《5分で分かる》聖とは?

聖とは?

聖…

1.基本概念.<復> 神の聖性とは,主なる神の道徳的属性の一つというよりも,神の全存在を指す.絶対的に聖であられる主が,その聖性を相対的に部分的に,人または事物に付与なさることも,聖書の教えるところである.<復> 2.語義.<復> (1) 旧約聖書では語根qds▽が聖を表す代表的な語である.動詞qa~d_as▽はホファル話態以外の6話態において使用され,「聖である,聖とする,聖となる,聖であるとして示す(取り扱う)」などの意味を表す.名詞qo~d_es▽,形容詞qa~d_o^s▽その他を合せて830回以上使われている.その語源的意味は,光輝,分離(隔離),崇高,純潔などと推測される.<復> (2) 新約聖書ではhagiosがこれに相当する.神によって,または神のために,他のものとは別にして取って置かれた,の意.神について用いられる時は,神のみに属する聖,尊厳,栄光を表す意味で使われる.この語がイエス・キリスト,聖霊,教会,クリスチャン(キリスト者)についても用いられていることが,新約に目立つ点である.<復> 3.神の聖.<復> この「聖」という概念は本来的には,創造者であり贖罪者である主なる神にのみ当てはまるもので,他の一切から超越し隔絶された絶対的存在者を表すのにふさわしい.まことの神にとって「聖性」は「神性」とほぼ同義であり,主なる神の独得にして本質的な性格もしくは存在それ自体を表す.そこから義,公平などの各種の属性が現れてくる.ところでこの神の聖は,神の義及び神の救いと緊密に結合し,単なる抽象的な観念ではなく,救いのみわざとの関連で表される.すでに旧約においてイスラエルを選んでこれを御自分の民とし,契約の民として下さったことにおいて,神の聖は歴史の中に具体的に発現されることとなった.<復> 4.事物に付与される聖.<復> それ自体の性質によるのではなく,神との関連のゆえに場所や事物,時などが聖とされる場合である.ここでは分離の観念が支配的で,俗なるものからの別離,神に奉献され聖別されることにより,神の所有,所属とされることを表す.このような事物等の「聖別」の主体は神であるが,人間に対してもそれらを聖なるものとして扱う(聖別する)べきことが命じられ,要求される.<復> 5.人に付与される聖.<復> これは基本的には契約の民とされたイスラエルを,そして後には教会を対象とする.「わたしが聖であるから,あなたがたも,聖でなければならない」(Ⅰペテロ1:16,レビ19:2).神がその民(及びこれに属する各個人)を聖別するという神の側の意志と行為に応じて,人の側にも自己を聖別することが要求される.それは自己奉献(献身)によって現実化され,信仰(特に契約への誠実・ヘセドゥ)によって維持される.このような聖別は事物についても認められたが,人間の場合は聖別とともに聖化が「付与される聖」の内容として伴うところに,重要なポイントがある.聖別は専ら主なる神との関係(所属・所有)をその中心とするが,聖化は人格的存在としての人間が神との人格的な信従の関係において,神の聖なる性質を分与される側面を中心とする.<復> 6.聖別と聖化.<復> 神が聖なるお方であることについて,聖書を信じる以上異論はあり得ない.また,神がある事物を聖別なさるということも,旧約に明記されており,問題はない.ただ,神が信じる者を聖となさるということになると,細かい点ではキリスト者の間でも,その信仰的立場によって見解の相違があることは知っておくべきであろう.その際,「聖別」は日本語訳聖書にそのまま用いられている語なので比較的問題は少ないが,「聖化」は聖書的用語であっても聖書用語ではなく,むしろ神学用語なので用い方に注意が必要となる.聖化は信じる人間に対して神がなさる恵みのわざである,という基本線はほぼキリスト教会に共通している.しかしその細かい具体的内容になると,その理解の幅は,神学的立場に応じてかなり広い.しかし使徒信条における「われは…聖なる公同の教会…を信ず」という告白は全教会の共通のものである.→神の属性,聖化,聖別,きよめ.<復>〔参考文献〕G・A・ターナー『ウェスレー神学の中心問題』福音文書刊行会,1974;『論集・聖化』(特にその中の,小林和夫「聖化論の教義学的検討」)東京聖書学院,1979.(千代崎秀雄)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社