《5分で分かる》希望とは?

希望とは?

希望…

ヘブル語ではtiqwa~h,ギリシヤ語ではelpisである.一般的には,いまだ現実にはなっていないすばらしいことが将来において実現するであろうと期待することを指す.<復> 旧約聖書における希望は,個人的なものと,民族全体のものと大別される.アブラハム,ヨセフ,ダビデ等旧約聖書に登場する人物は,個人的な生活において多くの困難に直面した.このような苦難の中で神に祈り,そこから解放されることを期待した.<復> しかし,旧約聖書独自の希望と言われるものは,イスラエル民族との関係の中で示されている.それはまず,モーセ時代,イスラエルの民が寄留地エジプトにおける苦難から解放され,国家建設に携わる時に始まる.しかしその希望は,アブラハムに対する約束に基づくものであった.イスラエル国家はダビデ,ソロモン時代に繁栄の絶頂期を迎えるが,やがて神に背いて衰退の一途をたどり,バビロン捕囚というみじめなさばきにでくわす.そのような絶望状態の中にある捕囚民に,神は預言者エレミヤを通して,「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ.—主の御告げ.—それはわざわいではなくて,平安を与える計画であり,あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」と語られる(エレミヤ29:11).<復> 確かに,この希望のメッセージは「あなたの将来には望みがある.—主の御告げ.—あなたの子らは自分の国に帰って来る」(エレミヤ31:17)とのみことば通り,バビロン捕囚からの帰還というかたちで成就した.しかし,ここで語られているメッセージはそれだけで終らない.やがて到来するメシヤによる解放,さらに,「主の日」「終りの日」にイスラエルが高められ,全世界が神の御前にひれ伏すということが含まれている.<復> 新約聖書における希望は,キリストの十字架に基づく.十字架による贖いは,信じる者を罪の性質,罪の力,罪責感から解放する.それは,死後に定められているさばきの座において,一切の罪責を問われないということであり,永遠に続く神のいのちを受け,キリストとともに神の国の相続人となるということを含んでいる.従ってそれは,復活の希望,キリストの復活のお姿に変えられるという希望である「ピリピ3:21,Ⅰヨハネ3:2).<復> この希望は,単に信じる者個人の問題であるばかりか,被造物全体の完成をも包含する遠大なものである(ローマ8:18‐23).まさに希望は,信仰と愛とともに永遠に続くものにほかならない(Ⅰコリント13:13).<復> この希望は,死後,あるいは新天新地において初めて始まる未来の出来事だと言うのではない.すでに今の世から始まっている.イエスは,「神の国は近くなった.悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)ということばで宣教を開始されたが,その神の国について「あなたがたのただ中にあるのです」と語られた(ルカ17:21).<復> 神の国とは,神が支配される領域のことである.確かに,全世界が完全に神の支配に服するのは再臨のキリストを待つ以外にない.しかし,クリスチャンは,キリストに服し,聖霊の導きの中に生きている.そのクリスチャンたちの集りは教会と呼ばれる.そこにはもはやユダヤ人と異邦人,男性と女性,自由人と奴隷といった差別はない.すべての人が神を父と仰ぐ兄弟姉妹である.そしてそれは聖霊が支配される群れにほかならない.ここには神の国の先取りが見られる.<復> このキリストにある希望は,神御自身の約束に基づくもので,失望に終ることはない(ローマ5:3‐5).→神の国・天の御国・キリストの王国,再臨,希望の神学.(中沢啓介)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社