《5分で分かる》スカンジナビア学派とは?

スカンジナビア学派とは?

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スカンジナビア学派…

狭義には旧約研究におけるウプサラ学派を指すが,本稿ではスカンジナビア半島の神学全体を紹介するという広い意味で,スカンジナビア学派という用語を用いる.1517年ドイツにおいて宗教改革運動が始まると,ヴィッテンベルクでルターの教えを受けたペートリ兄弟によってスウェーデンにも改革の影響が及び,国王グスターヴ1世(1523—60年在位)のバックアップによってルター主義による改革が成功,当時スウェーデン王室に属していたフィンランドもルター派になった.一方,デンマークでも,ヴィッテンベルクで学んだハンス・タウセンによって1524年以後改革が進められ,1536年ルター主義を表明していたクリスティアン3世が王位につくことにより,ルター主義による改革が確立した.ノルウェーは当時デンマーク国王を王としていたので,クリスティアン3世の即位に伴って新しいデンマーク・ルーテル教会の制度が形式上導入された.こうしてこれら四つの北欧諸国では,今日までルーテル教会を国教とする制度が続いているが,最初はどちらかというと上からの改革であったため,宗教改革の精神が根付くまでに長い年月を要している.また,スカンジナビア諸国はドイツやイギリスから見ればあまり目立たない小さい国であり,当然そこにある教会もそこで営まれる神学も,プロテスタントの主流となるほどの影響力を持っていなかった.それゆえ一方で国教会制を,他方では北欧の,ヨーロッパ全体から見れば周辺的な地理的状況を見逃さずに,スカンジナビア神学を研究することが大切である.<復> スカンジナビアの神学で,現代神学に影響を与えているものは三つある.一つはキェルケゴールの思想である.セーレン・キェルケゴール(1813—55年)はよく知られているようであるが,日本において見落されているのは,19世紀のデンマークの国教会制度,すなわち形骸化したルター主義の特に教職に対する彼の批判と,それによって体制派から受けた恐ろしいまでの圧迫が,彼に及ぼした思想的影響である.当時のデンマーク国教会の中に存在した,世俗化したルター主義キリスト教と,それと対決したキェルケゴールの実存的思索が,状況の変化の中で弁証的に飛躍しまた深化され展開する側面が,もっと紹介されてよいと思われる.<復> 第2は,スウェーデンのルンドを中心とするモチーフ研究(motivsforskning)である.これは歴史的研究に組織神学を組み合せ,歴史の中で取られた形態の内側にある基本モチーフを発見するという方法論で,その学派は普通「ルンド学派」と呼ばれる.代表的神学者はアウレーン(1879—1978年)とニーグレン(1890—1978年)である.ニーグレンは,その著『アガペーとエロース』においてエロース(下から上への愛)とアガペー(上から下への愛)の区別をした.そして中世ローマ・カトリック教会において両者が混同されたままの「カリタス」が,宗教改革者ルターによって批判され,それによって新約聖書における使信の中心であるアガペーの純粋性が回復されたとする.<復> 第3は,旧約研究における「ウプサラ学派」,狭義の「スカンジナビア学派」と呼ばれるもので,その代表者はエングネル(1906—64年)である.彼はヴェルハウゼンの「文献偏重主義」を批判し,聖書伝承を重視するが,ドイツのフォン・ラートやM・ノートの伝承史批評とも異なっている.「ウプサラ学派」の特徴としては,(1)比較宗教的研究の重視,(2)「神=王」思想とその座としての祭儀,(3)口伝承の重視,(4)歴史的・叙述的なイスラエル宗教史の強調,(5)言語学的研究の重視,が挙げられる.この学派が「スカンジナビア学派」とも呼ばれるのは,ウプサラ以外の場所にも重要な神学者を有するからである.ルンド大学のリンドブローム(1882—1975年),デンマークのペダーセン(1883—1977年),ノルウェーのモーヴィンケル(1884—1965年)の,スカンジナビア神学における影響は非常に大きいが,いずれも広い意味で,前述の五つの特徴を有している.<復> 以上三つのスカンジナビア学派以外に,案外知られていないのが,敬虔主義の伝統に立つ福音主義的な神学である.スウェーデンのルセーニウス(ローゼニウス)(1816—68年)やノルウェーの信徒説教者ハウゲ(1771—1824年)の影響による,19世紀の信仰復興(リバイバル)と海外宣教運動の流れは,直接的に,あるいはアメリカの北欧系教会を通して,いろいろな形で日本における福音派神学に影響を及ぼしている.日本において『みことばの糧』『祈り』(邦訳は聖文舎出版)でよく知られるハッレスビ(ハレスビー)(1879—1961年)も,このような信仰復興運動の影響を受けた神学者である.20世紀初めアメリカにおいてプリンストン神学校からウェストミンスター神学校が離脱したように,ノルウェーでは,オスロ大学から離脱したハッレスビがウーラフ・ムー,オードランなどとともに福音主義的・聖書主義的な立場に立つ独立神学校(フリー・ファカルティー)を形成した.その伝統に立つのがカール・F・ヴィスレフ(1908年—)であり,彼は独立神学校教授を務めながら,国際福音主義学生連盟(IFES)総裁として活躍した.退職後もアムステルダム世界伝道会議(1971年)の主講師を務め,また1988年に,福音主義的立場に立つ新しい遂語訳的ノルウェー語訳聖書を完成させている.<復>〔参考文献〕C・F・ヴィスロフ『現代神学小史』いのちのことば社,1975.(鍋谷堯爾)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社