《5分で分かる》いやしとは?

いやしとは?

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いやし…

共観福音書には,大きないやしのムーブメントがある(→図「共観福音書におけるいやしの記事の対照表」).このいやしのムーブメントは,イエスの公生涯の中でも初期ガリラヤ伝道の記録の中に集中して記されている.後期ガリラヤ伝道の記事ではわずか五つの出来事だけになり,さらにエルサレムへ向かって行く途上では,エリコの盲人のいやしのほかは,ルカが四つの記事を記すのみとなる.しかし大勢の群集のいやしという集合的な表現はエルサレムへの途上にも記されており(マタイ19:1,2),最後までいやしの大きなムーブメントは続いていたと想像される.ただ周囲の状況の変化などから,初期の頃に比べ,自由ないやしの活動ができにくくなっていたということは考えられる.また福音書記者の関心が十字架の出来事へと移っていったために,いやしの記録が少なくなっていったとも言うことができるだろう.<復> イエスの公生涯になされたいやしの奇蹟には,次のような二つの意味があると考えられる.<復> (1) 悪霊つきのいやし.これは悪霊の力に対して無力であり放置する以外にない人間社会への神の恵みの行為である.悪霊の力に対して無力であるということは,なぜ病気になるのかという目に見えない原因に対する恐怖を引き起す.原始社会においては,病気は悪霊のしわざと考えられ,そのいやしには呪術的な方法が使われた.今日においてもこの恐怖心は変らない.この意味不明の恐怖心は(マルコ9:14‐18),病気の人を汚れたもの,あるいは危険なもの,それゆえに社会的には無用なものであり,脱落者として人間社会から排除する力(ルカ8:29)となる.イエスの悪霊追放のわざは,このような人間社会から排除されていた人たちを,社会復帰させるといういやしを与えるものである.<復> (2) 律法による束縛からの解放.特にこれは安息日にいやすこと(マルコ3:1‐6,ルカ13:10‐17),きよめの律法遵守の指導(マルコ1:44,ルカ17:14)などに現れている.安息日やきよめの律法は,当時のユダヤ人社会では絶対的な意味を持っていた.特に律法遵守に熱心であったパリサイ派によれば,病人のいやしよりも安息日律法遵守が優先していた.これは,彼らが律法という手段を用いて,病気の人を罪人とか汚れた者と規定し,健康な者との間に差別を設けていたことを示している.つまり彼らは,病気の人に対して一つの意味付けをして,健康な者の社会から排除していたのである.イエスのいやしは,悪霊追放の場合と同じく,病気をいやすことによって,その人の社会復帰といういやしも同時になされていたことを示している.<復> 病気には隠された意味があり,人間社会は無意識のうちに病気を汚れたものとして,その社会から排除しようとする(S・ソンタグ『隠喩としての病い』).福音書の中で,病気の人たちが大勢イエスのもとに集まってくるのは,病気がいやされるだけでなく,キリストを通して彼らの社会復帰が成立することを暗示している.病気の者すなわち反社会的存在というこの隠された意味が,病気の者を精神的苦痛に陥れるのである.従って福音書に記されているイエスのいやしのみわざは,単に病気をいやして健康にするというだけでなく,その人の全人格,社会的存在全体をいやし,本来のものに回復するというものである.従って今日においてもイエスの御名によるいやしの効果は,病気をいやすというだけでなく,社会復帰の力を与えるものであり,病気という状態の中にあっても社会的存在の積極的意味(Ⅱコリント12:9,10)を与えるものである.→病気.<復>〔参考文献〕S・ソンタグ『隠喩としての病い』みすず書房,1982;波平恵美子『病気と治療の文化人類学』海鳴社,1987.(荒井隆志)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社