《5分で分かる》苦難(キリストの)とは?

苦難(キリストの)とは?

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苦難(キリストの)…

1.キリストの苦難は神の計画であった.<復> (1) キリストは苦難のしもべ.キリストは,神が旧約の預言者によって約束しておられた,苦難のしもべとしての救い主であった(イザヤ52:13‐53:12,Ⅰペテロ1:10,11).キリストの生涯は,家畜小屋における誕生から十字架の死に至るまで,苦難に満ちていた.それは神のしもべとしての歩みであり(使徒3:26),そのすべての苦難は,神の定めた計画によるものであった(同2:23).苦難のクライマックスとしての十字架の出来事は,預言者たちの書の実現であり,聖書の成就である(詩篇22篇,マタイ26:56,ヨハネ19:28,Ⅰコリント15:3).<復> (2) キリストの服従.神のみこころを行うために来られたキリストは,御自分に対する神の苦難の計画に完全に服従された(ヘブル10:7).キリストは,御自分が受けるべき苦難を知っておられ(マタイ16:21),御自分の願いを捨てて神のみこころを受け入れ,神からの苦難の杯を飲みほし(マルコ14:36,ルカ22:42),神のしもべとして,十字架の死にまでも従われたのである(ピリピ2:8).キリストの生涯には,父なる神の予定された計画と人間としてのキリストの自由な意志との完全な一致がある.<復> (3) 苦難のしもべから栄光の主へ.神のみこころに従って苦しみを受け,十字架にかかられたキリストを,神は死者の中から復活させ,預言者による約束の通り,高挙の栄光を与えられた(イザヤ52:13,ルカ24:26,ピリピ2:9).苦難のしもべであったキリストは,万物の支配者,王の王,主の主として,栄光と誉れの冠を受けられたのである(ヘブル2:7‐9,黙示録19:16).神の計画の中では,苦難が栄光に,死がいのちに変えられるのである.<復> 2.キリストの苦難の目的は救いであった.<復> (1) キリストは苦難を通して全うされた救い主.キリストは,御自身がすべての点で私たちと同じように試みを受けて苦しまれたので,私たちの弱さに同情し,苦しみの中にある者たちを助けることができる,あわれみ深い大祭司であり救い主である(ヘブル2:18,4:15).キリストは神の御子であられるのに,多くの苦しみの中で,神に対する従順を学んで完全な者とされ,私たちに救いを与える者となられた(同2:8,9).神は私たちの救いの創始者を多くの苦しみを通して全うされたのである(同2:10).<復> (2) キリストの苦難は私たちの救いのため.キリストは,バプテスマのヨハネから,罪人が受けるべき悔い改めのバプテスマを受けることにより,御自分を私たち罪人と等しい者とされ,私たちが神から受けるべき死の刑罰を身代りに受けるという,苦難の道を歩み始められた(マタイ3:15).そして,私たち人間の代表として神の律法に完全に服従する道と,私たち神の律法に逆らう罪人の身代りとして律法ののろいの死を受ける道を歩まれた(ガラテヤ3:13).苦難のしもべであったキリストは,「私たちのそむきの罪のために刺し通され,私たちの咎のために砕かれた」のであり,「キリストの打ち傷のゆえに」私たちは「いやされた」のである(イザヤ53:5,Ⅰペテロ2:24).<復> (3) キリストの苦難は神の愛の現れ.神は,御子を世に遣わしてあらゆる苦難を経験させ,私たちの真の助け主また救い主とされた.恵み深い神は,生れながら御怒りを受けるべき私たち罪人を愛されたので,私たちの罪に対する御自身の怒りをなだめる供え物として,御子を遣わされた(エペソ2:3,4,Ⅰヨハネ4:10).罪人であった私たちを義として救うために,神は罪を知らないキリストを私たちの代りに罪とされ,また私たちが受けるべき死の刑罰を彼にお与えになることによって,私たちに対する御自身の愛を明らかにされたのである(ローマ5:8,Ⅱコリント5:21).<復> 3.キリストの苦難と栄光にキリスト者はあずかる.<復> (1) キリストの苦難はキリスト者の模範.神と隣人に自分を犠牲にして仕えること,苦しみを耐え忍ぶこと,神に服従して十字架を負うこと等において,キリストはキリスト者の模範である(マルコ10:43‐45,ヘブル12:2,3,Ⅰペテロ2:21‐24).<復> (2) キリストの苦難にあずかるキリスト者.キリスト者はキリストを信じる信仰だけでなく,キリストのための苦しみをも与えられている(ピリピ1:29).キリスト者はこの世の中で,キリストに従う生活において(Ⅰペテロ4:16),キリストの福音を宣教することにおいて(ピリピ1:27‐30,Ⅱテモテ1:8),キリストの教会を建て上げる奉仕等において(コロサイ1:24),キリストの苦難にあずかる.<復> (3) キリストの栄光にあずかるキリスト者.神はキリストの苦難にあずかるキリスト者に,豊かな慰め,復活のいのち,安息と栄光を与えられる(Ⅱコリント1:3‐7,ピリピ3:10,11,Ⅱテサロニケ1:5‐7,12).神のみこころに従って苦難を受け,栄光に入られたキリストのように,キリストと一つとされたキリスト者は,神のみこころに従って,キリストの苦難にあずかり,キリストの栄光にあずかるのである(ローマ8:17,18).→十字架,受難日・受難週.<復>〔参考文献〕C・モルガン『十字架についての考察』いのちのことば社,1984;L・モリス『新約聖書における十字架』聖書図書刊行会,1977.(後藤喜良)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社