ニヒリズムとは?
ニヒリズム…
何ものも存在せず,認識できず,あるいは価値なしとする説.ラテン語のニヒル(虚無)に由来する造語.虚無主義と訳される.「何ものも存在しない,存在したとしても知られ得ない,知られたとしても他人に伝達され得ない」と説いたと言われる古代ギリシヤのソフィスト,ゴルギアス(前483—375年頃)の立場はその古典的な一例と言えよう.ソフィストたちは古代文明が動揺し始めた時に現れた人々であり,一般に時代の激動期・転換期には何らかの形でニヒリズムが出現する.思想的に現代に通じる比較的重要な意味で使用された最初の例は,ドイツの哲学者,F・H・ヤコービ(1743—1819年)の『フィヒテ宛書簡』(1799)に見られ,そこではフィヒテの観念論が無神論と言うよりはニヒリズムとして非難されている.しかしこの表現が一般に普及したのはツルゲーネフ(トゥルゲーネフ)の小説『父と子』(1862)によると言われる.この小説では,19世紀半ばのロシアにおける,科学的合理主義を唱え,個人主義的・自然主義的で厭世的な世界観を抱き,一切の権威を認めず,社会の慣習・道徳を否定し,いかなる国家的規制をも拒否する急進的な無政府主義的運動がニヒリズムとされている.19世紀後半のテロリストの運動もそう呼ばれた.ドストエーフスキイは彼の小説でニヒリズムを宗教的・道徳的な問題として扱っている.<復> 今日ニヒリズムと言う場合,特に人間の生の意味・目標,行為の価値に関する全き隘路・混迷を語ったニーチェ(1844—1900年)の思想が最重要である.彼がニヒリズムをまさに自覚的に自己の哲学的中心問題として取り上げ,その後,ニヒリズムは実存主義においても主要な問題となっている.ニーチェは「ヨーロッパのニヒリズム」を言い,「私が語ることは,今後の2世紀の歴史である.もはやこれ以外は来ることのできないもの,すなわちニヒリズムの到来を私は述べる」と,19世紀80年代に書く.このような予言が可能なのは,彼によれば,ニヒリズムが「われわれの偉大な諸価値・諸理想の最後まで考え抜かれた論理学」にほかならないからである.ニーチェは自らニヒリズムを徹底して生き,かつそれを克服しようとしたのであった.<復> ニーチェはニヒリズムの概念を二つの意味で用いる.第1にそれは,キリスト教的な神や価値,プラトン的な形而上学的真実在,つまり真なる超越的な彼岸の世界への信仰の消滅により,それに支えられていた現実の生・世界が無価値・無意味となったと感受する状態,いま始まりつつあるヨーロッパの歴史的危機状況である.「ニヒリズムとは何か.最高の諸価値が価値を失うこと,目標がないこと,『何のために』という問への答が欠けていること」であり,これすなわち「神の死」と言われる事態である.第2には,キリスト教やプラトン主義のように,超越的な実在や価値を認め信じる立場がまさにニヒリズムとされる.このような超越的・理想的なものを案出し,それを介して初めて現実の生・世界を価値付け秩序付けようとするのは,この現実の生・世界のありのままの自然の姿を軽蔑・無視する弱さにほかならず,ニヒリズムである.従って,ヨーロッパのプラトン主義的キリスト教的伝統が実は現実の自然な生や世界に対するニヒリズムであることが,今やあらわになってきたのが現代のニヒリズム的状況なのである.そして,このニヒリズムの徹底の後に来るものが,ニヒリズムの自己克服としての自然な生・現実のありのままの承認,「永遠回帰」の生の全面的肯定の立場と言えるであろう.<復> 現実の存在・存在者の根底に,神や真実在ではなく,「無」を見るという意味で,老荘や仏教の思想もニヒリズムと言うことができよう.老荘思想の「無為自然」や仏教の「空観」には,確かにニーチェの自然肯定に通じるものがある.東洋宗教・思想の伝統的キリスト教批判が,ニーチェのキリスト教批判を踏まえた,大変鋭い切っ先を持つことは認めなければならない.<復> 今日の生・世界の現実が深刻なニヒリズム的状況をあらわに示していることは,誰も否定できまい.特に日本にあっては老荘的・仏教的伝統も強く,ニヒリズム的状況は一層根深い.ニヒリズムを克服するものとして主張される「自然・生」の立場も,その自然や生の概念があまりにも多義的であり,ニーチェ思想とナチズムの関係も示唆するように,それ自体ニヒリズムの一形態と言えよう.現代のキリスト教信仰は,この状況において,自らの歴史・伝統をさらに厳しく吟味しつつ,より一層「神のことば・聖書」に聴従することが求められている.第1次世界大戦後の現代神学の動向も,近代神学とは違って,そのような方向への模索をなしていると言えるだろう.→ニーチェ,実存主義.(常葉謙二)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社