《5分で分かる》無神論とは?

無神論とは?

スポンサーリンク

無神論…

[英語]atheism.神は実在しないと主張する哲学上,宗教上の立場を指す.様々の神の観念に対応して,無神論も多彩な形態をとる.逆説的ではあるが,初代のクリスチャンも古代のギリシヤやローマの神々を否定したために,異教徒たちによって無神論者と呼ばれた.<復> キリスト教が異教社会に浸透していくに従って,多神教的な神観念が次第に否定され,西欧社会はキリスト教的な神観念に支配されるようになった.その結果として,キリスト教成立以後の西欧哲学史において,無神論はキリスト教の超越的で人格的な唯一神の実在を否定する哲学学説を指すようになった.<復> 西欧の無神論の哲学的起源を歴史的にどこに求めるかについては見解の分れるところであるが,認識と行為における自律的な真理探究の方法論が確立された近代哲学の中に,無神論的思考が発展していく萌芽を認めることができる.認識と道徳の両面にわたって,人間の自律性への要求が強化されていく過程において,神は人間の主体性を抑圧する存在と見なされ,次第にわきへと押しやられていった.しかし自律的な原理に支えられた哲学も,最初からキリスト教に敵対したのではなく,神の存在証明の試みからも明らかなように,聖書の権威に依拠せずに,キリスト教の神の実在を論証できると考えた.17世紀においても,神の観念は哲学体系の礎石の役割を果していた.18世紀になってディドロー,ホルバハ,コンディヤック,エルヴェシウス,ラ・メトリー等によって代表されるフランス啓蒙主義の唯物論学派が公然と無神論の立場を表明した.彼らは物質によって構成されている自然だけが唯一の実在であるとし,人間のあらゆる活動を快苦の法則によって説明し,実践の原理から神を排除した.ディドローは,どのような歴史的形態であろうと,またどのような基礎に基づいているかにかかわりなく,神信仰を一切拒否することが,人類が偏見と隷属から解放されて,真の幸福に到達する唯一の道であると主張した.<復> ヘーゲル以後のドイツ哲学の中から,さらに戦闘的な無神論が現れた.フォイアバハは神の観念を人間疎外を反映する人間の意識によって説明し,神の実在を否定した.彼によれば,神は人間の幸福欲の幻想的な満足の対象である.キリスト教の神は人間の意識によって対象化された人間固有の本質と見なされた.カール・マルクスは社会の構造的矛盾に基づく非人間的状況からの空想的解決を求めるところから,神の観念は作り出されたとした.神の観念は現実の矛盾を解消する社会変革を抑圧する社会的機能を持っている.社会革命によって労働の疎外から人間が解放されるなら,必然的に神の観念は無用になり,消滅するであろうと予言した.フリードリヒ・ニーチェによれば,神は,ただ無意味な生成消滅を繰り返す世界の存在に耐えることができなかった人間が,偽りの安心感を獲得するために作り出した虚構の一つである.人間が誠実さに徹するならば,可見的世界こそ唯一の実在であることを承認せざるを得ず,神の実在は否定される.しかしニーチェは神の否定が人間や社会全体の幸福や進歩を生み出すとは考えなかった.神が否定されれば,個人や社会が虚無の淵に引きずり込まれ,個人と社会はその存在根拠を失い,解体していくのである.<復> 聖書によるならば,神はその不可見的な本性を被造物において啓示し,人間に対する神の意志を人間の心の中に明らかにされている(ローマ1:19,32,2:15).それにもかかわらず人間が神を否定するのは,人間が罪を犯し,神に反逆する存在になっているからである.聖書が「愚か者は心の中で『神はいない.』と言っている」(詩篇14:1)と語るとき,聖書は実践的無神論を非難している(詩篇10:4,53:1,イザヤ31:1,エレミヤ2:13).実践的無神論者は,神とそのおきてを一切無視し,あたかも神が存在しないかのように生きている.あらゆる意味における神の観念を徹底的に否定した18世紀と19世紀における西欧の理論的無神論は人間の自律的思考を究極まで押し進めた帰結であるという意味では,西欧特有の歴史的現象であったと考えることもできよう.理論的無神論の実践的帰結は,無神論者たちが期待したような楽観的な未来を約束しなかったが,20世紀においても無神論が存在しなくなったわけではない.社会全体が世俗化していく中で,多くの人々は実践的無神論者として生きている.理論的無神論も,かつての戦闘的な性格を失ったが,神に対する無関心に支配された形で存続している.自然科学は,宇宙の起源,宇宙の法則,人間の宗教性,道徳性,理性,創造力,言語などの人間の卓越した特質を神という作業仮説なしに説明できるとしている.自然科学は,神が存在しないことを論証しているわけではないが,事実上,神の存在を無用と見なすことによって,神が実在することを論証する責任はキリスト教の側にあると主張している.分析哲学は,神の存在を理論的に否定しているわけではないが,検証可能性という規準に従って,有意味な命題と無意味な命題を区別し,感覚的認識を超越した神のような存在に関する一切の言説を無意味とし,神を理論的考察の対象から除外しようとしている.無神論的実存主義者たちは,人間の意味と目的の喪失,不条理性を積極的にその身に引き受け,あくまでも人間の悲劇的状況の中にとどまり続けることに暗い情熱を注ぎ出している.<復> キリスト教会はいつの時代にも実践的無神論と対決して福音をあかししてきたが,理論的無神論と対決して,神の存在を弁証することは,現代のキリスト教会が直面している最大の課題の一つである.→有神論,実存主義,汎神論,神論.(多井一雄)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社