《5分で分かる》自然法とは?

自然法とは?

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自然法…

自然法([ラテン語]lex naturalis, jus naturale,[英語]natural law)とは,一般的に,人間の中に生得的に存在している道徳的,倫理的秩序を意味する.近代科学が探求の対象としている自然法則とは区別されるが,歴史的には必ずしも概念的に区別されない時期があった.西洋思想史は,自然法の解釈において実に多様な展開を見せている.<復> 古代ギリシヤにおいて,プラトーン(前427—347年)もアリストテレース(前384—322年)も,善なるものの目的成就として自然的な正義を都市国家の生活と結び付けている.キプロスのゼノン(前335—263年)によって始められたストア派の考え方では,宇宙は世界理性ないしはロゴスと呼ばれる単一の実体から成り,自然法とはこのような宇宙を支配する普遍的な法である.理性的存在としての人間の最終目的は,すべての人間が平等であるようなコスモポリスを建設することであり,そのための内面的な道徳法は自然法によって与えられる.<復> ストア派の自然法はローマ法に影響した.そこでは自然法はすべての国の人間に適用される万民法(jus gentium)と同一視され,特定の国の特定の法(jus civile)と区別された.パウロ書簡の「異邦人の心に書かれた律法」(参照ローマ2:15)や「自然に反する行為」(参照ローマ1:24‐27,Ⅰコリント11:14)などの表現は,ギリシヤ・ローマ的な自然法を意識しており,「神の意志の現れ」として,キリスト教的に使用されている.アウグスティーヌス(354—430年)も,「神の意志の現れ」として,自然と道徳の両方にわたる自然法を永久法(lex aeterna)という名称で導入している.<復> パウロやアウグスティーヌスにおいては,自然法は創造者なる神によって与えられ,神の啓示と信仰を通して知られるものであって,理性を通して知られるのではない.これが中世や近代の自然法概念と大きく違うところである.<復> 中世のスコラ神学の大成者トマス・アクィナス(1225—74年)は,自然法は実定法(jus humana)に対する批判原理であるばかりでなく,その根拠を神の律法である永遠法に持っているとした.ただしそれは理性と良心を通しても認識し得る.トマスにとって自然法とは,基本的には「善をなし,悪を避けること」である.彼は神の超自然的秩序と人間の自然的秩序とを密接に結び付け,「恩寵は自然を廃することなく,それを完成する」と述べ,現在でも影響を及ぼしているローマ・カトリック的ヒューマニズムの体系を確立した.<復> スコラ的自然法は,オッカムのウィリアム(1300年?—1350年?)の唯名論,さらには宗教改革者のルターやカルヴァンらによって批判され,「神の意志の現れ」としての自然法の概念が回復された.<復> しかし近代以後,H・グローティウスの「たとえ神がなくても自然法は存在する」という言葉によって知られるように,自然法は再び人間理性の優位性によって理解されるようになった.ホッブズ,ロック,ルソー,カントなど,いずれも人間理性,人間意志によってのみ把握される自然法を中心に据えて,人間固有の権利である自然権を導き出している.中世から近代への変遷の中で自然法解釈は理性から意志へと重点を移したが,そこから近代市民社会形成のための社会・政治思想を確立していくことになる.<復> プロテスタントにとっても初期の頃は,教会の国家に対する「抵抗権」を生み出していくために,キリスト教的な自然法概念が大きな役割を果した.現代のプロテスタント神学も,自然法をどう扱うかについてはまだ未解決であると言ってよい.自然法は一般啓示論の神認識や人間論にかかわってくるが,これについてバルトとブルンナーの間で“自然神学論争”(1934年)が起っている.<復> 福音主義の陣営においては,神の法に対する注目すべき理論的展開は,A・カイパーの影響を受けたオランダ改革派哲学者H・ドーイェウェールト(1894—1977年)らによる「法理念の哲学」である.この哲学では,神による世界の創造,人間の全的堕落,御霊の交わりを通してのキリストの世界大の贖罪といった宗教的根本動因に基づき,造られた実在全体がそれぞれに領域主権を持つ15の法領域に分けられる.この時間内で分岐する法領域は同時に意味の様態局面(modal aspect)であり,その超時間的な統一を意味の充足である人間の宗教的中心,すなわち「心」(箴言4:23,エレミヤ17:9,マタイ5:8,使徒16:14,Ⅱコリント4:6)に持っている.<復> 法理念の哲学では,法(law)は創造者なる神と被造物(主体)との間に位置して超越的であると同時に,時間内で経験される様態局面の中に領域主権を付与する独特の役割を果す.ここで,多様に分岐した実在の6番目まで(数的,空間的,運動的,物理的,生物的,心理的)の領域の法はいわば自然法則である.また7番目から15番目まで(論理的,歴史的,言語的,社会的,経済的,美的,法的,倫理的,信仰的)の領域の法は規範的であり,それゆえに伝統的な表現方法ではキリスト教的な自然法の範疇と言えるであろう.→自然神学,スコラ学,唯名論,啓蒙主義,良心,理性と信仰.<復>〔参考文献〕E・トレルチ「ストア的,キリスト教的自然法と近代的世俗的自然法」『キリスト教と社会思想』(トレルチ著作集7)ヨルダン社,1981;E・ブルンナー『正義』三一書店,1952;Dooyeweerd, H., Roots of Western Culture, Wedge, 1979.(稲垣久和)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社