《5分で分かる》肉とは?

肉とは?

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肉…

[ヘブル語]バーサール,[ギリシャ語]サルクス.<復> (1) 肉体を意味する.「そこで神である主が,深い眠りをその人に下されたので彼は眠った.それで,彼のあばら骨の一つを取り,そのところの肉をふさがれた」(創世2:21.同じような用例として,ヨブ19:26,マタイ26:41).動物一般の肉の場合も同様に用いられる.雄牛の肉(出エジプト29:14),豚の肉(申命14:8).人間の意味でも用いられ(創世6:12),生きているものすべてを指しても用いられる(創世7:15).肉の有限性,死にゆくもの,滅ぶべき存在であることも示されている(創世6:3).<復> (2) 血縁関係,民族的関係を表すのに用いられる.「ラバンは彼に,『あなたはほんとうに私の骨肉です.』と言った」(創世29:14).「もしできることなら,私の同胞,肉による同国人のために,この私がキリストから引き離されて,のろわれた者となることさえ願いたいのです」(ローマ9:3).<復> (3) 神の霊と対比させて,神ではなく被造物にすぎないことを表すために用いられている.「エジプト人は人間であって神ではなく,彼らの馬も,肉であって霊ではない」(イザヤ31:3).<復> (4) ある事柄を人間的観点から見る時に用いられる.「御子は,肉によればダビデの子孫として生まれ,聖い御霊によれば,死者の中からの復活により,大能によって公に神の御子として示された方,私たちの主イエス・キリストです」(ローマ1:3,4).このように,イエス・キリストの受肉の立場からは,イエスはダビデの子孫であると言われている.<復> (5) 罪のために神の御霊を失い,罪に支配されている人間性を表すために用いられる.パウロは,新生して聖霊によって生活するようになったクリスチャンの生活と対比させて,新生する以前から持っている人間性を「肉」と表現している.「肉の思いは死であり,御霊による思いは,いのちと平安です.…肉の思いは神に対して反抗する…肉にある者は神を喜ばせることができません」(ローマ8:6‐8).それは神の御霊を持たない,生れつきの本能的欲望に支配された人間性,新生していない人間の人間性である.肉は人間性の弱さ,無力さを意味している.イエス・キリストから離れ,神の御心に従わない罪深い人間性を意味している.そのため神は,御自分の御子に肉の姿をとらせ,肉において処罰することを通して,御霊を人間にお与えになった.「神はご自分の御子を,罪のために,罪深い肉と同じような形でお遣わしになり,肉において罪を処罰されたのです.それは,肉に従って歩まず,御霊に従って歩む私たちの中に,律法の要求が全うされるためなのです」(ローマ8:3,4).<復> 肉によって生きている者は「不義の器」であり,「罪の奴隷」である(ローマ6章).肉の支配下に生きる時,「肉の行ないは明白であって,次のようなものです.不品行,汚れ,好色,偶像礼拝,魔術,敵意,争い,そねみ,憤り,党派心,分裂,分派,ねたみ,酩酊,遊興,そういった類のものです.…こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません」(ガラテヤ5:19‐21)と言われているような実を結ぶことになる.<復> 「ねたみ」は肉の行いである.肉の行いは神の栄誉を求めず,自分の栄誉を求める.人間関係において自分の欲求が満たされない時,敵意や争いやねたみとなって現れる.逆に私たちのうちにねたみがあるなら,肉の人であることを示すことになる.「あなたがたは,まだ肉に属しているからです.あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば,あなたがたは肉に属しているのではありませんか.そして,ただの人のように歩んでいるのではありませんか」(Ⅰコリント3:3).「貪欲」もまた肉の性質の一つの現れである.<復> 生れつきの人間の力や努力では,誰一人この肉の力に勝利することができない.パウロは,自分の力と努力で肉の力と戦い,どんなに努力しても律法の要求を満たすことができず,むしろ肉の力に押し流されて,肉の行いの実を結んでしまう自分の弱さに打ちのめされたことを告白している(ローマ6,7章).<復> しかし,神は御子を肉と同じようなかたちでお遣わしになり,御子の肉において罪を処罰された(ローマ8:3).この罪の赦しの事実を認め,信じる人に,神は御自身の御霊を与えて下さり,圧倒的な御霊の力によって生きることができるようにして下さった.「キリスト・イエスにある,いのちの御霊の原理が,罪と死の原理から,あなたを解放したからです」(ローマ8:2).「肉の思いは死であり,御霊による思いは,いのちと平安です」(同8:6).従って,御霊を受けた者は,御霊による思いを自分の思いとして持つことが求められる.さらに肉の人を脱ぎ捨てなければならない.イエス・キリストの十字架によってそれが可能となった.「キリスト・イエスにつく者は,自分の肉を,さまざまの情欲や欲望とともに,十字架につけてしまったのです」(ガラテヤ5:24).信仰によってこの事実を受け入れ,御霊を受け,御霊によって歩む時,救われた者として御霊の実を結ぶ人生となる.「御霊の実は,愛,喜び,平安,寛容,親切,善意,誠実,柔和,自制です」(ガラテヤ5:22,23).クリスチャンの日々の戦いは血肉に対するものではなく,霊の世界での格闘である(エペソ6:12).それは肉の力では戦い得ないものである.御霊によってのみ勝利が保証されるのである.→自我(エゴ),キリスト者の品性.(千田次郎)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社