《5分で分かる》クエーカー派とは?

クエーカー派とは?

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クエーカー派…

キリスト友会(ゆうかい)あるいはフレンド派とも呼ばれるクエーカー派は,17世紀英国に起った霊的な覚醒運動である.その起源は英国ピューリタンのより急進的なグループに求めることができる.初代の指導者G・フォックスは,当時の形骸化した教会生活,礼拝,礼典,また果てしなく続く教義論争に失望し,霊的体験を求めて,放浪の旅に出る.1646年に個人的な啓示とキリスト体験を得た彼は,霊的真理が,教理や聖書のことばの中ではなく,生けるキリストの内なる光(Inner Light)の中に存在し,その真理は魂への神の直接的な語りかけによって体験できると説いた.ここに「真理の友」(Friends of Truth)という呼び名が生れ,後にフォックスに従う人々は,フレンズと呼ばれるようになる.また,弾圧を受けて裁判に立たされた時,フォックスが,為政者は主のことばの前に恐れおののくべきであると勧めたところから,判事は彼のグループを「クエーカー」(恐れおののいて,震える者)と嘲笑を込めて名付けた.<復> フォックスの神学はロバート・バークリに受け継がれ,組織化され,バークリの『真のキリスト教神学の弁護』(1676年)は,クエーカー神学の古典書となった.<復> クエーカー神学は,万人祭司主義を徹底して教職制度を否定し,また女性も同権的立場と責任とを持って,集会や組織運営に参加すべきであるとした.年会・月会と呼ばれる信仰共同体の運営方法は,フォックスの『会を運営するための規則』(1668年)に定められている.集会の中心は,聖書の教えを解き明かすよりは,沈黙のうちに個人に与えられる聖霊の語りかけをあかしすることへと移された.また,キリスト教の実質は,教会制度や正統教義の中に存するのではなく,生けるキリストの内なる光(Inner Light of the Living Christ)にどれほど忠実に歩んでいるかという実際生活の中にあると主張された.そうした意味で,クエーカー派の人々は,世的な考えに染まってしまったキリスト教体制を批判し,主の山上の説教に厳密に従うことを試みた.真理を語る者は,あえて誓いを立てる必要はないとして誓うことを拒否し,戦争に対しては完全な平和主義を主張,暴力に対しては非暴力を実践した.また,18世紀の中頃から彼らは積極的に奴隷制度に反対した.1807年にウィリアム・ウィルバフォースが英国の議会で奴隷売買禁止法案を可決させた背景にはクエーカーの支援があった.さらにクエーカー派は,国が特定の礼拝形態を強要することに反対して,礼拝等の信仰表現の自由を求めた.人間の良心にかかわる信仰領域に,国家権力が強制的に介入すべきでないと主張したのである.現代のわれわれが享受している信教の自由のために,多くのクエーカーの血が流されているのである.<復> 母国で迫害を受けたクエーカー派の人々は,17世紀中頃から新大陸に移民を始め,1682年にはウィリアム・ぺンの指揮下に,ペンシルベニア州フィラデルフィアがクエーカー都市として誕生し,アメリカ的自由と民主主義との精神の基盤を提供したと言われる.19世紀初頭に,年会が分裂したものの,その世紀には海外への宣教熱が高まり,1867年にはカナダに年会が設立され,1882年にはフィラデルフィア友会の婦人外国伝道協会が組織された.この婦人外国伝道協会は,当時留学していた内村鑑三,新渡戸稲造との接触を通して,1885年(明治18年)に初めて宣教師を日本に送り,1887年には東京の芝に普連土女学校(現在の普連土学園)を創設した.1917年(大正6年)に日本年会(日本キリスト友会)が結成された.その後,1941年(昭和16年)に日本基督教団に加入したが,1947年に独立している.<復> 現在,クエーカー派の信徒数は世界で約20万人と言われ,そのうちの50%が米国に,また8%が英国に集まっている.→フォックス.<復>〔参考文献〕竹村豊太郎『クエーカーの信仰の本質』キリスト友会日本年会刊,1960.(藤本 満)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社