《5分で分かる》農民戦争とは?

農民戦争とは?

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農民戦争…

中世ヨーロッパにおいて農民が封建領主に対して全国的な規模で起した反乱.代表的なものは,「ジャックリーの乱」と呼ばれる1358年のフランス農民の反乱,1381年イギリスでのいわゆる「ウォット・タイラーの乱」,1524—25年ドイツに起った大農民戦争である.このうち歴史的に重要な意義を持つものとして,ルターの宗教改革とのかかわりの中で勃発したドイツ農民戦争を挙げることができよう.これは,それまで各地での散発的な一揆という形で現れていた農民の鬱積した経済的・政治的不満が,ルターの改革運動に触発されて一気に爆発し,西南ドイツを中心に全国的な農民一揆となったものである.<復> 麻織物・鉱山業・精錬業などが発達し進歩的なスイスの影響を何かと強く受けていた西南ドイツで,1524年の春頃からルターの「福音主義」と結び付いた農民一揆が頻発し始めた.同年8月農民たちは,傭兵として戦争経験のあるハンス・ミュラーなる人物に率いられ,ワルツフートという小さな町でそこの市民とともに「福音」の名における決起を誓った.この運動は翌年シュワーベンを中心にやがて南ドイツ全域に広がり,1525年春にはメミンゲンのセバスティアン・ロッツァーという人物によって,農民のいろいろな要求をまとめた「農民団の12箇条」が掲げられた.「12箇条」には,自由投票による牧師の選挙及び福音の自由な説教への要求に始まり,農奴制の全廃・共同地利用権の回復・労役軽減・十分の一税の適正化などの要求が挙げられている.一揆の指導者を初め当時の多くのドイツ農民は,本来の農奴ではなくある意味で自由農民と言えたが,荘園領主による年貢の引き上げや共同地独占などの反動的圧制の下で,依然苦しい生活を余儀なくされていた.そこで彼らはルターの「キリスト者の自由」を社会的・政治的自由への呼びかけと受け止め,その意味で「福音」の名のもとに自分たちの要求実現を領主に迫ったのである.ルターは4月に「農民団の12箇条に対して平和を勧告する」を公にして,中立的な立場から領主と農民双方に強い反省を促した.「あなたがたに反抗しているのは農民ではなく神ご自身であって,あなたがたの搾取を罰するため立ち向かっておられる」と領主側のあくどい搾取に対して警告するとともに,農民には「統治者が邪悪で不正であっても,徒党を組んだり反乱を起こしてよいわけではない」と武力による反抗を厳しく戒めた.ルターのこの勧告は,しかし,領主にも農民にも受け入れられず,反乱は拡大の一途をたどってついにザクセン選帝侯の支配下にある中部ドイツに及び,しかも城を焼き僧院を襲うなど野蛮で狂暴な様相を呈するに至った.さらに一揆は北にまで広がり,農民や鉱夫たちは,過激な宗教改革思想を掲げるミュンツァーの指導下に帝国都市ミュールハウゼンを拠点として,領主権はもちろん身分制度そのものの全廃など社会制度の大変革を叫びつつ暴動を激化させた.農民側に初めは同情的な姿勢を見せていたルターも,反乱の激化を見て,無政府状態は神意に反することであり福音は決して社会革命と同次元のものではないとの確信のもとに,5月に「強盗殺人をはたらく農民の暴徒に対して」と題する一文(後にそのあまりにも激越な調子と反動的な思想のゆえに「ルッターの生涯の最大の汚点」〔小出正吾『マルチン・ルッター』〕と言われる)を公にした.この小冊子においてルターは,過激な口調で反乱農民を罵倒しながら「彼らを打ち殺し,絞め殺し,刺し殺せ」と領主側に徹底した武力弾圧を呼びかけた.皇帝カール5世のフランス王との戦争にそれまで軍事力を取られていた諸侯は,2月に皇帝が勝利を収めてからは,ルターの激励を待つまでもなくただちに軍備を整えて猛反撃に転じ,反乱は壊滅的な打撃を被って6月までにはほとんどの地域で完全に鎮圧され,ミュンツァーも処刑された.しかしその際,今度は諸侯側による度を越した虐殺と血で血を洗う殺戮の数々が行われた.これに対してルターは憤り,「農民に対する厳しい小著についての書簡」を発表して,諸侯の剣の悪魔的濫用を厳しく批判した.<復> 結局この未曾有の農民一揆は,ドイツ農村社会の近代化には地域により著しい格差があって農民全体の連帯性が得られなかったのと,反乱が統一ある指揮を欠いていたためにもろくも失敗に終ったため,彼らは以前にもまさる圧制の下にあえぐ運命となったのである.このことは反乱の起爆剤の用をなした宗教改革にとってもある意味で不幸なことであり,特にルターがとった姿勢については従来から様々の批判がなされてきた.彼が見せたかたくななまでの反動的態度は確かに,「キリスト者の自由」を履き違えた農民層にあらがって福音信仰の純粋性を守り抜こうとする宗教的姿勢の現れであったかもしれないが,今日からすればやはり,あまりにも既存の政治秩序の肯定に傾きすぎていたと言わざるを得ない.ともあれ,ルターに裏切られたと感じた農民たちは彼を「うそつき博士」と呼んで離れ去り,ルターのほうも以後もはや民衆に多くを期待せず,宗教改革の具体的実施をむしろ領邦君主や統治権力者といった「お上」にゆだねる方向をとり始めるのであるから,農民戦争の宗教改革に対して持つ意味はそれなりに大きいと言えるであろう.→ルター,プロテスタント宗教改革.(角川周治郎)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社