《5分で分かる》報いと功績とは?

報いと功績とは?

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報いと功績…

[英語]Reward and Merit.聖書は,主の忠実なしもべに対する報いについて繰り返し語っている.イエスは,山上の説教の中で,義のために迫害される者に,天の御国を約束された(マタイ5:10).また,主の弟子のためになされる愛の働きに対して,その人は,決して報いにもれることはないと語っておられる(同10:42).再臨の時には,おのおのその行いに応じて報いるとも語られた(同16:27).使徒パウロも,神が,一人一人に,その人の行いに従って報いを与えられること(ローマ2:6),善であれ悪であれ,各自がその肉体においてなしたことに応じて報いを受けること(Ⅱコリント5:10)について記している.黙示録22:12には,「見よ.わたしはすぐに来る.わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために,わたしの報いを携えて来る」と語られている.<復> 聖書が,報いについて語る時,終末論的視点から語られる場合が多い.終末において,キリスト・イエスにある者が,罪に定められることは決してない(ローマ8:1).それは,信じない者には罪に対する審判の時であるが,キリストにある者にとっては,キリストにあって行ったことに対する報いの時である.キリストにある者は,報いを得るために善き行いを努める者ではなく,救いの恩恵に対する感謝に満たされた応答として善きわざに励むのである.従って,それは,「なすべきことをしただけです」(ルカ17:10)という告白を伴うものであるだけでなく,終りの日に,主から,「御国を受け継ぎなさい」と報いを告げられても,自分のしたことに気付かないで,いつそれをしましたかと尋ね返すほどに,報いを目的とした行いとなっていない(マタイ25:34‐39).<復> このようなキリストにあって行われる善きわざに対して,この世においても報いが伴うものであることを見落してはならないが,その報いは,地上的,物質的な報いであるよりは,霊的祝福としての報いであることを知る必要がある.プロテスタント教会においては,ローマ・カトリック教会が教える功績(功徳)の思想を排除するあまり,こうした報いに対する積極的な評価を見失う極端に陥る危険を警戒しなければならない.<復> 功績の思想を聖書の中に見ることはできないが,その思想の起原は古く,すでに,使徒教父の文献に見出すことができる.ディダケー,ヘルマスの牧者,第2クレメンス書簡において,回心と洗礼(バプテスマ)は,過去の罪の赦しのみをもたらすものであり,洗礼後に犯した罪のためには,告解,その他の善行によって償われなければならないことが教えられている.罪の償いについて,教父テルトゥリアーヌスは,ローマ法の功績(meritum)と償罪(satisfactio)という法律用語を用いて体系化した.そして,罪は,償罪が行われない限り赦されることはなく,告解,自己卑下,断食等により,償いの価を支払わなければならないと教えた.<復> 中世の神学者は,等価的功績(meritum de condigno)と合宣的功績(meritum de congruo)とを分けて考えた.前者は,報いが当然である善行に対する功績であり,後者は,義とされていない者の善行に対する功績である.この行為は,罪によって汚れているゆえに,厳格に言って,神の愛顧に値しないものであるが,神は,聖化の恩恵をもって彼らに報いることを喜ばれる.そして,いったん,聖化恩恵によって救済されるならば,その人は,自らの自由意志を用いることによって,等価的功績を生み出し得る者とされる.ここから余剰の功績の教理が発展してきた.聖人は,自らの祝福のために求められているものを越えている功績を蓄積することができる.こうした余剰の功績は,天の宝庫に蓄えられると考えられた.そして,聖人に対する祈り,免罪符,その他,特別な信仰的行為によって,他の者にも与えることができると教えた.<復> 宗教改革者ルターは,このような功績思想に対して激しく反対した.ルターは,この教理が,律法主義に結び付くものであることを見て取り,功績の教理,免罪符,聖人崇拝に反対した.罪人が,神の前に義とされるのは,キリストの完全な服従によって得られた功績のゆえであり,福音こそが功績の宝庫にほかならないことを主張した.<復> トリエント公会議第6回会議(1547年)で,カトリック教会は,善きわざが,永遠のいのちを与える功績であることを宣言している(第16章).最近のカトリック神学者,例えばハンス・キュンクなどは,meritという言葉を用いてはいるが,神の恩恵を強調する.しかし,功績の教理は強調されている.福音主義の立場から,このような功績思想は,キリストの贖罪の完全性を損ない,信仰のみによる義認という聖書の中心的使信を危うくするものと言わざるを得ない.→恵み,契約・契約神学,義認.<復>〔参考文献〕Berkouwer, G. C., Faith and Justification, Eerdmans, 1954 ; Ku¨ng, H., Justification, Thomas Nelson, 1964.(橋本龍三)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社