降誕日とは?
降誕日…
[英語]Christmas,[ドイツ語]Weihnachten,[フランス語]Noe¨l.イエス・キリストの降誕を祝う大祝日.クリスマスという言葉はキリストのミサ(キリストの祭)を意味している.プロテスタントやローマ・カトリック教会のほとんどは12月25日を,東方教会やアルメニア教会は12月25日あるいは1月6日を降誕日として守っている.<復> イエス・キリストの降誕日が12月25日と決められた経緯に関しては諸説あるが,その中でも信頼すべき記録の中で最も初期のものは,336年のローマの行事を記しているフィロカルスの暦(Philocalian Calendar)である.その中には「12月25日に,キリストはユダヤのベツレヘムでお生れになった」と書かれている.次に,ドイツの史家モムゼン(T. Mommsen,1817—1903年)が,354年のローマの史家の筆になるものを発見した.その中には「キリスト後の第1年,カイザルとパウルス執政官任期中,主イエス・キリストは12月25日金曜日,新月の第15日に生れたもうた」と書かれている.東方教会において降誕日を1月6日に守っているのは,キリストの誕生,東方の博士たちの賛歌,そしてヨハネによるキリストの受洗等を一緒に記念するところに由来すると言ってよい.<復> 次に,降誕日が12月25日であることと異教の習慣との関係について触れてみたい.ペルシヤに起源を有するミトラ教の影響を受けていたローマは,ミトラ教の太陽神崇拝からくる「太陽の復帰を画する日」としての冬至(12月25日)の祭を広く祝っていた.その日は「太陽の誕生日」と見なされていた.この異教徒の習慣がやがてクリスチャンにとって霊的な意味の「真の(義の)太陽」の誕生としてイエス・キリストの降誕に結び付けられ,伝統的に守られていったと考えられる.<復> もう一つは,12月17日から7日間収穫祭として祝われた,古代ローマの農業神サトゥルヌスの祭典サトゥルナリア(Saturnalia)との関係である.陽気に歌ったり踊ったりして,子供たちにプレゼントを与えて収穫を喜ぶこの習慣が,季節的にもイエス・キリストの降誕日と同じであるために,クリスマスの祝いの中に取り込まれていったと考えられる.<復> 異教的習慣にはなはだしく影響されたクリスマスの祝い方には問題はあるが,反面独善的になって偏狭な教義主義に走ることのないように注意しなければならない.むしろ,クリスマスを通して,救い主イエス・キリストの降誕こそ全人類に対する全能の神からの最高の賜物であり喜びであることを世にあかしするものでありたい.<復> 最後に,イエス・キリストの降誕の年について一言付け加えることにする.ローマの修道士ディオニューシウス・エクシグウス(Dionysius Exiguus,497年頃—550年)は,525年にキリスト紀元の暦(西暦)を創始したのであるが,これは,復活節表を作る際,キリストの降誕の年から起算したことに始まる.この紀年法は,イングランドにおけるホウィットビ(Whitby)会議(664年)で採用され,その後大陸にも普及し今日の西暦紀年法の基礎になっている.ところが,実際には3—7年の誤差があったことが判明した.それゆえ,主イエス・キリストの降誕は,西暦前3—7年となる(年代については諸説がある).天文学による年代を知る試みもなされ,前7年に3回起った魚座の木星と土星の相合とマタイ2章の東方の博士と星の記事との関連性が指摘されている.→教会暦.(丹羽 喬)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社