《5分で分かる》昇天とは?

昇天とは?

昇天…

イエス・キリストの昇天がありありと描かれているのは,使徒1:9‐11である.記者ルカは,この事件が歴史的な事実であることを,読者に印象付ける.「こう言ってから,イエスは彼らが見ている間に上げられ,雲に包まれて,見えなくなられた.イエスが上って行かれるとき,弟子たちは天を見つめていた.すると,見よ,白い衣を着た人がふたり,彼らのそばに立っていた.そして,こう言った.『ガリラヤの人たち.なぜ天を見上げて立っているのですか.あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは,天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で,またおいでになります』」.つまり第1に,昇天の場所は,エルサレム郊外のオリーブ山であった(1:12).第2に,弟子たちが見詰めている間に起きた(1:9,11に繰り返し記されている).しかしながら,雲に包まれて,という表現から,宇宙空間のどこかに主イエスの所在を求めるべきではない.昇天は物理的に説明し尽せるものではない.後にパウロは,「神は,その全能の力をキリストのうちに働かせて,キリストを死者の中からよみがえらせ,天上においてご自分の右の座に着かせて,すべての支配,権威,権力,主権の上に,また,今の世ばかりでなく,次に来る世においてもとなえられる,すべての名の上に高く置かれました」(エペソ1:20,21)と語る.神の臨在を象徴する栄光の雲のうちに上げられたものとして,霊的に理解すべきことでもある.初代教会の一つの信仰告白は,次のように簡潔にうたい上げている.「キリストは肉において現われ,霊において義と宣言され…世界中で信じられ,栄光のうちに上げられた」(Ⅰテモテ3:16).<復> 物理的に説明し尽せないこととはいえ,視覚に訴える出来事であったことは重要である.キリストが天に上げられることにより,聖霊が天から下ってくることになった.「わたしは真実を言います.わたしが去って行くことは,あなたがたにとって益なのです.それは,もしわたしが去って行かなければ,助け主があなたがたのところに来ないからです.しかし,もし行けば,わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします」(ヨハネ16:7).加えて,最初に紹介した昇天の場での約束のように,初代教会の再臨のイエスに対する信仰は,観念的なものではなく,目に見えて強く弟子たちの心に焼き付けられた希望であった.<復> 受肉が,神の子の異郷への来訪であるとすれば,昇天は,神の子の故郷への帰還に相当するであろう.伝統的な教理問答書においては,昇天はキリストの高挙の3段階,死人からのよみがえり,昇天,天父の右に座すること,という位置付けの中にある.ちなみに謙卑の3段階は,誕生,生涯,十字架,と要約される.そして,キリストの3職(預言者,祭司,王)が,この高挙と謙卑との関連で語られている.その論法を援用するなら,昇天のキリストから言えるものは,父のふところを知る者なるがゆえの預言者的役割(ヨハネ1:18),父のかたわらにありての絶えざるとりなしのゆえの祭司的役割(ヘブル7:24,25),勝利の凱旋のゆえに可能となった王的役割(エペソ4:8)などであろう.<復> 復活のからだが幽霊化されないためにもルカ24:37‐39が語られたように,昇天のキリストも歴史的事実として確認される必要がある.しかし,繰り返し明言しなければならないことは,物理的領域を超えた高次元,つまり霊的な,天的なイエス・キリスト理解がなくてはかなわないということである.<復>〔参考文献〕榊原康夫『使徒の働き』いのちのことば社,1987;斎藤篤美「使徒の働き」『新聖書注解・新約2』いのちのことば社,1973;『ウェストミンスター大教理問答』新教出版社,1963;『ウェストミンスター小教理問答書』日本基督改革派教会大会出版委員会.(下川友也)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社