《5分で分かる》誘惑とは?

誘惑とは?

誘惑…

人をその本来の道に反する方向に誘い込み,罪を犯させるように仕向けることを言う.すべての誘惑はサタンによってもたらされる.その目的は人を神から引き離すことにある.人類の始祖アダムとエバは,サタンに誘惑された.神は人に「あなたは,園のどの木からでも思いのまま食べてよい.しかし,善悪の知識の木からは取って食べてはならない.それを取って食べるその時,あなたは必ず死ぬ」(創世2:16,17)と言われた.それは,人が神のことばに信頼して生きる時,人間としてその本来の目的に沿って真に生きることができるが,サタンの誘惑に心を向け,誘惑のことばに信頼する時,神から離れ,死ぬことになることを教えている.エバはサタンに誘惑されて,神のことばを疑い,サタンの誘惑のことばに従った.その結果,エバは神に対して罪を犯し,人類に死が入り込み,死が支配するようになった.<復> イエス・キリストも,バプテスマ(洗礼)を受けて,公生涯に入る直前に,サタンの誘惑に遭われた(マタイ4:1‐11).サタンはイエス・キリストを,御父のみこころである十字架の死による贖罪の道からそらし,他の道に歩ませようと誘惑した.しかし,イエス・キリストは御父のみこころにしっかりと立ち,サタンの誘惑を退けられた.この誘惑はイエス・キリストにとって試みとなり,御自身の進むべき道をますます明確にさせる結果となったことを知ることができる.<復> 誘惑に遭うことを誰一人避けることはできない.しかし,誘惑に負ける者は災いである(参照マタイ18:7).「だれでも誘惑に会ったとき,神によって誘惑された,と言ってはいけません.神は悪に誘惑されることのない方であり,ご自分でだれを誘惑なさることもありません.人はそれぞれ自分の欲に引かれ,おびき寄せられて,誘惑されるのです」(ヤコブ1:13,14)とあるように,自分の内にある欲が誘惑をその人の人生の中に引き込むのである.その欲とは「すべての世にあるもの,すなわち,肉の欲,目の欲,暮らし向きの自慢など」(Ⅰヨハネ2:16)である.<復> 誘惑はある人には罪を犯す原因となり,ある人には罪に勝利する機会ともなる.誘惑は何回でも執拗に襲って来る.荒野でイエス・キリストを誘惑したサタンは,何回もイエスを誘惑し続けた.イエスが十字架にかかられる直前にも.その時イエスはゲツセマネの園で祈られた.誘惑に勝利する秘訣の第1は祈りである.ゲツセマネの園で祈られたイエス・キリストは,誘惑に勝利された.しかし弟子たちは,祈らなかったために誘惑に負けた.イエス・キリストはそのような弟子たちに,「誘惑に陥らないように,目をさまして,祈っていなさい」(マタイ26:41)と忠告しておられる.誘惑に勝利する秘訣の第2は,私たちの戦いが霊の戦いであることを認めて,神のすべての武具を身に着けることであり(エペソ6:10‐17),その上で神に従い,サタンに立ち向かうことである(ヤコブ4:7).<復> サタンの誘惑の最終的な目的は,自分を拝ませることである.そのためにサタンはまず被造物を拝ませ,それを通してサタンを拝ませようと誘惑する.「天に目を上げて,日,月,星の天の万象を見るとき,魅せられて(誘惑されて)それらを拝み,それらに仕えないようにしなさい.それらのものは,あなたの神,主が全天下の国々の民に分け与えられたものである」(申命4:19).日,月,星などを拝むように誘惑し,動物や人間を拝むように誘惑し,人を偶像崇拝へと導くのである.すべての偶像の背後にはサタンがいる.サタンは偶像崇拝によって自分への礼拝へと人類を誘惑し,導いているのである.従って,人を罪に誘惑する者は厳しく戒められている.「この小さい者たちのひとりに,つまずきを与える(罪に誘惑する)ようであったら,そんな者は石臼を首にゆわえつけられて,海に投げ込まれたほうがましです」(ルカ17:2)と言われている通りである.→試み,悪魔論,偶像崇拝(礼拝).(千田次郎)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社