《5分で分かる》救済史とは?

救済史とは?

スポンサーリンク

救済史…

ドイツ語でハイルスゲシヒテ(Heilsgeschichte)と呼ばれるが,贖罪の歴史,神の救いの行為の歴史とも訳され,旧新両約聖書が示す歴史を神学的にとらえる聖書解釈の一原理である.ゲシヒテということばをドイツの聖書学者はしばしばヒストリーと区別して使用しているが,それはヒストリーが客観的現象的に証明できる事実を指すのに対して,ゲシヒテはその内的な意味や重要性,証明不能な事柄を指すのに用いられている.救済史という概念を理解するためには,この点をまず覚える必要がある.聖書は確かに歴史的文書であるが,単なる歴史的文書ではない.ちょうどイエスはユダヤ人であるが,単にそれだけではなく,神の子であると記され,そう理解されているのと同じく,聖書の示す歴史も,一般の歴史的事実とともに,さらに深い意味を示し,また背後にある神の救いの計画がどのように人類の歴史に具体的に現され,展開されているかを示すものである.ここに一般の歴史との相違がある.<復> 救済史の概念を提唱したのはJ・ホーフマンであると言われているが,彼はドイツのルター派の神学者で,預言の機械的な理解に異議を唱えた人である.聖書解釈において,文法的・歴史的解釈が二大原理ではあるが,聖書が神のことばであると信じる者にとっては,聖書の著者である神御自身の解釈を求めるのが当然であり,ここに聖書の神学的解釈という第3の解釈原理が考えられる.それは神が聖書全体の著者であられるならば,そこに一貫性があり,明確な目的があるはずであり,神の論理(Theology)があるはずだからである.<復> このように,聖書の記す歴史は統一的であり,一般の歴史の中心を構成するものとして考える聖書理解を,救済史的聖書観と言う.それは旧約聖書,新約聖書が神・罪・救いという主題を歴史の枠の中で扱っているということを認めることと,聖書の解釈においても同じ原理を用いるという二つのことを意味している.旧約の歴史は,創造・堕落に始まる創世1—11章を序論として,アブラハムを祖とするイスラエルの歴史に入り,モーセによる出エジプトを中心的な出来事として扱っている.イスラエルの歴史においては,この出エジプトの出来事が救いの型となって繰り返され,それは新約に入って,キリストの受肉・十字架・復活・昇天・新約教会の誕生という新しいイスラエルの歴史の枠の中で扱われ,終末における審判と救いの完成を目指して進展している,というのが聖書の歴史観である.<復> このような聖書の歴史理解を扱うためには,それにふさわしい解釈原理が必要である.特に預言や詩歌の解釈においては,歴史的なものとして機械的に扱ったり,詩歌を歴史と切り離したりする危険を避けなければならない.また予型(タイプ)や象徴(シンボル)を正しく理解し適応することが必要で,シンボルとタイプの関係と区別を知ることが求められる.例えば,過越の小羊は身代りによる贖いのシンボルであり,それは歴史の中で行われたキリストの贖いの行為のタイプである.端的に言って,シンボルとは見えない霊的真理の具体的表現であり,タイプとはシンボルの時間的・歴史的進展の表現である,と言えよう.そして,制度的・祭儀的なもの(幕屋・神殿,いけにえの規定,安息日や祭日など)と歴史的なもの(出エジプト,荒野の放浪,土地取得など)の両方がシンボルとタイプを構成している.このことから,救済史的な立場で,シンボルを時間的・歴史的観点から扱おうとして,用いられるようになったのが,予型論的解釈(タイポロジー的解釈)である.この解釈法は新約聖書中にも見られるが,それは独自のものである.キリスト教の歴史の初期や中世ではこれが誤って寓喩的解釈と区別されなくなったこともあったが,ルターやカルヴァンは正しい意味での予型論的解釈を主張した.しかし,19世紀に入って前述のJ・ホーフマンなど少数の学者たちが予型論を重要視していたにすぎなかった.その時著されたのが,L・ゴッペルトの『テュポス』(1939)であった.この書は旧約学者フォン・ラート,M・ノート,新約学者ストフェール(シュタウファー)等の学者によって積極的に評価された.ゴッペルトによれば,旧約聖書の人物,出来事,制度等は新約において成就されるべき事柄の預言であったと考える.そしてフォン・ラートは,単なる預言の成就,実現や反復,繰り返しではなく,啓示が進展的なものであり,初めから終りへと漸進的に向かうものであることを主張した.<復> このように,聖書の歴史観が救済史的であることを認め,聖書をその立場から解釈しようとする時に予型論的解釈法が重要であることを指摘したが,忘れてならないことは,人類の全歴史が神の御手の中にあるということであり,キリストにおいて具体的に現された神の救いの御計画が,終末の完成を目指して,現実の歴史の中でキリストのことば通りに進展しているという信仰である.<復>〔参考文献〕『新聖書・キリスト教辞典』いのちのことば社,1985.(富井悠夫)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社