《5分で分かる》死刑とは?

死刑とは?

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死刑…

「人の血を流す者は,人によって,血を流される」(創世9:6前半).このことばは,人を殺す者は死刑に処せられるという刑罰の意味よりも,人を殺してはならないという禁止の命令である.このように,聖書では原則として,どのようなかたちにせよ,人を殺すことを禁止している.これは人が神のかたちに造られているという理由からである(同9:6後半).従って人を殺すことは神に対する反逆と考えられている.しかし聖書には死刑が認められている場合もある.それには次のようなものがある.<復> (1)親殺し(出エジプト21:15),(2)誘拐罪(同21:16),(3)両親へののろい(同21:17,レビ20:9),(4)呪術者(出エジプト22:18),霊媒,口寄せ(レビ20:6,27)等,(5)獣姦者(出エジプト22:19,レビ20:15,16),(6)他神礼拝者(出エジプト22:20,レビ20:2),(7)姦通者(レビ20:10‐14).これらの規定は,荒野での生活の中で語られたもので,そのまま現代には適用できない.しかしこれらの律法を見ると,その犯罪のどれも,人間社会の最も基本的な規範を犯すものである.従ってそれは,神の創造の秩序を犯すものであり,神に対する反逆と考えられる.<復> モーセに対するコラたちの反乱(民数16:1‐35)の場合には,神の御名による処刑が行われた.これは神がお立てになったモーセという権威に対する反逆と判断されている.モーセ自身もその判決,処刑等については完全に神にゆだねたかたちで行っている.アナニヤとサッピラの場合(使徒5:5,10)にも,同じく彼らの行為が神に対する反逆と考えられる.ここでも処刑そのものは,直接神御自身の御手によってなされている.また意図的に人を殺害した者に対しては死刑が宣告されており(民数35:16‐21),祭壇の前からでも引き出して処刑するように定められている(出エジプト21:14).一方過って人を殺した場合には,その親族の復讐は黙認されているが,彼を復讐者から守るために「のがれの町」が定められている(民数35:10‐15).過って人を殺した者は,その時の大祭司が死ぬまでこの「のがれの町」に住まなければならない.そこにいる限り安全であるが,一歩でも外に出れば,身の安全の保証はない(同35:26,27).「のがれの町」に逃げ込むことによってその者の罪の償いがなされると考えられるのである.<復> いわゆる死刑制度は法治国家としての近代国家の誕生とともに起ったものである.しかし報復としての死刑は人間の歴史始まって以来のものと考えられる.聖書は,この報復としての死刑に一つの歯止めをかけていると言うことができる.K・B・レーダーの『死刑物語』では,血の復讐としての死刑は精霊信仰と人身御供という宗教的習俗がその温床で,贖罪のやぎ(レビ16:6‐10)を求める集団的な潜在意識によるものであるとされている.そして近代国家による死刑の制度は,国家による血の復讐の代行であると言われている.凶悪な事件によって肉親を殺された遺族に対して,マスコミが無理やりに感想を聞き,憎しみのことばを報道することにも,この復讐代行の効果が期待されているようである.最近では,死刑制度が廃止される傾向にある.その理由は,(1)死刑は残虐であり人道上受け入れられない.(2)死刑執行後誤判であることがわかっても救済方法がない.(3)死刑が必ずしも犯罪の抑止力にはならない,といったものである.仮に聖書が死刑を命じていることを理由に死刑制度が正当化されても,結局は人間が人間をさばき,死刑を執行することになる.聖書は殺人に対する報復を認めてはいるが,それが制度化されることに伴う弊害には十分に注意しなければならないということも暗示している.「1989年11月22日,国連総会第3委員会は死刑廃止条約を賛成55票,反対28票,保留45票で採決した.現在81か国が死刑を制度上ないし事実上廃止している.死刑を大量に利用している国も少数ではあるが存在する.それらの国では死刑が政治的な弾圧の手段として使われたり,不公正な裁判の結果,死刑が宣告されたりしている」(「アムネスティ通信⑧3」〔「世界」1990年1月号所収〕岩波書店).<復>〔参考文献〕J・マーレイ『キリスト者の倫理』聖書図書刊行会,1969.(荒井隆志)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社