《5分で分かる》転嫁(転帰)とは?

転嫁(転帰)とは?

スポンサーリンク

転嫁(転帰)…

「転帰」「帰負」などとも言われ,「支払いや損害等を誰かの負担にする」ことを意味するラテン語imputareに由来する神学用語imputatio([英語][ドイツ語]imputation)の訳である.経理的用法から転じて,神学的に,ある人の功績または負債を他の者に帰することを意味する.「義認」の教理において特に重要な役割を果す概念であって,〈贖罪とはわれわれの罪の代価をキリストに負わせることであり,義認はキリストの義がわれわれに帰せられることである〉とするプロテスタント的救済論の論理表現であるとともに,〈原罪の結果としてアダムの罪と罰がわれわれすべてにもたらされる〉という原罪論の論理でもある.それは,ローマ及びⅠコリントにおいてパウロが,キリストの救いのわざとアダムの罪とを対比させ,人間は一人のキリストにあって贖われ神との和解に入れられるように一人のアダムにおいてすべて罪人と見なされると説くところに通じる.<復> 原罪論的転嫁の概念は,しかし,過去において論議の的になってきた.本来自由であり自分自身の罪に対してこそ各自責任を問われるべき人間が,アダムの犯した罪といういわば自分にとっては外的な事柄によって罪に定められそれに対する罰を負わされるというのは,一見非常に理不尽なことだからである.転嫁の概念を原罪と結び付けることを拒む立場もここから出てくるわけであるが,従来,例えば,アダムの罪がわれわれに転嫁されるというのは,われわれが単に罪と見なされることではなくてすべての人がアダムと同時的に実際に罪を犯したということであり,従ってアダムの罪は決して外的なものではなく真実各自の罪であるといった理解や,アダムは人類の代表者として造られたのであり,その代表者アダムの罪は必然的にわれわれ一人一人の罪となるという説などが一応の答として出されている.<復> 転嫁概念の積極的意義は,もとより義認の教理の神学的確立にある.新約聖書において,キリスト者は「ひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物」(ローマ5:15)として無償で神の義を受けるとされる.信仰者にキリストの義という〈外なる義〉が転嫁され,彼は実際は義なる者ではないにもかかわらず,あたかも義であるかのように見なされ,救いに入れられる.このことは何ら人間の側の功績によるのではなく,ただ神の純粋な愛に基づく.中世カトリック神学の〈注入される恩寵〉という理解に対して,宗教改革の神学者たちは,信仰者へのキリストの義の転嫁ということを強調することによって,信仰のみによる無償の罪の赦し・無償の救いを説いた.カトリック神学によれば,神の恵みとは何よりもキリストの義が信仰者に現実に注ぎ入れられることを意味する.注入されたキリストの義は,それ自身一種の実体として人間を実体的に変化させ,そこに人間の義化ということが起り,彼は実際に義となる.そこに説かれるのは,従って,義のimputation(転嫁)ではなくむしろimpartation(分与)なのである.これに対してプロテスタント神学においては,キリストの義は,現実には罪人であり続けるほかはない信仰者に対して,そのまま彼自身の義として転嫁される.この義は,決して分与されて〈内なる義〉となるものではなくあくまでも〈外なる義〉であるが,それが人間に転嫁されて価なしに義と認められるというところに,プロテスタント神学は神の愛を見,福音を見る.いわゆる《義人にして罪人》というルター的命題も,転嫁概念を待って初めて可能なのであり,その意味で転嫁は,カトリックとプロテスタントを論理的に区別する最も重要な神学概念の一つと言える.→罪・罪論,原罪,義認,義,報いと功績.<復>〔参考文献〕Murray, J., The Imputation of Adam’s Sin, Eerdmans, 1959 ; Hoekema, A. A., Created in God’s Image, Eerdmans, 1986.(角川周治郎)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社