《5分で分かる》イコンとは?

イコンとは?

スポンサーリンク

イコン…

「画像,肖像,似姿,イメージ」などを意味するギリシヤ語エイコーンに由来する.ギリシヤ正教では聖画像として重要な働きをする.一般にはテンペラ絵具による板絵形式をとり,キリスト,聖母(生神女〔しょうしんじょ〕),使徒,福音書記者,旧約預言者,天使,聖人,三位一体,ギリシヤ正教の大祭,聖書のおもな出来事などが描かれる.父なる神は第7回総会議(787年)で偶像崇拝のそしりを避けるためテーマから外されることになった.金属の打出しのあるもの,宝石や真珠の飾りのあるもの,石の浮彫り,フレスコ,モザイク,織物,聖像旗,メタルもある.<復> 正教会は起源を,エデッサの王アブガルが病気になりイエスに来ていただきたいと願って使いを遣わした時,イエスが布で顔をぬぐったところ顔が写し出され,その布で王は病気が直り,キリスト教徒となったという聖顔布の伝承,使徒ルカが聖母の肖像画を描いたという伝承に求めている.布に写し出されたキリスト像はアケイロポイエートス(人の手によらない)のイコンとして,霊験を分け与えるべく複写して今日まで伝えてきている.イコンはキリスト教公認後,聖地巡礼が盛んになり,聖遺物が持ち帰られて崇拝の対象となったこと,文字の読めない人たちへの伝道のため理解されやすい絵を用いたことを背景に,広く用いられるようになった.ローマで皇帝の肖像が町を行進し,人々が拝むという習慣があったことも,受入れの素地となった.イコンを巡っては常に偶像崇拝との関係が論じられ,8世紀には東ローマ皇帝レオ3世の禁止令(726年)に基づいて聖画像破壊運動が起った.大論争の結果ダマスコのヨーアンネースらの活躍により,第7回総会議でイコン崇敬が承認された.聖画像を見る者はその原型を想起し,愛し,尊敬する心を起す,しかしそれは神に対する崇拝とは異なるという理論によってである.9世紀にも破壊運動が再燃したが,最終的にイコン崇敬論者が勝利した(これにちなんで復活祭前の大斎〔おおものいみ〕の第1聖日は「正教勝利の日」として祝われる).<復> イコンは正教信仰において非常に重要な位置を占めている.教会堂はイコンが一定の決りに従って配列された壁(聖障,イコノスタス)により奥の内陣(至聖所)と手前の聖所に分けられている.信徒はイコンを前に祈祷儀式である奉神礼に参列し,聖体礼儀にあずかる.聖所の中央部にはその日の教会暦上のテーマを示すイコンが置かれる台(アナロイ)がある.家庭では部屋の東の右隅に(赤の隅と言う)に神棚に似たものが設けられ,イコンが置かれ灯明がともされる.信徒はその前で祈りをささげる.携帯用のイコンもあり,日常生活と密着している.<復> イコンは「書く」と言う.書くための「言語」は,明暗,色,形,描き方のルールなどである.色については,白が金色と同じく神の光の輝き,純血,青緑が神の存在,赤がキリストの受難を表し,青とともに基調となる.混合色も用いられる.視線,姿勢,手の形など一つ一つに約束事がある.例えば鼻はイエス・キリストの名を想起させるべく「魚」の形をとる.イコン制作には信仰とともに一定の方式が求められ,個人的創作と厳格に区別される.しかしビザンツ様式,ロシア様式といった様式の別,流派による特徴は存在する.正教ではイコンは「目で見る聖書」の役目を果すとともに,信仰継承との関係で重視する伝統の機能を教理と祈りの両面にまたがって総括するものとなっている.しかし,病気治癒などの奇蹟を起すイコンがあること,イコンに接吻や辞儀をすることなど,崇敬と崇拝の区別が微妙であるように思われる.→ギリシヤ正教,キリスト教と美術,東西教会の分裂.<復>〔参考文献〕高橋保行『イコンのこころ』春秋社,1981;濱田靖子『イコンの世界』美術出版社,1978;O・クレマン『東方正教会』白水社,1977.(安村仁志)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社