《5分で分かる》平和,平安とは?

平和,平安とは?

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平和,平安…

日本語で平和,平安と訳されているヘブル語はs▽a~lo^m,ギリシヤ語はeire~ne~である.平安は平和とほとんど同義である.<復> シャロームの根本的な意味は,相互関係において調和があるということである.それは,無事平穏だという消極的な内容だけでなく,健康,長寿,繁栄,勝利,救いなど積極的な意味をも包含することばである.<復> 「義は平和をつくり出し,義はとこしえに平穏と信頼をもたらす」(イザヤ32:17)と言われている通り,平和と義は密接な関係にある(詩篇72:3,85:10).義の神は,神に従う者に平和を告げ(詩篇85:8),平和を備えられる(イザヤ26:12,32:18).それに対して,「『悪者どもには平安がない.』と主は仰せられる」(イザヤ48:22).<復> 旧約聖書に出てくる偽りの預言者たちは,イスラエルの民が罪を犯し,神に背いているのに,平安を宣言した.神はそれが間違いであると宣告された.このことは,神の民にとって神に従うことなくして平安が与えられないことを意味する.<復> 新約聖書においても,平和の基本的理解は旧約聖書と変らない.しかし,旧約聖書では隠れた形であったキリストの十字架による平和が,新約聖書で歴史的に明らかにされた(コロサイ1:20).すなわち,キリストの十字架による贖いを受け入れ,信仰によって義と認められることによって初めて神との平和が与えられる(ローマ5:1).<復> 旧約聖書においても,契約は「平和の契約」と呼ばれていた(民数25:12,イザヤ54:10,エゼキエル34:25).しかし,新約聖書のキリストによる契約は,神との和解と言われ(Ⅱコリント5:17‐21,エペソ2:14‐16),より明瞭に平和と結び付けられている.<復> キリストは弟子たちを宣教に派遣するに当って,「その家にはいるときには,平安を祈るあいさつをしなさい.その家がそれにふさわしい家なら,その平安はきっとその家に来る」と教えられた(マタイ10:12,13).これは,平安を受けるにふさわしい態度があることを示唆している.人は神の御前に正しくあって初めて本当の心の平安を得ることができる.<復> この平和,平安は,この世が与えるものとは異なる(ヨハネ14:27).表面的にうまくやるといった,いわゆる妥協の産物というようなものではない.キリストは,「わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません.…」(マタイ10:34‐39)とさえ警告された.平和は真理と義に由来し,時として表面的には,対立を生じさせることさえある.<復> キリスト者は,キリストの平和が心を支配するような生き方を勧められている(コロサイ3:15).パウロは手紙の多くを「私たちの父なる神と主イエス・キリストから,恵みと平安があなたがたの上にありますように」というあいさつで書き始めている(Ⅰコリント1:3,Ⅱコリント1:2,ガラテヤ1:3等).パウロの生涯は平穏無事ではなかった.むしろ,迫害と困難の連続だった.その中でパウロは平和を経験し,平安な歩みを送った.そして,キリスト者のためにその平安が与えられるよう祈った.<復> 十字架による神との和解は,キリスト者相互間にも平和をもたらす.聖書は平和を保つように(Ⅱコリント13:11),平和を追い求めるように(Ⅱテモテ2:22)と勧めている.といっても,平和は自分でつくり出せるものではない.御霊によって歩む時平安の実を結ぶことができ(ガラテヤ5:22),祈りを通して神の平安を受けるのである(ピリピ4:6,7).→平和主義.(中沢啓介)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社