《5分で分かる》マリヤ崇敬とは?

マリヤ崇敬とは?

スポンサーリンク

マリヤ崇敬…

[英語]Mariolatry,[ラテン語]Hyperdulia.イエス・キリストの母マリヤを聖母として崇拝するローマ・カトリック教会の慣習である.使徒教父たちのマリヤ論は,ガラテヤ4:4の「女から生まれた」([ギリシャ語]ゲノメノン・エク・グナイコス)を創世3:15の「女との間」([ギリシャ語]メソン・テース・グナイコス)と関連させて解釈し,理論を展開している.特に殉教者ユスティノスは『トリュフォンとの対話』の中で,またエイレーナイオス(イレナエウス)は『異端反駁論』の中で,神への不従順を選んだ処女エバと神への従順を選んだ処女マリヤとを対比させながら救済論を展開した.彼らの「処女マリヤの従順」の教理は,「処女性について」([ラテン語]De virginitate)のテーマで,その後の東方や西方の神学者によって論じられていった.<復> マリヤ崇拝にはもう一つの流れがあった.それは『マリヤの誕生』に代表される,一連のマリヤ誕生に関する伝説である.ガリラヤのナザレ出身の父ヨアキムとベツレヘム出身の母アンナとの間に,天使の告知によってマリヤが生れるという話だが,特に重要なのは『マリヤの誕生』3章5節にある,この処女マリヤが救い主を産むという告知である.ここでは,マリヤが生れる前から救い主の母となることが告知されているのである.3世紀のエジプトで書かれたこの『マリヤの誕生』物語は,東方教会に大きな影響力を与え,またその後,無原罪懐胎の信仰へと発展していく.<復> 神学的展開と民間信仰が錯綜する中で,ヨハネ1:14を根拠にして「聖なる処女はキリストの母([ギリシャ語]クリストトコス)である」と主張したネストリオス(ネストリウス)は,アレキサンドリアのキュリロスにより退けられ,エペソ総会議(431年)によって追放された.ただしキュリロスが主張する「神の母([ギリシャ語]セオトコス)」という称号については,エペソ総会議によっても決着がつかず,アンテオケのヨーアンネースの呼びかけによって開かれた会議での合同信条によって(433年),「われわれは聖なる処女が神の母であると宣言する」という結論に至った.そしてカルケドン総会議(451年)で再び確認され,カルケドン信条の中に入れられた(「神の母,処女マリヤより」,[ギリシャ語]ek Marias te~s parthenou te~s Theotokou).<復> マリヤ崇拝に基づく祝祭日が典礼的礼拝の中に加えられたのは,東方教会すなわちビザンチン式典礼を用いている教会のほうがはるかに早かった.ローマ・カトリック教会の典礼に一連のマリヤに関する祝祭日が加えられたのは,最初のギリシヤ人教皇セルギウス1世(687—701年在位)による.またトマス・アクィナスは,Ⅰ列王2:19の類比からマリヤ崇敬を語り(『神学大全』Ⅲ25:5),申命5:5とⅡコリント5:19の類比から神と人との仲介者マリヤについて語って(同Ⅲ26:1),カトリック教会のマリヤ論を確立した.そして,彼のマリヤ論は,教皇レオ13世(1878—1903年在位)によってカトリック教会の教義に加えられた(『カトリック教会文書資料集』3320,3321).(→コラム「セオトコス」),→無原罪懐胎,聖人崇敬,処女降誕.<復>〔参考文献〕『初代教会』(キリスト教史第1巻)第6章,講談社,第1刷1980;『教父時代』(キリスト教史第2巻)第20章,講談社,第1刷1980;『中世キリスト教の成立』(キリスト教史第3巻)第11章,講談社,第1刷1981;A・エバンヘリスタ『マリア論入門』(中央新書8)中央出版社,1971;“The Gospel of the Birth of Mary,” The Lost Books of the Bible, The New American Library, 1974 ; The Ante‐Nicene Fathers (American Reprint of Edinburgh Edition), Vol.1, Eerdmans, reprinted 1969.(太田良一)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社