《5分で分かる》ウェスリ,ジョンとは?

ウェスリ,ジョンとは?

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ウェスリ,ジョン…

Wesley, John,1703—91年.メソジスト運動の創始者.英国エプワースにおいて英国教会司祭サムエル・ウェスリと妻スザンナとの間に第15子として誕生.国教会に対する忠誠と初代教会に対する憧れとを父に習い,宗教教育の尊さを敬虔な母から学ぶ.オックスフォード大学在学中に,トマス・ア・ケンピス,フェヌロン,ジェレミ・テイラー,ローらの書物と出会うことで,キリスト教とは,個人の心に愛という中心を持ち(きよい心),同時に実生活の隅々にまで信仰と愛の原則を実践すること(きよい生活)であると確信する.1726年に大学の研究員に選ばれ,1728年に国教会の按手礼を受ける.1729年より,ホーリー・クラブに加わり,指導的立場をとる.そこで,会員の仲間とともに聖書の原書講読や初代教会の研究に取り組み,17世紀の国教会の神学を学び,他方,神秘主義への傾倒も本格化していく.同時に,時や財を管理することに努め,週2回の断食や,機会があるごとに聖餐式にあずかるという敬虔のわざに励み,病院や刑務所を訪れ,身寄りのない子供たちを対象に学校を始めるという慈愛のわざに励む.多岐にわたる伝統の学びや活動は,やがてのメソジスト運動の神学と実践に素地を提供する.だが,こうした活動の背景には,当時,国教会の主流を占めていた「誠実さをもって救いを獲得する」という誤った義認の教理があり,結果として,神の前に誠実を尽しても,救いの確証が得られないままであった.1735—37年にかけてのアメリカにおける宣教活動も,伝道の挫折や恋愛問題のこじれなどがもとになって,自己の努力に対する絶望へと彼を追い込んでいく.だが,アメリカでモラビア派の宣教師に触れ,やがて帰国後,同派のペーター・ベーラーの導きで,「ただキリストのみに頼る」信仰によって自分の罪が赦されたことを体験した.1738年5月24日,アルダスゲイトでの出来事である.ここに,カトリック的なきよめの追究とプロテスタント的な「恵みのゆえに信仰のみによって」という原理が融合された.1739年,信仰による義認の教理が原因で国教会が門を閉したために,彼は野外説教を中心とした大衆伝道に踏み出す.「世界はわが教区」という確信を得て,既存の教会の枠にとらわれず,しかも教会から分離しないという原則に立って,人々の魂の必要に答えるためにソサエティー/組会(クラス・ミーティング)と呼ばれる組織を各地に編成し,巡回伝道者を派遣してメソジスト運動を果敢に展開していく.その目的は,「聖書的聖潔を全土に広め,国家を,特に教会を改革する」ことであった.馬の背に乗って伝道旅行をした道程40万キロ,66年の伝道者生涯で説教をした回数約4万,出版物400,70歳を越えて書いた手紙の数だけで2千を越えている.1766年には米国メソジストが組織された.米国独立戦争によって英国教会牧師が帰英したため,1784年にはアズベリとコウクを監督として任命し,同年,米国メソジスト教会が発足した.だが,メソジストと国教会との分離の動きが勢いを増していく中,ウェスリはそれを抑えて,終生,英国教会の伝統的神学とその制度を尊んだ.<復> ウェスリの神学は様々な論争を中心に展開される.国教会とは聖霊による確証の教理で,カルヴァン派とは予定論の問題で,モラビア派とは「静止主義」の問題で,理神論者とは罪と十字架の問題で,アンティノミアニズムとは律法の問題で,ウェスリは論争を何度か繰り返していく.彼の神学は特に救済論と実際生活に強調点を置き,多岐にわたる伝統を吸収して,信仰と行い,心と生活,恵みと人間の意志,リバイバル主義とハイ・チャーチ,ラテン神学とギリシヤ神学,と神学の世界で一方に偏りがちな要素をバランスをとって保持している.説教,日記,手紙のほかに,理神論や予定論に反論する高度に神学的な論文も出版している.また,「一書の人」と自称した彼であるが,彼の著作は,自然哲学・医学に関する書物から政治・経済に関する小論に至るまで,幅広く,神学と18世紀英国の文化との対話を交えている.<復>〔参考文献〕『ウェスレー著作集』全7巻,ウェスレー著作集刊行会発行,1961—73;山口徳夫訳『ウェスレー日記』全4巻,イムマヌエル綜合伝道団,1984—85;野呂芳男『ウェスレーの生涯と神学』日本基督教団出版局,1975;Baker, F. (ed.), The Works of John Wesley, Abingdon.1975—.(藤本 満)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社