《5分で分かる》理神論とは?

理神論とは?

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理神論…

合理性を旗印とする18世紀啓蒙思想に特徴的な宗教思想.宗教的事柄を理性のもとに置こうとする努力から生れ,現実には啓示に基づく超自然的宗教(特にキリスト教)に対して自然的理性に基づく自然(理性)宗教を唱える.内容的には合理性を重んじるとともに宗教を道徳と結び付ける,あるいは道徳に還元する傾向を持つ.さらに思想の自由,宗教上の寛容を強調する.歴史的にはまず17世紀90年代以降イギリスで出現したが結局そこでは思想の主流とはならず,むしろヨーロッパ大陸に伝えられて大きな影響を及ぼした.<復> イギリスはすでに17世紀,この世紀前半ヨーロッパ大陸全体を巻き込んだ宗教戦争から比較的離れて,他の国々に先駆けて近代化の歩みをなしていたが,精神的・文化的にはルネサンス・人文主義的伝統を保持し,独自の合理主義的傾向を発達させていた.広く宗教と理性とを調停させようとするこの流れが,国教会のうちに,神学的により自由な立場の「広教主義」を生み出したが,そこに当時の教会・教派間の悲惨な闘争への批判が働いていることは見逃し得ない.ほぼ同じ土壌から,しかし広教主義の不徹底さを合理主義的に批判する形で出現したのが理神論と言えよう.その先駆者と目されるチャーベリーのハーバート(1583—1648年)は,全人類に与えられている理性による自然宗教は,(1) 神の存在,(2) 神礼拝の義務,(3) 神礼拝の主内容としての敬虔と徳,(4) 罪の悔い改めと除去,(5) 現世と彼岸における神の賞罰,等から成るとしたが,そこでは信仰の非寛容とともに無神論が非難されている.『キリスト教の合理性』(1695)を著した哲学者ロック(1632—1704年)の思想は理神論成立に大きな刺激を与えたが,彼自身は啓示の反合理性は否定しても超合理性は認めており,イエスをやはり救済者ととらえていて,本来の理神論者ではない.<復> 1696年J・トーランド(1670—1722年)の『キリスト教は神秘的でない』の公刊を機に国教会側の激しい反駁が起りいわゆる理神論論争が勃発.本来の理神論者としてはこのトーランドのほかに,『自由思想について』(1713)のJ・A・コリンズ(1676—1729年),『創造と同じく古いキリスト教』(1730)の著者M・ティンダル(1657—1733年)等が数えられる.一般にこの立場の合理性強調は,既述の合理主義的伝統のほかに,当時の数学的自然科学の目覚しい成功に伴う合理的思考の浸透,近世初頭の大航海時代以来の種々の非キリスト教的民族・宗教・文明に関する知識の増大がその前提となっている.かかる前提のもと,人類全体にかかわる普遍的宗教として自然(理性)宗教が提唱されるが,その際,真のキリスト教はこの自然宗教の再現にほかならないとされ,翻って伝統的・歴史的キリスト教がこの真のキリスト教からの堕落の歴史として批判されるのである.この批判は,一方で伝統的教義の批判であるが,他方で聖書の批評的研究となり,特に啓示真理の証拠とされてきた(旧約の)預言とその(新約における)成就に関する記事,また奇蹟に関する記事が批判の対象となった.反旧約・反ユダヤ的態度も醸成された.<復> 理神論に対する反論としては,J・バトラー(1692—1752年)の『宗教のアナロジー』(1736)がある.彼は中世のトマス・アクィナスのアナロジー概念に通じる思想に立って,理性と自然の根本的承認とともに,啓示による理性・自然の補充・補完を基礎付け,理神論への徹底的反駁をなした.しかしこのキリスト教・信仰の広教主義的理解は主知主義に偏りすぎ,その意味では,18世紀イギリスの最重要な信仰運動としてのメソジズムの展開が理神論の拡大を強く押しとどめたと言えよう.哲学者ヒューム(1711—76年)の懐疑論が従来の理性概念を解体したことも理神論の解消を促した.<復> フランスの理神論者としては,ヴォルテール(1694—1778年)が有名.彼には反キリスト教的色彩が強い.イギリス理神論の合理的自然宗教を自国に紹介して社会的偏見や教会的非寛容を攻撃したが,その大規模な歴史哲学的構想,特に中国文明の積極的評価は理神論を前提としている.ルソー(1712—78年)も理神論者に数えられる.彼の心胸の自然宗教はしかし,従来の理神論の主知主義を破って宗教への新しいかかわり方を示唆している.<復> ドイツにおける典型的理神論者としては,非常に先鋭的な聖書批判をなしたH・S・ライマールス(1694—1768年)がいる.レッシング(1729—81年),さらにはJ・S・ゼムラー(1725—91年)の聖書批評と正典史研究にもその影響が見られる.<復> 現代のキリスト教信仰にとって,近代理性に立つ理神論の提起した問は,近代・現代の理解,信仰と理性にかかわる解釈,聖書・啓示観等を巡って,依然として生きた問と言えるだろう.(常葉謙二)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社