅰ列王19:18(参照ローマ11:3,4),Ⅱ列王19:4,オバデヤ17,18節,ヨエル2:32,黙示録12:17.→選び.<復>〔参考文献〕鍋谷堯爾「イザヤ書」『新聖書注解・旧約3』いのちのことば社,1975;A・ニーグレン『ローマ人への手紙講解』聖文舎;Davies, G. H.,“Remnant,”A Theological Word Book of the Bible, Macmillan, 1962.(熊谷 徹)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社