《5分で分かる》救い主とは?

救い主とは?

救い主…

ルカ24:27に記す通り,聖書全体が救い主について証言しているのであるが,メシヤへの期待は各時代にそれぞれ様相を異にしていたようである.救い,あるいは救い主への期待というよりは,まず神の側からの約束を語るべきであるかもしれない.救いの約束は,罪の歴史とともに古い.人が罪に堕ちるや否や,神はすぐにも救いの道を開いて下さった.原始福音とも言われる創世3:15である.「わたしは,おまえと女との間に,また,おまえの子孫と女の子孫との間に,敵意を置く.彼は,おまえの頭を踏み砕き,おまえは,彼のかかとにかみつく」.次に顕著に示されるのは,神のアブラハムへの語りかけの中にである.創世12:3,17:7等が挙げられる.その約束,その信仰は,イサク,ヤコブ,ユダ…モーセへと受け継がれ,並行的に個人の信仰から選民イスラエルの信仰へと育てられていく.<復> イシュマエルではなくイサクが,エサウではなくヤコブが…という中に救いと選びの神秘が進行する.初代の王サウルが退けられて後に立てられるダビデ,その子ソロモンの時代にイスラエル王国は理想の王の出現を見,王国も繁栄するが,ダビデ・ソロモンの優れた信仰,器量にもまして,神の側の主権的な選びがあり,将来のメシヤ像に至ってはとうてい人の力,知恵の及ぶところではない.「あなたの日数が満ち,あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき,わたしは,あなたの身から出る世継ぎの子を,あなたのあとに起こし,彼の王国を確立させる.彼はわたしの名のために一つの家を建て,わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる」(Ⅱサムエル7:12,13).<復> それ以後,イスラエルの希望はダビデ王家の子孫に注がれるのであるが,現実の王家の歴史ははなはだ罪深く,分裂と低落の一途をたどる.しかしながら,時代の進行とともに,救い主への約束は預言者たちを通して,次第に明らかにされていく.確かにされていったことの一つは,それが王である救い主ということ(詩篇2:6等),父なる神との関連で言えば,子(生んだ)であること(同2:7等),その卓越性は例えばイザヤ9:6以下に示されている.しかも,預言の当時にはほとんど注目されず見過されたようであるが,イザヤ52:13から53:12に至る苦難のしもべの姿は,メシヤ像の中でもあまりに特異,また驚嘆すべきものである.<復> 世界の歴史におけるいずれの国にも,とりわけ被支配の経験の多く長い小国においては,救世主の待望はしばしば国民的信仰にまで育ち得るであろう.現に,キリストの登場する当時のイスラエルでも,純粋に信仰的なものでない,素朴な,あるいは政治的な救い主への期待があった(ルカ3:15,ヨハネ6:15,7:40‐43等).<復> 私たちの救い主は,旧約聖書の枠組を通して,預言の成就として到来するのであるが,王国滅亡,バビロン捕囚,いわゆる中間時代には,その期待はどのように変化したであろうか.死海写本,マカベア書,旧約偽典等の証言を総合すると,ちょうどイスラエルが神殿礼拝から会堂(シナゴーグ)礼拝へと移行していったように,肉によるイスラエル,ダビデ王朝の連続性への期待から,メシヤの理想化,質的充実の方向へと進んだようである.だがしかし,前2世紀半ばのマカベア時代に,王家再興の機運が高まり,さらには前1世紀のローマによる統治の始まりは,必然的に多くの人々に政治的解放の救い主を期待させることとなる.<復> ただし,圧倒的多数が神の御心にかなう待望をしていなかったとはいえ,救い主の到来を告げる福音書記者の筆は,信仰深い少数の選民がいたことを告げる.聖書の示す真の救い主は,政治的地上的に対しては倫理的天上的霊的なるお方であり,誤った選民主義を打ち砕く,全世界の救い主であった.そしてこのことが,賢い者や知恵ある者には隠されて,幼子たちに現されたというところに神の知恵があったのである(ルカ10:21等).→キリスト論,キリスト論論争,キリストの称号.<復>〔参考文献〕『新聖書注解・旧約4』『新聖書注解・新約1』『新聖書・キリスト教辞典』(いのちのことば社)(1974,1973,1985);Kittel, G./Friedman, R., Theological Dictionary of the New Testament, Eerdmans, 1976.(下川友也)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社