《5分で分かる》教派とは?

教派とは?

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教派…

[英語]Denomination.教派とは,ルター派教会,改革派教会,バプテスト派教会などのような,キリスト教会内の諸教会を指す.ローマ・カトリック教会やギリシヤ正教会をも一つの教派とする考え方もあるが,普通教派と言えば,プロテスタント教会内の諸教会を指す.教派は,さらに具体的には,一定の教憲・教規,組織を有する教団から成り立っている.<復> 1.なぜ教派が生じたか.<復> 本来聖書によれば,キリスト教会はイエス・キリストを救い主と信じる者たちの集りであり,主にあって一つである(ヨハネ17:21‐23).それでは,なぜ今日のように多くの教派に分れたのであろうか.初期の頃は,広いローマ帝国内にあって多くの教会が存在したが,教会会議等を通して,教会は一つという認識があった.1054年に教会は東西に分裂し,西方教会としてローマ・カトリック教会,東方教会としてギリシヤ正教会が生じた.<復> 1517年,マルティーン・ルターを通してドイツで宗教改革が起り,プロテスタント教会が成立した.プロテスタント教会は,聖書のみ,信仰のみの原則を掲げ,ヨーロッパの各地で教会を形成していった.しかしプロテスタントは,聖書の個人的,主体的解釈を強調したため,その解釈の差違が当時の政治,社会的情勢とも絡み合って,多くの教派を生み出すことになった.プロテスタントの主流派としては,ルター派教会,改革派教会があり,さらに宗教改革の第3勢力とも言うべき再洗礼派の流れをくむ教派がある.また,イギリス独自の宗教改革から生れた英国教会(聖公会)も,一つの教派と見ることができよう.これらの教派を比較する目安としては,教理,礼典,職制などの違いが挙げられる.こうしてヨーロッパで生じた教派は,アメリカにおいて大きく発展,成長していくとともに,さらに多様化し,新たな教派が生れた.<復> 2.日本のキリスト教会における教派.<復> 教派というものがそれなりの必然性と伝統を持っている欧米に比ベ,宣教地であった日本においては,概して教派は未成熟であった.特にプロテスタント宣教の初期の頃は,宣教師たちが教派乱立の弊害を避けようとして,努めて協調体制をとった.そのため日本人信徒たちの教派意識も極めて薄く,公会主義的傾向も強かった.しかし1873年のキリスト教禁制の高札撤去後は,欧米の諸教派のミッションが続々と来日し,各地で競うように伝道したので,明治から大正にかけて多くの教派教会が形成された.それでも欧米に比べれば教派意識は低く,大規模な協力伝道もしばしばなされた.1941年プロテスタントの全教派が合同して,日本基督教団が成立する.国家の圧力による成立であるが,希薄な教派意識もそれを助けていた.<復> 戦後は宗教統制の撤廃により,多くの教派教会が日本基督教団から離脱して,自分たちの教団を再建した.また戦後のキリスト教ブームの中で,多くの欧米のミッションが新たに宣教師を送り,多くの教団が誕生した.<復> 今日日本においても世界においても,エキュメニカル運動という,教会合同を目指す動きが,プロテスタントやカトリックという枠を越えて,強力に推進されている.その推進母体となっているのが,世界教会協議会(WCC)である.確かに,真の教会の一致を目指す努力は絶えずなされなければならない.しかし,単に組織的一致よりも,信仰における一致がまず大切である.そうした中で,従来分離的傾向の強かった福音派の諸教派においても,教会の公同性ということが強調されるようになってきたことは,注目すべきことである.→日本のおもな教団・教派.<復>〔参考文献〕『日本キリスト教歴史大事典』教文館,1988;H・R・ニーバー『アメリカ型キリスト教の社会的起源』ヨルダン社,1987;Walter, A. E., Evangelical Dictionary of Theology, Baker, 1984.(中村 敏)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社