《5分で分かる》オカルトとは?

オカルトとは?

オカルト…

オカルト([英語]Occult)という言葉の本来の意味は,「隠れた知恵」または「秘密の知恵」である.一般には,通常の人間の知識では説明できないような現象や行為を指す.例えば,(1)五感など通常の人間の情報伝達の手段を越えた伝達の仕方,(2)人間を超自然的な力,悪魔的な力,異常なエネルギーなどにさらすこと,(3)他者をある特定の行為に仕向けること,などの意味で使われる.<復> こういう意味でオカルトという言葉を使用すれば,聖書は唯一の創造主なる神のみを礼拝し,オカルト的な占いや魔術を避けるよう繰り返し述べている(レビ19:26,31,申命18:10,11,Ⅱ歴代33:6,イザヤ8:19).<復> 今日,オカルトの主唱者たちは,社会的に認知を得ようとして,オカルトが基本的に科学と矛盾しないことを示そうとしている.超心理学といった分野もその一つである.ただ,超心理学が本当にオカルトに対する科学的研究であるのかどうかについては,アカデミックな世界でも宗教の世界でも,ともに意見が分れている.オカルトがそもそも,科学的にとらえられない事を扱う分野と称しているからである.<復> 現代社会において,西欧近代の合理主義的な考え方が行き詰りを見せている中で,西洋社会でも芸術,心理学,宗教学などの分野では,人間の非合理的な要素の再評価が進んでおり,オカルトや神秘主義が持つ世界観と似たような世界観が市民権を得つつある.東洋においては,オカルト的世界観は思想としては決して珍しいものではなく,古来から人々の宗教意識の中に潜在的に存在しているものである.むしろ合理主義的な思考のほうが,西欧近代社会からの輸入であって,東洋にはまだ十分に根付いていないとすら言えるだろう.<復> オカルト的見方は,基本的に人間の内にある神秘性や霊性を強調するものであり,聖書に啓示された人格神と,神の像に造られた人間性をゆがめてしまうものである.その考え方の骨子は以下の諸点に要約できるだろう.<復> (1) 人間自身が神聖であるとする考え方.それはちょうどサタンが人間をだまして「人が神のようになる」と誘惑したように(創世3:5),最終的には人間を神と等しいとするところまで突き進んでいく.<復> (2) すべてのものが一つであるという考え方.これは実在(リアリティ)が究極的には一つであるという一元論に導かれ,存在するものすべてが神の延長であり神そのものである,という汎神論になっていく.ここには,神が種類に従って創造したという被造世界の持つ多様性は消滅していき,善悪の区別も失われていく.<復> (3) 人生の目的は自らの内にある神聖さの自覚だ,という考え方.これはいわば″覚(さと)り″のような形での自己実現を人生の究極の目的とすることであり,救いとはこのような自己実現を体験することとなる.<復> (4) 人間性は基本的に善である,という考え方.つまり悪というのは幻想とされ,罪の結果であるとは考えられていない.従って悪を断ち切るために人間の無知をおのずから克服することが必要とされ,罪の贖いは必要とされなくなる.<復> (5) 様々な霊的力を使って自己実現をはかる.瞑想,ヨーガ,踊り狂うことなどを通じて″覚り″の境地に達していき,そこから人々を指導し感化を及ぼす.<復> 以上のようにオカルトの世界は,聖書が述べているキリストによる贖罪と聖化の働きを無にするものである.特に日本人キリスト者は,日本の伝統的宗教風土がここで言うオカルト的なものであることを自覚しなければならない.例えば宗教学者の堀一郎は『日本のシャーマニズム』(講談社,1971)の中で次のように述べている.「キリスト教徒と仏教徒と新宗教の信者とを問わず,彼らに顕著に見られる現象の一つに,『神父信仰』,『宗祖信仰』,『教祖信仰』,『法主信仰』,『会長信仰』ともいうべき独自の形態がある.それはオーソドックスな宗教の教理的,系譜的,かつ普遍的信仰現象ではなく,最も直接的,具体的な生きている宗教的指導者への熱狂的,もしくは情緒的な信頼と支持である.教祖は多くの場合,生き神であり,法主は生き仏である」.このように日本のキリスト教は日本宗教の基層にあるオカルト的要素によって絶えず侵食される危険性があるので,十分な注意が必要である.→神秘主義,占い,日本の宗教.(稲垣久和)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社